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【私の会いたい100人:第27回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第27回


お楽しみに



<オープニング>

 「私の会いたい100人」第27回のゲスト


 Nguyễn Ngọc Ánh グエン・ゴック・アンさんです。


ゴック・アンさんはベトナムで日本語教育に携わっていた時の学生で、オープンな性格であることもあり、教室を楽しい雰囲気にしてくれたり、放課後にはカフェ巡りや買い物に連れて行ってくれるなど、面倒見の良い一面も見せ、色々とお世話になりました。


日本語プログラム卒業後は日本に留学し、その時の縁で家族を持ち、ベトナムでの生活、起業を経て、お子さんと日本での生活が始まったという、


本日のお客様 ゴック・アン さんです。




中尾:先ず名前の由来を聞こうと思いますが、基本的な質問ですが、Nguyễn Ngọc Ánh(グエン・ゴック・アン)は何が苗字で、何が名前ですか?


ゴック・アン:苗字はNguyễn(グエン)でNgọc Ánh(ゴック・アン)が名前です。


中尾:Ngọc Ánh(ゴック・アン)にはどういう意味合いや思いが込められていますか?


ゴック・アン:Ánh(アン)は太陽の光という意味です。なので、自分の名前と性格は合っていると思います(笑)

       明るくて前向きなタイプですから。

       Ngọc(ゴック)は玉、宝物。


中尾:すごく綺麗な名前ですね。




〈幼少期~学生時代〉



中尾:子供の頃の自分のことを覚えていますか?


ゴック・アン:覚えています。すごいいたずらっ子で、暴れるのが大好き(笑)

       小さい頃はベトナムもすごい安全な所でしたから、よく一人でひとりで学校に行っていましたが、帰りに友達が膨らませた風船を奪って捨てて逃げました。

       小さい頃は、ずっと髪の毛も短かったから、よく男の子と間違われました。


中尾:いたずらっ子だったということですが、親御さんから注意されたりしていましたか?


ゴック・アン:お父さんはすごい優しくて、あまり叱らないですね。でも、お母さんは強くて、よく叩いて叱られました。


中尾:当時のホーチミン市というか、思い出す小さい頃の家の周りの景色とか、風景などありますか?


ゴック・アン:家から学校までは結構狭い道やお墓があって、その途中に、赤い実がなる木があって、私はずっと食べたい食べたいという気持ちがあったんですけど、「もしそれを食べると、声が出なくなる」と言われたので我慢して食べませんでした。


中尾:その頃住んでいた家は今も残っていますか?


ゴック・アン:今は無いです。小さい頃住んでいた家は結構広くて、庭もあって友だちもよく遊びに来ていました。


中尾:ベトナムもとても発展したので、(当時と)状況が変わっていると思いますが。


ゴック・アン:小さい頃のイメージと今とは全然違います。例えば小さい頃はバイクも無くて、自転車ばかりでした。

       バイクが流行ったのは私の大学生の頃なので、それまでは自転車ですね。


中尾:私の印象だとベトナムの学校は朝がとにかく早くて、朝7時ぐらいから授業が始まっていたと思いますが。


ゴック・アン:そうですね、それで小学生の頃は午前中だけ。


中尾:午後はどう過ごしていましたか?


ゴック・アン:近所の友達と遊んでいました。


中尾:クラブ活動やみんなで集まってスポーツなどは?


ゴック・アン:ないですね。授業が終わったら帰る。


中尾:給食は?


ゴック・アン:ないです。


中尾:ベトナムの小学校では何を勉強しますか?


ゴック・アン:もちろん国語、算数はあって、あとは図工、道徳とか。


中尾:好きだった授業とか、思い出に残っていることは?


ゴック・アン:日本でいう習字。コンテストがあって、よくクラスの代表に選ばれていました。


中尾:日本だと書道の授業や書道教室で字を綺麗に書く練習をしたり習ったりしますが、同じですか?


ゴック・アン:ベトナムでは授業も無いし、習ったりもしません。ただ、クラスの中で一番字が綺麗な人を選びます。


中尾:なんで綺麗に字を書けたんですか。


ゴック・アン:字を書くのが好きだから、よく書いていました。

       あと、ちゃんとやらないと少し気持ちが悪いので、字もちゃんと書けていないと気持ち悪かったり。


中尾:習い事とかありました?


ゴック・アン:当時はあまりないですね。ただ、(小学)3年生から合気道を少し習っていました。


中尾:特に夢中になったことはありますか?


ゴック・アン:日本の漫画をいっぱい読みました。ドラえもんとか、スラムダンク、ちびまる子ちゃんはたぶん全部読みました。


中尾:学校の図書室とかですか?


ゴック・アン:ベトナムの学校は図書室があまりないので、本屋さんで1冊いくらとかでよく借りていました。


中尾:当時は日本の漫画という認識はありましたか?


ゴック・アン:当時はたぶん日本の漫画しか無かったと思います。当時はテレビも無く家でもやることが無いから、借りてきた本を確保しないと他の誰かにすぐに取られちゃう。


中尾:(娯楽が)本しかないから奪い合いなんですね。

   小学校は5年間でしたっけ?


ゴック・アン:はい、5年で、中学校が4年、高校は3年。


中尾:中学校も歩いて行ける距離でした?


ゴック・アン:はい、近かったです。でも、自転車があるのでよく友達と一緒に自転車で(学校まで)行っていました。


中尾:中学は日本だといわゆる部活動がありますが、そういったクラブ活動というのは?


ゴック・アン:それも無いですね。ベトナムの学校を見たことありますか?すごく狭くて、校庭も殆どありません。


中尾:友達と遊ぶ以外に、運動というか、スポーツに関わる機会はありますか?


ゴック・アン:無いですね。私の場合は、近くにプールがあったので、朝4時とか5時くらいからまだ暗いところをプールの周りを走って、それから泳いでいました。


中尾:朝5時から?!室内ですか?


ゴック・アン:外のプールです。すごい寒から走って体を温めてから入って。

       でも、その時間から大人も何人もいましたから、変な人じゃないです(笑)


       家にいたお手伝いさんが(ホーチミン市の)西の方の川がいっぱいあるところの出身だったので、そのお姉さんから水泳も教えてもらいました。


中尾:良いコーチが近くにいたんですね。

   高校も部活が無いんですよね?


ゴック・アン:そうですね。学校でスポーツをやることはないですね。それから音楽もないですね。音楽の授業はあるけど、歌だけ習います。


中尾:楽器を習うことが無いんですね。

   中学や高校の時に、将来こういう仕事に就きたいなとか、ありました?


ゴック・アン:その時は2000年に世界が終わるという話がありましたから。


中尾:ああ、ノストラダムスの?


ゴック・アン:2000年はまだ18歳で結婚もできないから、(将来)どんな仕事をするのかより残り3年をどう楽しむか、みたいな。

       でも高校に入ったら証券(金融)に興味を持って、高校の時はずっと銀行の大学に入りたいという気持ちがあって、銀行の大学に合格したんですけど、お父さんと話して自然科学大学に入ることにしました。


中尾:証券、銀行、金融関係に興味を持ったきっかけは?


ゴック・アン:数字が好きだからです。経済のことも結構好きですね。

       ただ、大学に入る頃に数学、コンピュータが結構流行ったこともあり、経済の知識は(大学以)外でも勉強できるから数学、コンピュータの大学に行った方がいいなと。


中尾:大学でコンピューター関係の勉強した訳ですね。

   大学の4年間はどんな時間でした?


ゴック・アン:すごい楽しい時間です。私はサッカーチームに入って4年間やっていました。色々な所へ行って他の学校と試合して交流して。

       もちろんバイトもやりました。暇な時はすぐ遊びに行くし。


中尾:卒業後の進路はどうしましたか?


ゴック・アン:最初の仕事はコンピューターのプログラムをやりました。





〈日本語プログラム時代〉



中尾:大学を卒業して、仕事も始めていましたが、そんな中でどうして日本語のプログラムに申し込もうと思ったのですか?


ゴック・アン:生徒募集の記事が新聞に載っていたのを友だちが見つけて応募したので、私も応募してみたらその友だちは落ちて、私だけ受かりました(笑)


中尾:じゃあ、その友だちいなかったら応募することもなかったんですね?!


ゴック・アン:その情報も知らないままだったと思います。本当に偶然なんです。


中尾:(日本語の)プログラムは月曜日から金曜日まで午前も午後も授業がありましたが、正直何が大変でした?


ゴック・アン:それは先生(私のこと)とM先生は初めての日本人でした。

       なので先生とM先生が日本人のイメージになってしまいます。


中尾:どんなイメージでしたか?


ゴック・アン:先生は15の国を旅行したことがありました。当時のベトナムは飛行機に乗るのはすごい金持ちです。なので、とても尊敬して、私も行きたいと思っていました。


       M先生はとても色白だったので、私も白くなりたいと思っていました。


       あとは、その時の先生のファッションが日本人でした。ベトナム人の男性と全然違うので、最初はおかしいと思いました。


       例えばベトナム人の男性はバッグとかあまり持たないですが、先生はいつも鞄を持っていたり、セーターのようなものも着ていたのでおかしいと思っていました(笑)

       

       でも、日本に来て、よく先生に似た格好をしている人がいたので、日本では普通なのだと知りました。


中尾:授業は、どんなことに苦労しましたか?


ゴック・アン:授業というか、たとえば字が好きだから、漢字をよく覚えていましたが発音は難しかったです。


       その時はいっぱい勉強しましたが、実際に(クラス以外で)使うことが無かったので。

       あとは、私たちが間違った日本語をいっぱい使っても、先生は(私たちが何を言おうとしているか)すぐ分かって(正しく)直してくれない時もいっぱいありました。

それは一番困ります(笑)


中尾:やはり、ちゃんと直したほうが良かったですか?


ゴック・アン:そうですね。でも、主人もそうです。

       日本に留学した時はみんな日本語が上達するように日本人の彼氏、彼女を作りますが、主人は何も直してくれないし教えてくれないから意味ないかなあと感じました(笑)




〈留学~結婚~ベトナム生活〉

中尾:今留学の話が出ましたが、2年間のプログラムが終わるタイミングで留学することになりましたが、どういう考え、流れがあって留学することにしたのですか?


ゴック・アン:日本語はすごく難しいですね。いっぱい習ってもすぐ忘れてしまうから、実際に日本に行って、どんな所なのか見てみたいし、もっともっと日本語を自分のものにしたいなと思って。


中尾:最初は何年くらいの予定だったのですか?


ゴック・アン:最初は1年間日本語を勉強して、それから大学に編入したかったんですけど、ベトナムの大学の専攻が数学だったので、その専攻で編入するとなるとすごく難しい、では違う専攻となるとまた4年間通うことになりますが、そうするとお金と時間もかかるので、大学進学はやめました。


中尾:1年留学して、一度ベトナムに帰るんでしたっけ?


ゴック・アン:はい。その時は主人ともう知り合っていたので、結婚してまた日本に戻りました。


中尾:ちょっと整理しますね。2005年~7年までがホーチミン市での日本語プログラム、2007年~8年が日本留学。


ゴック・アン:2008年の8月ぐらいにベトナムに戻って、結婚して2009年の1月ぐらいに日本に戻りました。


中尾:結婚して日本に来てからはどんな過ごし方でしたか?


ゴック・アン:最初は金融関係の専門学校に行こうかなと思いましたが直ぐに子どもが生まれたので。


中尾:子供が生まれると、役所に行って色々な手続きもありますが、大変じゃなかったですか?


ゴック・アン:別に困ったことはないです。主人はずっと忙しいので、自分でやるしかないですし。


       私は結構完璧が好きなタイプなので、例えば子供の受験とかもどんな学校が良いか自分で全部調べて決めます。もちろん娘の性格と息子に合わせて。


       主人は優くて、家族に対して期待しない。元気だったら大丈夫という感じです。


中尾:2011年に家族でホーチミン市へ移りますが、それはどういう流れからですか?


ゴック・アン:日本では娘は私と主人、2人だけに愛されるなと思って。でも、もしベトナムに行ったら、私の家族がいるので。


       日本のイメージとは少し違います。日本のイメージは小さい家族、自分の家族という感じです。


       でもベトナムの家族というのは大勢ですね。私の兄弟とかみんなもいます。もしベトナムに行ったら、子供はもっといっぱい(の人たち)に愛してもらえるんじゃないかと思ったんです。


中尾:ご主人の考えやお仕事もあるじゃないですか?


ゴック・アン:主人は、ひとつはベトナムも好きですし、もうひとつは私のことを結構優先してくれるから。


中尾:ホーチミン市ではゴック・アンさんのご実家で親御さんと一緒に生活を始めるんですか?


ゴック・アン:そうです。


中尾:そうなると住むところはあります。でも仕事は?という話になるじゃないですか。


ゴック・アン:主人も先にベトナムで仕事を決めました。


中尾:先ほども大きな家族と小さな家族の話もありましたし、そもそも日本とは環境が違うことが多いと思いますが、ベトナムに戻ってから良かった点や苦労した点などありますか?


ゴック・アン:ベトナムに戻ってから家族内で少し(問題が)あって皆も苦労しました。でもそれは人生はいつも山あり谷ありじゃないですか?


       なので、苦労とか考えなくてその中の一つかなと。


中尾:ベトナムではどんな仕事をしていたのですか?


ゴック・アン:最初は日本のスポーツメーカーの総務の仕事でしたが、暇すぎてもっとちゃんと働きたいなと思って次の仕事に移って。


       その会社は派遣会社での仕事で通訳など結構忙しくて、例えばベトナムに進出したいメーカーさんの商品の通訳とか営業先の開拓で一緒にベトナム中を回ったり、

そこで有機肥料の会社や色々な人たちに出会ったりして知識が広がりました。


中尾:今の話が自分で仕事を始めることに繋がりますか?


ゴック・アン:そうですね。元々、ベトナムにも沢山野菜の種類がありますし、安くて美味しいこともあってベトナムで生活したいという気持ちがありました。


       でも、色々な所を調査していくうちに、あまり食品(の品質)が良くないことが分かりました。


       肥料多く使うことで生育を早めていたりとか、実際の農家の状況が分かって自分の健康や子どもたちの健康を考えてオーガニックの店を作りました。


中尾:オーガニックの店を作ったということですが、そもそもオーガニックの畑が無いと、収穫物(=売り物)が無いじゃないですか?


   当時、オーガニックで栽培している農家さんはどれくらいあったのですか?


ゴック・アン:最初の頃はあまり無かったです。

       (前職時代に)調査で回っている時に知り合った方や、日本人がやっているオーガニックの畑があって、そこからまた紹介してもらって段々広がりました。


中尾:ネット店舗ではなく、実店舗を持ってやったんですか?


ゴック・アン:そうです。

       家からも少し離れていたので、最初の頃は寝不足で、体がかなりきつかった。


       でもその時一番大変なのは、みんなオーガニックの知識がないから、「オーガニックの野菜はどうしてそんなに高いの?」とよく言われるので、そういうお客さんを説得しないと買って貰えない。やはり最初の頃は大変でした。


中尾:オーガニック野菜を扱うのは、それを広めたい、色々な人に食べてもらいたいという気持ちですか?


ゴック・アン:最初は自分の健康と家族の健康でしたが、一番印象に残ってお客さんがいます。

       

       そのお客さんは最初はマンションの前まで配達して、そこまで取りに来てもらっていましたが、段々マンションの門までとなり、最後は玄関まで届けることになって、他にも配達しないといけない人も商品もあるのに、なんでわざわざ玄関まで持っていってあげないといけないのか、と思っていました。


       ある日その人のSNSか何かでそのお客さんが亡くなったことを知りました。後から聞いたのは、病気で歩くのが難しかったようで、そういうこともあってもっと他の人の立場にならないと(いけない)って思いました。


中尾:「オーガニックの野菜はどうしてそんなに高いの?」と聞かれることは依然として多かったですか?


ゴック・アン:多かったです。そういう時に私は農家さんの話を伝えました。例えば、その農家さんは何でオーガニックを始めたのか、何の為にやるのか、全部その農家さんから話を聞いて、その話をお客さんに伝えました。

       長女も色んな所に連れていきました。お金より、子供の体験と少し社会貢献の感じはあると思ってお店をやってきました。


中尾:コロナ禍の時期はどんな状況でしたか?


ゴック・アン:コロナの時期はいっぱい売れました。


中尾:そうすると、売上は十分だった訳ですが、お店を売却することにしたのはどうしてですか?


ゴック・アン:私はいつも子供を意識しています。

       前の派遣会社に勤めていた時に空港の送迎などもあり拘束時間が長くて夜中に帰ることもありましたが、子どもは幼稚園から帰ってずっとテレビを見ているだけの時もあって、子どもとの時間が減っていたので(仕事を辞めて自分の)店を作りました。

     

       でも、店を始めて何年かしてだんだん忙しくなって、子供との時間がまた減りました。


中尾:今回、子どもが高校に上がるタイミングで日本に移ることを決めましたが、どういう流れ、考えからですか?


ゴック・アン:子どもは日本人学校に通っていましたが、日本人学校は中学までしかありません。日本人学校に通っていた友だちもみんな日本の高校に行きたいと思っていますし、長女もそう思っていました。


       中には子どもだけ一人で日本で生活させる家もありますが、うちは下の子がまだ小学2年生なので、一緒に日本に行くことにしました。


       ただ、仕事の都合もあり、主人はベトナムに残ることに。





〈家族について〉



中尾:最初の頃の話で、お父さんは優しくて、お母さんは厳しいという話がありましたが、親になって参考にしていることなどありますか?


ゴック・アン:私と主人は、私のお父さん、お母さんにそっくりです。主人はお父さんの性格にそっくりです。私はよく叱りますが、一番違うのは、私の小さい頃は、お父さん、お母さんは仕事だったので、多くの時間、子供達は自分たちで生活していました。

 

       例えば、私の小さい頃は、お母さんにあまり相談しませんでした。代わりにいつも(お手伝いの)お姉さんと話していました。

 

       でも、今は子どもたちと私がいつも一緒にいます。子どもたちは私に友達のこととか、学校のこととか、全部話してくれて、それが一番違うのかなと思います。


中尾:スマホやテレビもありますし、基本的に物は何でもあって、昔と比べて便利な時代ですが、そのあたりの接し方はどうですか?


ゴック・アン:勿論こっそり見ることはありますが、家の中では私が一番怖い存在ですから。

       あとは、感謝の気持ちを持つことも大事ですね。お父さん、お母さんが仕事をしてお金を稼いでいるので、子供たちが無駄なことをやると怒ります。


中尾:長女はベトナムで仕事をしている時に色々な所に一緒に連れて行ったという話がありましたが、色々な大人に会ったり、見たりしているから感性が他の子と違う部分がありそうですが、そのあたりはどうですか?


ゴック・アン:色んな人生に出会いました。色んな農家さんとかもそうですし、すごく貧しい子供たちとかも。

       なので、共感とか相手の気持ちをよく考えることは出来ていると思います。


中尾:ご主人とのコミュニケーションなどで気をつけていることなどありますか?


ゴック・アン:(主人に対して)よく怒りますね。私の主人は、さっき言ったように(家族に)あまり期待していないんです。子供は元気で幸せであれば良いと。


       でも、子供は勝手には順調に成長しませんね。反抗期もあります。何言っても聞かないとか、勉強しないとか、学校に行きたくないとか、いろんな問題がありますね。

       

       主人は元気なら良いと。私はすごく怒ります。主人は日本人の伝統で仕事のことで頭がいっぱいですが、子どもたちのパパ、お父さんだから、足りないところが有ったらちゃんと教えてあげないと!って。


       でも、主人はとても優しくて子どもにとって何でも話せるお友達みたいな感じだから、日本から電話かけて、長女が「パパ聞いて!」と、いっぱい話して、主人がまだ会社にいて「今パパ忙しいよ」と言っても30分くらい話し続けたりしています。


中尾:すごい?!高校生の子がパパに?!


   小さい頃、いたずらっ子だったという話がありましたが昔の自分のキャラクターと、今の自分のキャラクターで明らかに変わった部分などありますか?


ゴック・アン:ずっとこのままですね(笑)

       本当によく友達から言われました。私はいつも前向きだって。


       「疲れていても(ゴック・アンさんが)前向きだからついていかないといけない」と言われました。


       今、44歳でよく言われるのは「なんで疲れないんですか」「なんで新しい環境の日本で色々勉強してるの?」ということです。

       みんなは「もうそんな年だから」と言って、早く帰って家でゆっくりしたりする。

       40代はそうやってリラックスしたい年代だと。


       「なんでまた勉強するの?疲れないですか?そのエネルギーの元は何なの」かと聞かれると、それは「楽しいから」です。

       学ぶことも楽しいですね。(学んだ先の)ゴールに楽しいことがある場合もあります。


       私の性格は、やりたいことがあったらやってみないと、ずっとその(やりたい)気持ち(が残ったまま)になってしまうんです。

また何年後とか将来、「あの時やっておけばよかった」と思うのは嫌なので、やった方がすごく楽しい。

       やってみないとできるか分からないですし。



〈今後について〉



中尾:ちょうど44歳という話がありましたが、今は仕事を探している途中ですけど、やりたい仕事やプライベート、家族のことでこれからチャレンジしたいことを教えてください。


ゴック・アン:先ずは家族のことから。

       

       家族のことは今までと同じです。子どもを産んだ以上、子どもの人生の責任を持ちます。

       子供は自分で生まれることはできないですから、子供が悪い人にならないように、悪い人生にならないように、責任を持って頑張りたいと思います。


       仕事も色々やりたいことはあります。今は日本に来て仕事の経験がないので、すごい不利なことがいっぱいあると思います。


       でも、自分の考えは、まだ色々と勉強できますし、私の性格は何かやる前に少し考えて、いろんな調査をしてからその道へ進むと決めます。

       

       今は建設業でやりたいと思っていて、周りは難しいと言う人もいますが、やるしかないですね。


中尾:今日は色々とありがとうございました。



                                      (了)



インタビュー後のランチをご一緒した師匠と
インタビュー後のランチをご一緒した師匠と

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