【私の会いたい100人:第25回】
- nakao3126
- 2 分前
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「私の会いたい100人」
ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。
絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし
会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、
はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。
そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、
ということを知る一つのきっかけになればと思っています。
それでは、第25回
お楽しみに

中尾:「私の会いたい100人」第25回のゲスト
トミさんこと 冨松 正宏 さんです。
トミさんは、中国は大連で一緒に球蹴りをした仲間ですが、大連出張時に顔を出すだけでなく、大会遠征にも日本から駆け付け共に戦ってくれた方で、アップの方法やトレーニング方法など最新情報を持ち込み、共有してくれるなど、常に頼りなる
本日のお客様 冨松 正宏 さんです。
<オープニング>
中尾:インタビューの冒頭に皆さんに聞いているのですが、名前の由来は?
冨松:父から聞いていて、まず僕の誕生日が正月なんですよ、1月1日。それと「宏」は父親の名前から一字とって正宏。
中尾:予め考えていたと言うよりは、この日に生まれたからという感じだったんですね。
生まれはどちらですか?
冨松:生まれは正確に言うと、母親の実家が東京にあって里帰り出産したので東京。
ただ、家は尼崎だったので、尼崎と小学4年から高校までは伊丹市なので兵庫県人というか関西人ですね。
中尾:何年生まれですか?
冨松:72年です。
〈幼少期〉
中尾:子どもの頃の原風景と言うか、小さい頃の街並みだとか、どういう所で遊んでいたか覚えていますか?
冨松:これは僕がサッカーを始めたきっかけにもなるんだけど、親父の会社の社宅に住んでいたんですよ。その社宅の広場みたいなところで社宅の子供とサッカーをして遊んでいて、楽しいなみたいな、それがサッカーのスタートだったんですよ。
中尾:サッカーに繋がる環境があったんですね。
親御さんなど周りから、小さい頃あんたこんな子だったよ、とか何か言われたことありますか?
冨松:小さい時は今以上に人と付き合うのがあまり得意じゃない感じで、サッカーを始めるまでは、食事も細いから結構心配されてた印象は確かにあった。
中尾:サッカーは休みの日にやっていたんですか?それとも放課後に団地内で蹴っていました?
冨松:チームに入れるのが4年生からだったから放課後に社宅の広場でやっていたね。
中尾:サッカー以外の習い事はしていましたか?
冨松:公文と習字。公文は小学校の間やっていて、習字は小学校4年生で伊丹に転校する時まで。
中尾:始めたのは自分の意思ですか?
冨松:公文も習字もどちらかと言うと自分の意思はあまりなく、字を書くのが上手じゃなかったからやっときみたいな。まあ、あまり苦手意識もなかったけど。
中尾:小学生時代は何かに夢中になってました?
冨松:小学校の低学年ぐらいの時にローラースケートのブームがあって僕も買ってもらってやっていた。あとはルービックキューブとか。
中尾:サッカー以外に外遊びとかしていましたか?
冨松:外遊びと言うか、おじいちゃんに連れられて京都だとか奈良だとかに一緒に付いていくという感じで。神社仏閣を見たりだとかね、それ自体はあまり面白いとも思わなかったけど、その後で、ご褒美じゃないけどいい店でご飯を食べるだとか、そういうのがあるから。
中尾:先ほどサッカーを始めるまではあまりしゃべらないというか健康面含め変わったという自覚はありましたか?
冨松:健康面は劇的に変わったという自覚はありました。
小学4年で伊丹市に転校して、正式にその小学校のサッカー部に入り活動始めてみると社交性も含めて、ずいぶん変わることができたと言う感じがします。
中尾:小学生時代の引越しは子どもからするととても嫌だと思うのですが、その辺りの順応性などはどうでしたか?
冨松:引越した先が伊丹市の結構大きな新築マンションで、そこの小学校に転校しますという転校生がずらーと並ぶような感じだったから比較的すっと入れました。1人だけ浮くということもなく、周りを見れば転校生だらけみたいな感じでそれは助かったのかもな。
中尾:小学生時代のお父さんの印象、お母さんの印象、またどういう存在だったかという点はいかがでしょうか。
冨松:父親はすごく厳しかった。勉強に関してもそうだし、サッカーに関してもそうだし。
母親は優しかったというか、少し甘いところもあって、今でも覚えているのが、小学校のサッカー部で少し体調が悪くて、練習を休みたいと母親に言ったら、「休んでいいよ」と言ってくれました。少し熱もあったのかな?その後、お父さんが帰ってきて、「何で練習に行かないんだ?グラウンドに行け!」と言われ、それで練習に行ったとか。テストで点が悪くても、同じように怒られた。
中尾:そういうのを踏まえて、躾だったり、どんなふうに子供と接していますか?
冨松:昔と今の人生観の違いもあるとは思うんですけど、うちの親は、良い学校に行って、大きい会社に入って、それが唯一の世界だという哲学のもと色んなことに接するんだけど、僕は逆に高校ぐらいから、そういう考え方にはすごく違和感を持っていて、それだけが正解じゃないだろうと。
一本のレールの上を走ることに固執するなという思いで子供にも勉強にしろスポーツにしろ、それだけやれというわけでもないし、本人らのやりたい事を尊重しながら、人生を歩む幅がある、選択の幅があるということは示していきたいなと。
中尾:子供の頃と比べここが変わったと思うところはありますか?
冨松:年齢があがっていくにつれて変わったところを、すごく荒っぽく言うならば、小学校の時は集団の中で埋もれた存在だったんですよ。
それが中学くらいから、色んな能力が伸びてきて、サッカーでもそうだし、勉強でもそうだし、そうすると学級委員長だったりサッカー部のキャプテンを任されるようになっていく。
一番の違いは、集団を引っ張ってくような、そういうリーダーシップっていうかね、そういうのも求められ、そういうの(リーダーシップ)も取るようになっていったというのが、一番大きな変化だったと思います。
〈学生時代〉
中尾:中学は部活でサッカーをやりましたか?
冨松:そう、サッカー部。県大会には確実に行くくらいのレベル。でも、全国だとか、そこまでは。
中尾:中学時代のポジションは?
冨松:センターバック。小学校の時は色んなポジションやったりしたけど、中学はずっとセンターバック。
早く走ったり高く飛んだり、身体能力の面が抜けた存在になりつつあった時期だったので、柱になる場所にまず据えてという感じだったと思う。
それでセンターバックから上がって点取りに行くみたいな。
中尾:中学時代の学業はどんな感じでしたか?
冨松:学習塾に通ってて、部活やって夜塾に行って、それで日曜は模擬試験があるから自分1人だけ試合会場で合流するわけ。監督も多分気使ってたと思うね。
中尾:中学生時代にやりたい仕事や、将来はこういう風になるんだみたいなイメージはありましたか?
冨松:ちょっと話が前後するけど、小学校のサッカーの監督が、小学校の先生なんだけど、日体大でラグビーをやっていたすごく気持ちが熱い先生で、その人に憧れて、自分も教師にということを思っていたから小学校、中学校時代は教師志望なんです。
中尾:コーチではなく教師志望だったのですね?!
高校への進学はどのように決めたんですか?
冨松:当時は成績でお前はここ、お前はここみたいな振り分けがあって、中学の近所にある県立高校は割とサッカーが強くて、一方で伊丹市の郊外にある進学校も選択肢にあって、中学校の教師は進学校に行けって言っていて。
その2つの高校は学力のレベル差があったから、どっちに行くか悩んで色んな人とも話をして、結果、進学校を強くしてやろうと思って進学校に行くことにして。
僕の中学のレギュラークラス3人くらい同じ高校に行くという話になったから、その3人で高校強くしようぜみたいな。実際は、なかなか難しかったけど。
中尾:その高校のサッカー部に入ってみていかがでした?
冨松:入って、一番愕然としたのは、まず基本的にめっちゃ下手くそだって言うことと、試合に負けて当たり前みたいな空気が蔓延していたこと。僕ら3人が入ることは知っていて、あとは1年に任せたみたいな。顧問もあまりグランドに出てこないし…
中尾:先輩方との関係性はどうでした?
冨松:基本的にはダメなんだけど、それでも一緒にやろうとしてくれる人が1人2人いて、そういう人と一緒にトレーニングして頑張ろうという感じ。
中尾:進級に伴って人の入れ替わりがあると思いますが、そのあたりの変化はどうでしたか?
冨松:多少は良くなっていったけど、入ってくる選手のレベルはどうしようもないし、試合の勝ち負けで言うと非常に厳しい3年間だったと言う感じですね。悔しい試合が多かったかなと思います。ただ、それが大学でサッカーをやろうと思った一つの大きな理由だったかなと。
大学でサッカー部に入ろうというのは2年の秋ぐらいにはもう決めてました。
中尾:どこの大学に行きたいとかも含めてですか?
冨松:ずばり言うならば全国大会を狙える大学。
中尾:高校も学業は高いレベルをキープですか?
冨松:基本的にはキープしたのかな。
面白い学校で、半分は成績上位者が入るんだけど、半分は普通のレベルの生徒が入ってくる学校で、しかもクラスに成績上位者と普通の子らが混在してる。
中尾:特進クラスと普通科とかで分かれてなかったんですね?!
冨松:そう、東大、京大、阪大に行くやつもいれば、吉本(養成所)に行くというやつもいて。なかなかね、今の時代だとハマらないと思うけど。
中尾:大学は、どういう風に決めていったんですか?
冨松:さっき言ったように(サッカー部で)全国大会を狙える大学に行きたい。だけど高校での実績が全く無くて、となると私学(で体育会サッカー部に入るの)はやはり厳しかったので、国公立に絞って。最終的に選択肢に2校残って、より部活が盛んでレベルが高い方を選んで。
中尾:体育会サッカー部に入ったとなると、生活の軸はもう部活ですか?
冨松:とは言っても練習は授業が終わってからだったから、そこは高校とあまり変わらないですね。僕は理系が専門だったから、授業も多かったし。
中尾:中学までは教師になりたいと思っていたという話がありましたが、高校、大学に進むにつれ価値観の変化とか、こういう仕事に就きたいというものは何かありましたか?
冨松:高校までは教員になるという考えはまだ残っていたけど、最終的に大学で入る学部を選ぶ時に、教員というよりは、民間企業で技術者を目指すというイメージが大きくなってきたかもしれない。
中尾:大学4年間、サッカーは続けたんですよね?
冨松:そう、それで最終的に4年生の11月に、秋のシーズンで優勝して、インカレ(全国大会)に出場できることになって。インカレの初戦で負けて終わったんだけど、目標としていた全国には辿り着いた。
中尾:最後の最後で全国に!
相当嬉しかったんじゃないですか?
冨松:嬉しかった!
中尾:4年生の11月まで部活がある中で就職活動はどうしていたんですか?
冨松:当時は大学院に進学しようと思って、就職活動はしなかったんです。シーズン途中で全国に手が届きそうだっていうのが分かって、サッカーに集中すると。
結果的に就職浪人みたいな感じになったけど、自分の中では別にそれに対して後悔することもなく。
結局、院に進まず1年間は研究員みたいな形で学校に籍を置いて就職活動して。
中尾:そこから就職までの流れは?
冨松:今勤めている会社に就職するわけだけど、面接で、自分の大学時代のサッカー部のある意味サクセスストーリーみたいな話をしたわけじゃないですか?そしたら直ぐにサッカー部の監督と総監督が来て、事実上就職活動が終わったみたいな感じですね。

〈社会人(現役時代~大連)〉
中尾:会社のサッカー部へ入部することになりますが、入社して仕事と練習が始まって?
冨松:基本フルタイムで業務をやって、夜に練習。だからそういう意味では(学生時代と)あまり変わってない。工場の近くにグラウンドを持っていて、そこで練習。
中尾:そこから選手生活は何年ぐらい続いたんですか?
冨松:9年ですかね。現役の最後の数年はコーチ兼任しながらで32歳くらいで引退して、
そのタイミングで僕は大阪に転勤になって。神戸のチームに入ってサッカーは続けたけど。
中尾:大阪転勤はご自身の意向もあったんですか?
冨松:サッカーをやめることになって会社が色々と考えてくれて、大阪に何年行って来いみたいな。最後の1年は大連なって。
中尾:そこで大連が出てくるんですね?!
それまで海外志向はありましたか?
冨松:あまり無いですね。無かったけど、同じようなルートで(大連に)行った先輩の話とかも聞いていて面白いなっていう割とポジティブな状態で。
中尾:大連でどうやって行雲(サッカーチーム)に辿り着いたんですか?
冨松:情報誌か何か見たんだと思うけど、幾つかチームがある中で行雲だけ「平日も練習してます」みたいなことが書いてあって、「あ、ええやん」って。これは俺のスタイルにハマるって思って日本にいるうちから担当者に連絡を取っていて、いついつから行きますって。
中尾:それまでバリバリやっていたわけですけど、大連でのサッカーはどうでしたか?
冨松:レベルがどうとかは置いておいて、サッカーを純粋に皆がやっているという印象がすごくあって。真面目に取り組んでいる。上手いとか下手とかはすごい幅を持ったグループであったけど、でも海外生活の中で拠り所になっているのかなって。
改めて、自分がなんでサッカーやっているのかみたいなことに気づかされた。だから一緒に練習だったり関わる時間が楽しい。

〈社会人(帰国後)〉
中尾:1年弱ということであっという間だったと思いますが、帰国後は?
冨松:名古屋に、戻ったかな。
中尾:時々出張で大連に来て、活動にも参加してくれてという感じでしたが、J-ASIAや華北カップ(いずれもサッカー大会)にもよく来てくれていましたね。
冨松:J-ASIAは大会のレベル感も良かったし、
中尾:そんなサッカー一筋の時間から、どういうタイミングでトライアスロンが出てくるんですか?
冨松:思い返してみると、起点は2012年の名古屋シティマラソンで、サッカー繋がりの仲間の奥さんがマラソンをする人で、一緒に出ようという話になってハーフマラソンに出て、やってみたら思っていたより出来るじゃんって。
僕はそこまで耐久系は向いていないと思っていたけど、ちょっとやってみるかということになり、水泳は元々自分の個人トレーニングで取り入れたこともあったので割と抵抗なくできて。最初はアクアスロンというスイムとランだけで、それから次はトライアスロンですっていうことで2013年の6月かな、初めてトライアスロンに挑戦してみたら意外とできちゃう(笑)それからどんどんどんどん加速していくんだけど。
中尾:2012年にハーフマラソンから始めて、2013年に初めてトライアスロンの大会に出て。
冨松:2018年に今度はトライアスロンの関連種目だけど、水泳のないバイクとランだけのデュアスロンという競技の世界選手権がデンマークで開催された時に日本代表で出場することになって。カテゴリーというか年代別だから日本からは30人くらい参加して。
あとは佐渡のトライアスロン。日本国内の一番距離が長い大会でトータル13時間。
佐渡は2回目はいいかなと思っている。
中尾:今もトライアスロンは続けているんですか?
冨松:2021年から(会社のサッカー部の)監督業があるから、そっちが優先になる。ただここ3、4年ぐらいかな?真夏は公式戦をやらなくなったので、中断期間で1本だけ出ようと思って7月に(トライアスロンの)大会に参加して。
中尾:暑いからサッカーやらないって言ってるのに…
今もトレーニングや泳ぐ練習は練習しているんですか?
冨松:プールとかでやっていますね。朝は短いけど、ランとスイムをやって、それから出社して仕事して。
中尾:定時に仕事を終えて、サッカー(の指導)をやるわけですよね?
冨松:もうヘトヘトなるよね。朝の5時半からトレーニングやって、サッカーのトレーニング終了が20時半とか。
中尾:どうやって時間管理しているんですか?
冨松:打合せだとか会議がなければ、タブレットと携帯とネット環境があれば何でもできるから、空いた時間を有効活用するということ、で、それは若いうちからずっとだから染みついているというか。
中尾:学生時代含め、サッカーやトライアスロンで色々な方と関わってきたと思いますが、特にこの人の影響を受けているなとか、この方の御指導が強く印象に残っているなということはありますか?
冨松:学生時代で言うならば、サッカーに関していえば大学の監督だったり、高校の監督も練習には全然来なかったけど、実は自分と同じ大学のサッカー部を卒業していて(高校を)卒業してから結構関わり合いがあって。
だけど、サッカーに関して言うならば、最も影響を受けた言葉っていうのが、中学のチームメイトのお父さんが僕に言った言葉で。
高校進学先を迷っていて、最初は(サッカーが弱い)進学校のサッカー部には入りたくなくてクラブチームに行こうと思っていて、でもクラブチームに入るもの難しいだろうからクラブチームがダメだったら社会人でやろうかなとか。
その社会人チームのコーチが中学のチームメイトのお父さんで、進路で迷っている話をした時にその人が「弱くてもそのサッカー部でサッカーをしたら良い。サッカーを一生の楽しみにしたら良い」って言ってくれて。その言葉がすごく残ってて「サッカーを一生の楽しみに」という言葉を聞いて自分の中のサッカーの立ち位置がカチっと嵌る感じがして今に至るっていう。
勝ちたいは勝ちたいけれども、それが全てじゃない。最近、サッカー部の採用活動で大学とかで会社説明会とかやることがあるんだけど、今の大学とかクラブでサッカーやっている人というのは、プロになれなかったら、サッカー辞めますっていうのが結構いて、そういうのを聞いた時に、「サッカーが好きなんか、プロが好きなんかどっちなんだっけ?」みたいに聞いたりして、その時にさっきの言葉を引用して、「サッカーを一生の楽しみにしていくストーリーもありなんじゃないか」という話をしたりしています。
だから、そういう言葉が腑に落ちたメンバーが(入社して)仕事とサッカーをやっていて。
中尾:メンバーの採用活動は元々監督の役割の一部なんですか?
冨松:本当は分けたい。別の人にやらせるべきだと思うから、今年は若いコーチに入ってもらって最終的にはゲームを任せようかなと。
中尾:これまで何か挫折した思い出とか、あの時期きつかったみたいな時期はありますか?
冨松:サッカーは挫折なんていっぱいあるよね。高校時代なんか3年間全然勝てなくて挫折感を味わってばかりだったし、大学に入っても、1年の時は、自分の身体能力がほぼ通用しなかったし。
中尾:そういう時は、どういう心持ちで、どういう風にそれを越えて行ったんですか?
冨松:高校に関して言えば、次の目標を見据えた中で練習をするようにしていたし、大学の時は努力する方向だったり知識も増えて引き出しが増えたから、頑張れることが増えたという感覚はある。高校の時は、頑張りたいけど、どうしたら良いのか分からないというのがあったけど、大学では、今こういう状態だから、こういうことをやっていこうかな、っていう。

〈家族〉
中尾:ご家族のことを伺いたいのですが、奥様とのコミュニケーションで気を遣ってるとか、関係性で気を付けていることはありますか?
冨松:まあ、お互いに干渉しすぎないというところ。家内は自分と真逆でよく喋る人だから会話をするということかな。
中尾:子供と過ごす時間の中で何か気をつけていることはありますか?
冨松:1つは最初の方に言ったけど、型にはめ過ぎないとかレールは1本だけじゃないということはところはあるけど、僕がやってる姿は見せてきたつもりではある。
中尾:娘さんがトライアスロンを始めたのは、冨さんが始めたからですか?
冨さん:そうだね、お祭りみたいな感じで、一緒にやろうかってやって、それが何回か続いて、ハマっていって、大会に出たら毎回金メダルみたいな。
〈クロージング〉
中尾:最後の質問で、50代を迎えたとはいえまだまだゆっくりするには早いと思いますが、残りの50代或いは60代に向かって仕事とプライベートそれぞれ今後チャレンジしていきたいことを教えてください。
冨松:仕事に関しては、組織全体を良くすることを考えてと言われていて、労働生産性だったり効率化というところをこれまでの知識と経験を活かしてやっていけたらと思っています。
サッカーに関しては、夢を現実にしたいというのがずっとあります。今の会社のグループで、高校、大学、社会人チームとそれぞれにサッカーチームがあって、高校のチームの先生とも話をしているんだけど、グループのブランドを作り上げたい、統一したゲームモデルとか。
それぞれがそれぞれにやってきた中から共通項を探りながら、一気通貫的な軸が通った組織にできればと思っていて、少しずつ動いていければと思っています。
中尾:壮大ですね。
冨松:プライベートに関しては、子供たちがそれぞれやりたいことをしっかりやっていけるように一緒にやっていく、基本的にはそれです。
成果がどうのこうのだとかではなく、結果ばかり求めすぎずに、好きなことをすると、面白いことになるのかなと思っています。3者3様で、それぞれの好きなものが、好きな形で進んでいってくれれば良いと思っています。
そこに、必要な支援サポートがあればしていきます。
中尾:今日は色々とありがとうございました。
(了)





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