【私の会いたい100人:第22回】
- nakao3126
- 11月10日
- 読了時間: 21分
「私の会いたい100人」
ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。
絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし
会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、
はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。
そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、
ということを知る一つのきっかけになればと思っています。
それでは、第22回
お楽しみに

〈オープニング〉
「私の会いたい100人」第22回のゲスト
博子さんこと 花堂 博子 さんです。
博子さんは、前職の同僚で、社内のみならず対外的にも他の方が気づかないことなどに
目配り、気配りができる方で、組織が正しく機能する上で必要不可欠な方でした。
担当する事業も異なり、それほどプライベートの面など聞いていなかったので、
今回色々とお話を伺えればと思います。
中尾:インタビューの冒頭に皆さんに聞いているのですが、名前の由来は?
花堂:おばあちゃんの頃から入信している宗教があって、そこの偉い方につけてもらったと聞いています。多分、博識な子にとかそういうことなのかなとは思うんですけど。
中尾:何年生まれですか?
花堂:昭和61年(1986年)。
中尾:もうすぐ40ということですね?
生まれは?
花堂:名古屋です。
〈幼少期〉
中尾:小さい頃の例えば保育園の思い出とか、何か印象に残ってることってあります?
花堂:いっぱいありますよ。
中尾:どんなお子さんでした?
花堂:多分世で言うところのお転婆ではあったと思います。結構怖いもの知らずで、なんか塀の細いところ歩いて行ったりとか、で、ちゃんと足を踏み外して、落ちて怪我する、とか。
年長の時に、鉄棒に座ろうとして、顔から落ちて、その時に手をつこうとしたのが失敗してひびが入って、、、
その先生からもらった手紙を今も取ってあったり。「痛い思いさせてごめんね」みたいな。
初恋の子の顔も覚えていますし。入園式で隣だった男の子でした。
中尾:小学校に上がってからはどうでしたか?
花堂:小学校は元気は元気だったんですけど、どちらかと言えば地味キャラ、地味グループ。
人見知りという訳ではないんですけど、人の顔色伺ってる子だったと思うんで。
中尾:小学校の時に夢中になったり流行ったものはありました?
花堂:人並みに「りぼん」とか「なかよし」とかが流行ってたので、セーラームーンとかははまりましたし、あとは4年生から部活でソフトボールやってたので、もう毎日ソフトボールですね。
中尾:小学校の部活ですか?
花堂:小学校です。ほぼ毎日あって。
中尾:他にも(選択肢は)有ったと思うのですが、ソフトボール選んだのは?
花堂:叔父が野球好きで、多分(叔父と)キャッチボールしてたんだと思うんですけど、3年間続けるならグローブ買ってあげるって言われたんで。それでやってみたら、めっちゃハマりましたよ。やって良かった。
中尾:そうすると、放課後は大体部活ですか?
花堂:はい。部活が無い日は公園にグローブ持って行ってという感じで、休みの日も練習やってという感じです。
中尾:勉強とか、例えばピアノとか、そういう習い事とかもやっていましたか?
花堂:2年生から5年生ぐらいの時に書道をやっていましたが、真面目にやっていなかったので、字は汚いままですね。
お茶の先生でもあったので、抹茶も出してくれてちょっと茶道も学べるみたいな。小学生なので面白いとは思わなかったと思いますが、お菓子美味しいって食べたり(笑)
中尾:親御さんはどういう存在でした?
花堂:末っ子なので、私には優しい。というか優しい両親だとは思います。父さんはちょっと怖いと思ってたところはありますが。兄や姉が怒られているのを見て、それをやらないようにしたりとか。
中尾:子どもの頃を振り返って、今とあの頃は全然違うなと思うことはありますか?
花堂:人の顔色とかが気になるのは、潜在的には(今も)あるとは思ってて。こっちの顔を立てようと思うとこっちがってなるから、今度はこっちの顔持ってとかで、八方美人なことしてたから、(小学校で)多分イヤなことをされたんだろうなとかも思うので。
今も職場で自分が言ったことに対して相手から思った反応ではなかった時に、相手はどう思ったかな?とか考えてそれが1日気になっちゃって、ということもあるので。
でも、(自分が)気にしても相手は変わらないというか、変えられないから考えてもしょうがないみたいなことも色んなコミュニティに参加する中で学んでいって、自分の人生を楽しもうみたいな、そういう風になったので、多分昔とはちょっと違うとは思うんですけど、でもまあ、一部分やっぱり残ってるなっていうのは感じます。
〈学生時代〉
中尾:中学に入ってからもソフトボールを続けました?
花堂:そうですね。
中尾:じゃあ本当にハマったというか。
花堂:あとは、途中でやめるのはあんまり好きじゃなくて。
先生も熱心にやってくれてましたし。
中尾:ポジションは?
花堂:最終的にはピッチャーやってましたね。
名古屋市では4強とかでした。県大会には2年連続で行ったんですけど、県大会では1回戦負けっていう。
中尾:結構強かったんですね?!
高校の進路はどういうふうに決めたんですか?
花堂:中学校のソフトボール部の4つ上の先輩で、すごいかっこいい先輩がいたんですよ。 女性ですけどね。その人が行った高校に行きたいなと思って。その高校はソフトボール部がなかったんですけど、中学校のチームがすごい最高で、自分にとっては、このメンバー以外とだったら別にソフトボールやれなくてもいいやって思ったんで。
その高校はバドミントンが強かったので、じゃあ次は個人戦やろうと思って。
あとは、叔父から「これからは福祉だよ」って言われて、福祉を学ぶんだったら愛知県にあるこの大学が良いのかな、じゃあその大学に行くんだったら進学校にしないと、という感じで色々考えてその高校に行くことにしたっていう。
中尾:その頃に将来就きたい仕事のイメージはありましたか?
花堂:漠然とですけど、福祉分野に行きたいっていうのはありました。
中尾:高校の受験は、中学の内申点とかも当然あるわけですよね。
花堂:そうですね。あの頃から朝が苦手で、遅刻を年に77回ぐらいしてて、推薦は当然できないと言われて…
中尾:中学で年間70何回も遅刻してたんですか?
ヤンキーでももうちょっとちゃんと来てたもんな…苦笑
高校では先ほど話がありましたが、バドミントン部に入ったんですか?
花堂:それが、部活見学の日にバドミントン部が屋外練習の日で、バスケ部とかバレー部とかと交代交代でしか使えないので、その日はランニングとか筋トレ練習みたいな日だったんですよ。
そんなの見てもしょうがないので、憧れてた先輩が(かつて)入っていたハンドボール部ってどんなもんかなーみたいな感じで傍目で見てたら、バーってハンドボール部の人が走ってきて、「何?ハンドボール?それともサッカー?」って。
その奥でサッカー部が練習していたので、サッカー部のマネージャーの希望とどっちみたいな感じで言われて、「いや、ちょっとハンドボールを見てたんですけど」って言ったら、「もし良かったら来なよ」って言って、「おいでおいでもっと近くに来なよ」みたいな感じでそのまんま引き込まれました。
結局、バドミントン部を見に行くことは無かったですね(笑)
中尾:やってみてどうでした?
花堂:面白かったですね。結局大学までやってるんで。
中尾:(ソフト部でピッチャーだったし)地肩が強いんですかね?
花堂:そうかもしれない。
中尾:ルールとか馴染むのにどれくらいかかりました?
花堂:そんな複雑なルールは無いので、3歩までしか歩けませんとか、2回ドリブルしたらダメとか。
中尾:オリンピックとかの試合を観ていると相当ボディコンタクトがある印象ですが、高校ではどんな感じでしたか?
花堂:結構普通に掴んだり押し合って良いスポーツなので、たまに球技大会とかでバスケをやると、まあ軟弱なスポーツだなと思うわけですよね、ちょっと当たっただけでファールみたいな。
なのでハンドボールはガンガンガチスポーツだっていうイメージです。高校の部活レベルでも多分それが当たり前。そうやって(相手を)止めるもの。むしろそれがナイスプレー。
中尾:そうなんですね。
憧れてた先輩は既に高校を卒業していたと思いますが、2年生、3年生でまた新たな憧れの先輩とかいましたか?
花堂:いましたね。先輩みんな尊敬しています。
先輩たちは強くて、県大会常連だったので。
中尾:学年が進むにつれて環境もその年々で変わるわけですが、辞めたいなとかつまんないなとか言う場面、状況はありましたか?
花堂:高校の時はあんまり無かったですね。毎日楽しくて、部活のために学校行ってるみたいな感じだったので。
中尾:先ほど大学でも続けたという話がありましたが、スポーツ推薦で進学したんですか?
花堂:全然関係ないです。一般入試で。
ただ、中学の頃から福祉大学に入るという目標がありましたが、高校に入って、どうも私立大学と公立大学で費用がだいぶ違うというのを知って、うちの家計状況を考えたら、私立なんて行ったら大変なことになるんだろうなと思って、やっぱり公立を目指す方が親にはいいんだろうと思って、福祉学科のある県立大学を受けたんですけど、頭が全然足りなくて…
中尾:では県立の大学ではなく、中学時代から目指していた大学に行ったんですか?
花堂:そうですね。一浪したんですけどね、現役ではその県立だけしか受けなかったんで。
高校(入試)で何とかなったから大学も何とかなるんじゃないかなって思ってたけどならなかったですね。受験者そんなに多くないんですけど、私の番号だけ無かった。
中尾:いざ受からなかった時ってどんな感じでした?
花堂:怖いと思いましたね。でも、(受験勉強を)頑張ってたけど頑張ってなかったのかなと思うと、そんなに泣くとか絶望な感じではなかったですね。
中尾:それで1年勉強して、次は(目標にしていた)福祉大学に標準を絞って入学し、ハンドボール部にも入って?
花堂:そうですね。
ただ、部活とは名ばかりの、週に2回ぐらいしか練習がない、弱小チームだったので。私や1つ上の先輩たちは多少なり勝ちたい、やるからには勝ちたいという思いがあり、
練習時間を増やせるように先輩に交渉してみようとか。
中尾:中学、高校と比べたら(部全体の)温度感が違っていたと思いますが、続けたんですね?
花堂:そうですね、ただ、バイトもしたかったので。
その大学はソフトボール部が強かったんですが、週6回部活があり、土曜日も部活があり、夜遅くまでやってるので、多分下宿じゃないと厳しいみたいなことを聞いていたので、どっちかといえば遊びもやりたい、スポーツもやりたい、バイトもやりたいっていう中ではハンドボール部で良かったのかなと。
今思えば、あれだけスポーツに時間をかけれることは、この先の人生でないから、最後にやっておけば良かったかなっていう後悔もなくはないんですけど。
中尾:(ソフトボール部とハンドボール部の)両方から勧誘されなかったんですか?
花堂:高校の先輩がハンド部にもいたんですよ。あと、別の高校だったんですけど、なぜか私に憧れてくれてた子から、一緒にハンドボールやりたい!って熱烈アピールを受けて。
結構他校の子から告白とかされるタイプで。中学の時もありがたいことにラブレターとかもらったり。
中尾:すごい!
一般的に大学は4年間遊ぶところみたいなイメージで(大学に)通ってる人も多いと思いますが、博子さんどうでした?
花堂:勉強は正直もっとやっておけば良かったなと思うぐらいしかやってなくって、でもバイトもいっぱいしました。バイトは2つ、朝コンビニで6時から9時働いて、それから学校行って、授業受けて部活があれば部活やって、その後バイトとかやってました。
中尾:大学進学までは中学から見えてた道筋を進んだと思いますが、社会に出るにあたってはどういう風に進路を選んでいきましたか?
花堂:大学2年生の時に、「福祉用具専門相談員」の資格を取ったんですよ。大学に行かせてもらったのに、資格も何も取ってないのは格好つかないかなと思って。そしたら福祉用具がめちゃくちゃ面白くて。
中尾:面白いって、どういったところに惹かれたんですか?
花堂:あの、鉄板に手すりついてるやつあるじゃないですか。

あれを知った時に、このシンプルかつ無駄のない実用性ってすごい!って。
お年寄りも立ち上がっちゃえば歩いていけるけど、その立ち上がるところで転んじゃったり、立ち上がれなかったりするからずっと座ってるとかになっちゃうんですけど、これがあれば人を立ち上がらせられる、活動範囲を広げられるってすごいな、これって誰が考えたんだ?この天才は?って。
中尾:こういうのはなかなか目に入ってこないですもんね。
花堂:手すりって壁があるところにしか付けられないものと思っていたのに、何もない空間に手すりを出現させるっていうのが、すごいな、と思って。
中尾:そうすると(大学の)割と早い段階で、福祉用具に進むと?
花堂:就職活動も、多分全部で7社か8社しか受けてないと思うんですけど本命は福祉用具で。それで福祉用具の2社から内定をもらって、微妙なフィーリングで決めました。
〈社会人時代〉
中尾:最初に勤めたのは名古屋の会社ですか?
花堂:全国展開していて名古屋にも営業所がある会社で、最初は名古屋勤務でした。
中尾:最初の給料を何に使ったか覚えてます?
花堂:うーん?多分親に何か買ったと思うんですけど、ちょっと覚えてないけど。
中尾:お仕事(役割)はどういった内容だったんですか?
花堂:営業です。主にはケアマネさん(ケアマネジャー)のところ(への営業活動)です。病院とか施設も稀にありましたけど、基本はケアマネさんですね。
中尾:ケアマネさんが福祉用具を選ぶ選択権を各々持ってるものですか?
花堂:事業所ごとに、ここ(の福祉用具業者)を使いましょうとか決まっていたり、自社で(福祉用具事業を)持っていたりとかするとそちらを使ったりすると思うんですけど、基本的にはケアマネさんが自分のやりやすい担当者を持ってる人が多いと思うんですよね。
そうすると、(福祉用具が)必要な時に連絡が取りやすいとか、コミュニケーションが取りやすい人に依頼するようになると。
中尾:そういうことなんですね。ご自身では仕事内容は向いてると感じました?
花堂::そうですね。でも、なぜかそこで凄い人見知りとか発揮してたので。ちょっと、訪問とかは結構びびったりしてて。
10年選手の大ベテランの方から引き継いだ先とかもあって、(相手からしたら)いきなりこんな頼りない者が来て、みたいな雰囲気があったり、うちいがいの営業もしょっちゅう来るんで、みんな結構冷たいんですよね。
でも、利用者の方から「ありがとう」と言われるその言葉で全て報われるので、向いていたかは分かりませんが、とてもやりがいを持ってやれたなと思います。
中尾:希望していた福祉用具の業界に入りましたが、イメージしてた仕事だったのか、やりたいこととマッチしてるかという点ではどうでした?
花堂:想定通りとまではさすがにいかなかった。思っていたより厳しいなとは思いましたけど。でも、元々福祉にどっぷりも行きたくないと思ったんですよ。
福祉(の仕事)って、言い方悪いですけど、何歳からでもできそうというか、福祉(業界)に行ったら、もうそれ以外の業界に戻ってこれないんじゃないかとか、福祉事業以外も見てみたい気持ちも捨てきれなくて、でも、せっかく親が頑張って大学にも行かせてくれて、福祉を選んだので、福祉の業界に行かないのは無いとも思っていて。
そう考えると福祉用具屋さんは、一般事業寄りで丁度良かったかなと。(福祉)業界に属してるけれども、営業ノルマが有ってとか他の民間事業の当たり前な部分もあって、気持ちの中でも良いバランスが取れてるなという感じがあって、そういう意味ではそんなにギャップで悩むことはなかったかな。
思っていたより仕事を取る、数字を作るってなかなか出来ないものなんだなというギャップはありましたけど。
中尾:その他、製品を覚えるとか知識量を増やすことも結構大変なことだと思うのですが、その点はいかがでしたか?
花堂:営業でも1位にはなりたかったので、ずっと勉強してました。カタログをずっと眺めて、時にはノートに書きこんでとか、そういうタイプだったので、知識が増えていくのは好きというか。なので、先輩に勉強会開いてもらうよう働きかけたりとか、パフォーマンスもちょっとありましたけどね(笑)
中尾:ベストパフォーマーみたいなのでアメリカかどこかに行ったという話ありませんでしたっけ?
花堂:新人賞を取らせていただいた時にアトランタに。福祉用具の展示会があって、そこに行くメンバーに選ばれて。
中尾:1社目はどれくらいの期間お仕事をしていたんですか?
花堂:8年半ぐらいですかね?
中尾:ずっと名古屋ですか?
花堂:いや、名古屋は3年半ぐらいで、京都で2年、千葉で3年です。
〈同僚時代〉
中尾:どういう流れで次の仕事に移ったんですか?
花堂:1社目を辞めて最初は名古屋に戻ろうと思っていたんですけど、私の思い描く関東ではなかったんですよ、千葉が。
車要らないと思って京都で手放して、こっちに来たのに、あれ?みたいな。車要るなみたいな(笑)
折角(関東に)出てきたし、これで名古屋に戻ったら、一生名古屋から出ないと思っていたので、もうちょっと東京にいてもいいかなと。
でもこの先どうしようかなって思ってた時に叔父と食事に行ったら、それならうち(叔父の会社)に来れば良いじゃんみたいな話になり。
中尾:それで転職することになったんですね。
(後に私と同僚となる)2社目では元々やっていた福祉用具でっていうことにはならなかったんですか?
花堂:ならなかったですね。私を(福祉用具事業に)配置すると多分赤字になってしまうんですよね。それと配置されることになる有料老人ホーム紹介事業で人を増やして、手厚くしたいと(社長である叔父は)思っていたと思うので。なので、元々3人でやっていた事業部に私含め3人が同時期に入社しました。
それと、福祉用具は在宅(介護)に入る時に関わるんですけど、(施設)入居するか亡くなるかで利用が終わってしまうんですよ。だからその(施設入居)先ってどうなっているんだろう?というのは気になっていたので、そういう意味でも、良い経験になりました。
中尾:入社当時のモチベーションはいかがでしたか?
花堂:モチベーションめちゃくちゃ有ったんですよ。仕事もそうですが、会社の改善点もいっぱいあるじゃないですか?そういう点ではやりがいしかなかったですね。
そんな中で、スタッフと社長との距離の無さというのが私としては衝撃でした。前の会社は本当にきっちりしていたので、社長に話しかける時とか決済取りに行く時も、下準備なしで行くなんてダメだったのが、ここでは上長すっ飛ばして皆社長に言うみたいな、そんなことある?!というカルチャーショックってやつですかね。
中尾:2社目はどれくらい在籍しましたか?
花堂: 3、4年くらいだと。
中尾:(中尾から見て博子さんは)会社として、組織として、欠けているところや改善点を見つけるのが上手だと思いますが、やり切れなかったなとか思う部分はあります?
花堂:(事業開発を任されていた)教育事業は、本当にお金も結構かけてもらっていたので、やりたかったですし、予算感とか、そういうのをもっと考えなきゃいけなかっただろうなと今なら思いますし。
あとは職場環境ももっと整えたかったというか綺麗で働きやすくと、その方がみんなも働くモチベーション上がるのかなと思っていたけど、そもそも変える必要もなかったのかなとかも思って、気付かなくても良かったことに気づいてしまった上に、(皆が)働きにくくなっちゃったかなとか、そういう意味で(自分の)やり方が正しかったとは思わないですね。
中尾:気づく数が他の人と桁が違うから、尚更そう感じる部分があったのかもしれませんね。
花堂:面倒見てくれていた方に、気づいたこととか正論を全て言うことが正しいとも限らない、ということを最後に言われて、本当にその通りだなと思って。
その人はあの会社しか知らないはずなのに、バランス感覚だったり、(全体を見て)うまく回そうとしていたこととか、なぜああ育ったんだろう?と感じるくらいに、すごいなと思っていますね。
あとは、上長だった方や他のスタッフもですけど、社長に対する信頼というか、それだけ社員を思わせることができる社長もやっぱりすごいものを持ってるんだなと思いますね。
そういう意味では(社長は)独特な考えを持っているので、組織のやり方に嵌めるのはきっと違うんだろうなと思わせられる人でしたね。
〈現職について〉
中尾:前職を離れ3年目に入っている訳ですが、今のお仕事、役割は内容ですか?
花堂:今は、成年後見の手続きを進めたいとか、そもそも(成年後見が)どういう制度なのかとか、どういう手続き、準備をすべきかなど分からない方からの相談を受けています。
こういう制度があるから使ってくださいって銀行から言われたんですけど、とか。
書類の書き方を教えたり、セミナーなどで後見制度という制度を知ってもらう活動だったり。
中尾:職場が変わり、転職前と時間の使い方含めて変わったことはありますか?
花堂:(今の職場は)定時が5時半なんですよ。以前は終電に乗れるか乗れないか、みたいな感じで帰ってたので、圧倒的にプライベートの時間が増えましたね。でも、逆に残りたなと思ってる時でも、雰囲気的に残りづらいので(苦笑)
中尾:中学生時代の年間70回の遅刻エピソードがずっと頭に残っているのですが、社会人になってからはどうでした(笑)
花堂:社会人になってからは無いです(笑)
1社目の時に寝坊して、起きたらもう始業時間だったみたいな時は1度ありましたけど(笑)。
大学で朝起きる練習の為に、早朝のコンビニバイトをやっていたんで。
中尾:そっか、そっか(笑)
ちょっと話変わりますが、ご主人とは千葉?東京?いずれにしても関東に出てきてから知り合ったんですか?
花堂:そうです、東京に移ってからです。
中尾:先ほどの話のようにプライベートの時間を確保できるようになったのはご主人としてもお二人にとってもプラスですよね?
花堂:そうですね、その点に関しては良かったねとめちゃ言われますね。時間だけじゃなくて、考え方とか、そういうのもずっと話を聞いてくれていたので。
中尾:(ご主人は)割と仕事のことでも、色々と相談というか、気軽に話も聞いてくれる感じですか?
花堂:そうですね。
中尾:今のお仕事におけるモチベーションはどうですか?
花堂:制度のことがきちんと伝わるとか、分かりやすかったねとか、そういうふうに言われるのは嬉しいんですけど、それよりもみんな悩んでるのが、相談場所が分からないことで漠然と不安というか、自分が困った時にどこに相談したらいいんだろうという不安。
なので、相談できる所があるんだねって知るだけで、すごい安心して帰る人が多いので、(自分の部署のことだけでなく)そういう情報をどれだけ相手に渡せるというか、っていうのがモチベーションというか面白い、やりがいのある仕事だなと思ってて。
相続のこととか、死んだ後のこととかって学校では教わらないじゃないですか。でも親は絶対死ぬし、いずれ自分も死ぬし。そうなった時にどういうことが発生するかっていうのをみんな知っていれば、そんなに不安になることは本当はないんだろうなって。
特に最近トレンドなのが、8050問題をどうするかとか、1人暮らしの人が多いとか、親族がいてもみんな高齢だったり遠方だったりで、みんなすごい心配なってて。
介護保険払っているのに、何で死んだ後の火葬費を保険で賄えないんだろうってすごい思ってて、介護保険を使わない人もいるけど、死は必ず全員に訪れるんだからその分を取っておけば火葬費分も貯まるような気がするんですけど。
そういうのも、死について考える人が、生きてる間にはなかなかいないから、そういう声も意外と上がってこないのかななんて、でも毎日そういう相談を受けていると、何とかしてあげようと思うわけで。
中尾:そういうのは、我々ではなかなか気づかない部分ですね。
〈今後について〉
中尾:40代に差しかかる年齢になり、お仕事とプライベートと、新たにやってみたい、チャレンジしたいなということをそれぞれ教えてください。
花堂:仕事は、何がやりたいは具体的に無いんですけど、新しいことに取り組んでみたいなと。
元々途中でやめるのが好きじゃないから、続けることが美徳って思ってたんですけど、1回(会社を)辞めてみたら、楽しいことばかり。単純に知らなかったことを知れるのがすごい楽しいので、また違う仕事をやりたいなとか。
今更福祉じゃない分野に行く勇気は余り無いんですけど、福祉以外の業界も見てみたい気もするし。全く関係ないところで、きっと目から鱗なこといっぱいあると思うし。だから自分の世界って狭いんだなと思うとちょっと(福祉業界から)飛び出てやる可能性もあるかなと。
中尾:プライベートはいかがですか?
花堂:プライベートは、今は旦那と2人で何しようっていうワクワクもあって、日本47都道府県行こうみたいなのは言っていて。まだ12(都府県)ぐらいしか行ってない(笑)
中尾:そんな少ないですか?
花堂:出不精というか通過した所も行ったことにしようかと言うくらいに行ってないと思う。
中尾:ご主人は色々出かけるのは好きなんですか?
花堂:旅行とか企画するのがあまり好きじゃないので、だから、行きたいね、そうだねって言っても全然実行に移らない。
中尾:なぜその2人がその目標を立てたんですか?
花堂:謎ですよね(笑)
ただ、沖縄とか奄美大島とかにも行ったのですが、行けばやっぱり楽しいんで。
中尾:目標達成、楽しみにしています(笑)
今日は色々とありがとうございました。
ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。
それでは第23回お楽しみに。
ではまた。
(了)





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