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【私の会いたい100人:第9回】

更新日:2月14日


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第9回


お楽しみに


中尾:ということで始まりました    「私の会いたい100人」、第9回のゲストYUYAさんこと伊藤 裕也 さんです。

 

   YUYAさんは、わたくし中尾が学生時代に1年休学し、ワーキングホリデービザでオー

   ストラリアに渡り、通っていた語学学校とバイト先の日本料理屋で共に過ごした先輩

   で、帰国後もお互い地元が横浜だったり、今の自宅もすぐ近所ということもあり、

   25年来の付き合いで色々と面倒を見てもらっていますが、今回のゲストである

   伊藤 裕也さんのプロフィールを紹介したいと思います。

 

   あくまで記憶ベースなので、間違っていたら後ほど訂正をお願いします。

 

 

 〈プロフィール〉

 1976年生まれ? 48歳?

 東京都出身

 子どもの頃はサッカー少年で俊足ウイングとして東京中に名を轟かせていました。

 社会に出てから一度立ち止まり、ワーホリでオーストラリアへ渡り、スパイクを脱ぎ、代

 わりに包丁を握り、料理長の右腕として腕を磨いていました。

 帰国後も食品事業に関わり、商品開発などを経て、現在は某食品メーカーの営業として、

 活躍中でございます、本日のお客様 伊藤 裕也さんです。



〈ビフォーAUS〉 

 

中尾:生まれが早速違いました?75年でしたっけ?(そう)去年が年男だったんですね。

   東京出身は合ってます?

 

伊藤:うん、足立区出身。

 

中尾:いつ横浜に移ったんですか?

 

伊藤:横浜は18(歳)からじゃない。

 

中尾:それまでずっと東京ですか?

 

伊藤:親父の転勤で仙台に6年間いたな。横浜は、父方のじいちゃんが一人で居たから、同

   居することになって。

 

中尾:仙台に居たのは何歳の頃ですか?

 

伊藤:2歳から8歳。

 

中尾:小学校に入ったのは仙台で、途中で東京に戻ってきたと。

   仙台の時の思い出とか記憶ってあります?

 

伊藤:全然ある。宮城野区の団地に住んでたんだけど、冬はやっぱり雪が積もるから、公園

   とかで短いスキー板履いて滑ってたし、近くの川にスルメイカでザリガニを捕りに行

   ったり。

 

中尾:小さい頃からそんな遊びをしていたんですね。それは親御さんというよりは、周りの

   友達とですか?

 

伊藤:そう、その団地のコミュニティというか、兄ちゃん、お姉ちゃんというか歳もばらば

   らで男も女もいて、野球もやるし、鬼ごっこ、缶蹴りもやるし、色々だね。

   

   明確に覚えているけど、その団地仲間で俺が小学校1年か2年の時、5年生のAくんっ

   ていうのがリーダーなんだけど、おませにも序列というか役職がつく組織なの。それ

   で、目立ち度だったり、野球で活躍したとか、マラソン大会の練習で1位になったと

   かってやっていくと、係長から課長になったりする。


   で、活躍が認められて、2つ・3つ年上を差し置いて気が付いたら2年生で専務まで行

   ったからね(笑)

 

中尾:すごいですね?!

 

伊藤:あれは子どもながらに嬉しかったね。

 

中尾:(仙台を)離れる時は

 

伊藤:寂しかったね。

 

 中尾:東京に戻ると言っても、居たのが2歳までで幼馴染がと言うことでも無いと思うの

   で、転入して馴染めない時期とかもあったんですか?

 

伊藤:あったね。同じ名前の子がいて、「お前もユウヤ?生意気だよ」(バコッ(蹴))っ

   て。まあ1年後には立場が変わってたけど。

 

中尾:当時はどんな子供でした?

 

伊藤:もてたよ(笑)

 

中尾:バレンタインとかも?

 

伊藤:そんなぶあっともらったことは無いけど、4つ5つくらいは、しかも手紙付とかちゃん

   としたやつね。足も速かったし。

 

中尾:運動会も?

 

伊藤:当然リレーのアンカー。

 

中尾:本当に速かったんですね?夢中になってたのってどんなものがありました?

 

伊藤:何だろ?あの頃は「少年ジャンプ」だよね。「キン肉マン」とか「北斗の拳」、「キ

   ャプテン翼」、「流れ星銀」、「聖闘士星矢」とか「ハイスクール奇面組」とかね。

 

中尾:そこら辺は一通りアニメになってますもんね。

 

伊藤:(最近は)パチンコにもなってるし、俺らの世代を狙ったビジネスにも繋げていって

   るようなのはあるよね。

 

中尾:中学では部活は?

 

伊藤:陸上部です。幅跳びと最初はハードルだったんだけど、(ハードルは)中1と中2でい

   きなり規格が変わるので、中2からの高さ、幅は俺の中だと絶対ダメってなってハー

   ドルはやめて幅跳びとリレーだね。

 

中尾:成績ってどんな感じだったんですか?

 

伊藤:幅跳びは足立区3位。

 

中尾:スゴイ?!幅跳びってどれくらいですか?

 

伊藤:5m70cmとかじゃない?でも都大会に行く基準はクリア出来てなくて。ってこんなん

   で時間足りる?

   ちょっと大事なことを話しておくと、中学受験で失敗して一度挫折してんだよね

 

中尾:受験してるんですか?

 

伊藤:金八先生の舞台になった学校で、あまり良くない噂もあるから行かせたくないってい

   う親もいて。小学校で私立(中学)に行きたいって言ってる友達がいたから、自分も

   勉強したいって言って勉強したんだよね。でも3盾くらって。

 

 中尾:失敗したとはいえ、中学受験もしている中で、中学から高校とかどんな進路のイメ

   ージを描いていたんですか?

 

伊藤:中学の時点では何にも無かったんじゃない?

 

中尾:進んだ高校を選んだ基準は?

 

伊藤:勉強が嫌いだったんでね。特に受験勉強の暗記、暗記みたいな、やり方通りやれば良

   いみたいな。それが全然面白くないから。

   普通科行ったら中学でやってることのレベルアップ版をまたやるわけでしょう?

   で特にこれが好きっていう強化も無かったから、もうちょっと横に広げたかったんで

   ね、商業化とか工業化とか別なことをやりたいなと。


   それで工業高校に行くことにして。機械科、電気科、電子科、情報処理科、建築科だ

   ったかな?5つコースがあって。


   別に建築が好きでもなんでもなかったんだけど、一番女の子が多くて、6:4くらいの

   割合で、だから建築家にいって。

 

中尾:国語、数学とかも授業は有るんですよね?

 

伊藤:うん、2年生になる時に理系か文系か建築に行くか、その3つに分かれたのかな?

 

中尾:どうしたんですか?

 

伊藤:文系選んだんだよね、理系なんてもう全然ついていけなくて。地元の友だちと結構遊

   んじゃってたから(笑)

   だから公式がどうで、それを応用してとかなっていくともう分かる訳なくて。

 

中尾:部活はちゃんとやってたんですか?

 

伊藤:まあ、ちゃんとというか、厳しい部活だったけど。

   ま、そんな感じだから当然浪人して、その頃横浜の方に引越して、藤沢のY〇〇Aに

   通って

 

中尾:Y〇〇Aだったんですか?自分も高校の時、関内のY〇〇Aでしたよ!

   オーストラリア前に思わぬ繋がりが(笑)

 

伊藤:結局途中で受験辞めて、地中のガス管漏洩工事の3K仕事を始めて。

 

中尾:しばらくはその仕事をしていたんですか?

 

伊藤:そうだね。

 

中尾:そうすると、どういうきっかけでオーストラリアに行くことになるんですか?

 

伊藤:その頃は20歳やそこらだけど、夜勤ともあったから結構収入はあったんだよね。

   そうすると、外で友達と飲みに行っても、1軒目の居酒屋で終わり、じゃなくてバー

   に行ったりとかもあって、それでお店の人と話をするようになってくると、色々な知

   識と言うか、「今日は〇〇が入っているよ」みたいなことを言われて、それがつまみ

   で出されてって、若いのにちょっとね、気持ちいいというか。


   それで段々、バーテンだったり、その場というか、提供する側が良いなと思うように

   なって。


   で、バーと言ったトムクルーズのバーテンで、やっぱりアメリカだろうと。アメリカ

   にはバーテンになる為の専門学校みたいなのもあるみたいだし。それで、そういうの

   を調べ出したらワーホリっていう存在を知ったと。

 


ハマスタと予備校

 

〈AUS vol.1 ワーホリ時代〉

 

中尾:別に外国に行きたかったからが先じゃなくて、バーテンだったり、飲食を提供する側

   に立ちたいっていうのが先だったんですね?

 

伊藤:そう、それでワーホリは25歳までとか年齢制限があったから、そういうのを踏まえ

   て、貯金とかあれこれ考えて、(オーストラリアに)渡ったのが23の時。

   1999年から2000年かな。

 

中尾:最初は語学学校ですよね?

 

伊藤:そう、1ヶ月4週間の授業料とホームステイがセットだったかな?

   通い始めてから語学学校は2か月延長して、家はシェアルームを探して。

 

中尾:クラスは?

 

伊藤:4C→4B→4A

 

   補足:初級1~上級6 毎月講師による進級判定がある

 

中尾:やっぱりスタート(のレベル)が高いですよね。

   (今までの話では英語が身につくようなトピックが無いが)どうしてそのクラスから

   スタートできたんですか?

 

伊藤:オーストラリアに行くってなってから、半年から1年くらい(英会話教室に)通って

   たんだよね。

 

中尾:そっかそっか。その成果だったんですね。

   (オーストラリアに渡って)最初の3か月で語学学校は終わって、それからはアルバ

   イトですか?

 

伊藤:そう。(日本食レストランだったからバーテンとかでイメージしている)洋食ではな

   いけど、初めて飲食に触れたというか。やりたいのは居酒屋とか日本食レストランと

   かとまた違うけど、少し近づいたというか、関わるようになったという感じかね。


   お酒だけじゃなくて、料理も提供したいとは思ってたから。

 

中尾:(ワーホリビザの)残りの滞在期間中は同じ店で最後まで働いてたんでしたっけ?

 

伊藤:そう、昼も夜もだし、週5日フルタイムに近い感じだったね。

 

中尾:行く前はワーホリの1年間でどういうものを期待してたというか、どういう目的で行

   ったんですか?

 

伊藤:まだその頃は、アメリカでバーテンの勉強してっていう頭も有ったと思うから、先ず

   はオーストラリアで英語だったり海外生活に慣れるというかその違いに慣れるという

   か、そんなつもりでいた。

 

中尾:そういう意味では、(アメリカに行くという)その選択肢は結果としては取らなかっ

   たけれども、当初の目的は満たせましたか?

 

伊藤:そうね、その次に繋がる何か、語学力含めてね。

   ただ、その中でバイト先の社長が「戻ってこいよ」って言ってくれたからさ。

   だから、(帰国の時も)結構先輩や社長のところに荷物を預かってもらってて。


   一時帰国中に日本で調理師免許を取って。その間もオーストラリアに行く前に働いて

   いたところ(工事会社)で働かせてくれて。



シドニーのPUBにて


 

〈AUS vol.2〉

 

中尾:2度目のオーストラリアは何年から何年ですか?

 

伊藤:2001年か2002年からだったかな。

   当然、元のお店に戻って働いてたんだけど、途中でトラブルがあり辞めることになっ

   て。

 

  補足:何か問題を引き起こした訳ではなく、巻き込まれたトラブルに対し

     ケジメを付ける為に身を引くことになったようです。

 

中尾:当然、元の店で働く為に戻ったので、ビザの期間中はその店で働き続ける予定だった

   と思うんですけども、それからは?

 

伊藤:そのビザのままで他の日本食レストランで働けることになって、そこでまたキッチン

   の仕事をして。

 

中尾:そこでビザ期間中は働いていたと?

 

伊藤:ビザは3年だったんだけど、結局2年半くらいで帰国したかな。

    行って1年半くらいした頃に母親の体調が悪いという連絡がきて、、


   一時帰国した日は普通に歩けて、話もできてたんだけど、次の日行ったらもう歩けな

   いでベッドにいるだけみたいな感じで、その次になったらもう目も開けんのも喋るの

   も億劫になってて、それから間もなく亡くなって。


   それから暫くしてオーストラリアに戻るんだけど、1回忌で帰ってきた時に、もう半

   年くらいビザは残ってるんだけど、もう帰ろうと。

 

中尾:そうでしたか。帰国後はどうしてたんですか?

 

伊藤:大桟橋にある、フレンチというか洋食のレストランで働くことになって。

   やっぱりこのトンクルーズのバーテンダーのイメージというか、あっちに憧れがまだ

   あるから。

   

   ただ、入ってみると、シェフがいて、サブがいて、パティシエがいて、ともう陣容が

   整ってて。採用した側も(認識に)ギャップは有ったと思うんだけど、これは違うな

   と。

 

中尾:入ってみると違かったんですね。





 〈アフターAUS vol.1〉


伊藤:それから仕事を探している時に、「コンビニ向けの商品開発募集」っていうのがあっ

   て、やり甲斐がありそうだなと思って。

 

中尾:最終的にはそこで課長職まで進んだじゃないですか?最初から正規雇用でしたっけ?

 

伊藤:いや、契約。

   だから、他の人はサンドイッチ担当とかおにぎり担当とか、もしくはスーパー担当と

   かコンビニ担当とかあったけど、当然自分は無くて。

   

   先ずは現場の研修っていうことで、工場の中の各工程の研修を当然受けると。

 

   後から知ったことなんだけど、他の人たちは大体2週間で全研修を終えるらしいんだ

   けど俺ね、4ヶ月ぐらい工場入ってた


   研修生はピンク帽子かぶって工場入るんだけど。結局、工場の人手が足りてなかった

   んだろうね。人手として研修の名目から、もうその労働力の補充みたいなことになっ

   ちゃってる。夜勤もやってくれる?みたいな。その方が手当がつくからやってた。


   夜勤だと外国人率がぐっと高くなるんだけど、ある年の大晦日は工場で過ごしてて、

   年越しの瞬間に掃除用のホースで「おめでとう!」とかやって(笑)

 

   で、忘れられた頃に当時の専務と、今でも仲良くしている当時の開発課長に食事に連

   れて行ってもらうことになって、「伊藤君は今何してるんだ?」って聞かれて「まだ

   工場です」って言ったら「何してるんだ、すぐに上げろ(研修を終わらせろ)!」と

   いう話になり、翌週から本来の配属先で仕事をすることに

 

中尾:他の人たちも、「まだいたの?」って感じだったでしょうね。

 

伊藤:そう、事務所の女子たちからも「もう辞めたと思ってました(笑)」と言われる始末

   で。

   

   そんなこんなで契約社員として何とかやっていって、ようやく正社員になって。

   その頃には新卒採用からも商品開発に3人とか入ってくるようになって。

 

   そしたら、新卒は仕事が遅いから残業が多くなるんだけど、ちゃんと残業代もつくか

   ら、気づけは先輩たちよりも手取りが多いっていう逆転現象が起きてきて、


   そうすると、先輩たちはちゃんと時間内で仕事できるようになっているのに、、、と

   不満が出るようになったから、このままじゃいかんなと、当時の部長に申し入れのお

   手紙を書いて、部内ではこういう状況になってますと、何とかしてあげてもらえませ

   んか?っていうふうに言ったら、ちゃんと対応してくれて


中尾:どうなったんですか?

 

伊藤:新たな役割やポジションを割り当てたり、基本給もぐっと上げてくれたり。

 

中尾:そんなに直ぐに対応してくれる会社なんてなかなか無いですよ?!

   めちゃめちゃ感謝されたんじゃないですか?(恩恵を受けた)周り(のスタッフ)は

   知ってるんですか?

 

伊藤:言う訳ないじゃない。

   ま、そんなこんなもあって、リーダー→係長→課長になって。9年いたのかな?

 

中尾:コンビニの商品開発なんて、ひっきりなし、年中無休状態でどんどん出すじゃないで

   すか?


   関わった商品は数えきれないとと思うんですけど、思い入れ入れのある商品だとか、

   そういったものってどんなものがあるんですか?

 

伊藤:いっぱいあるよ。雑誌に取り上げられた商品とかも嬉しかったしね。色々あるよ。


   今でこそ当たり前になったけど、当時はコンビニお弁当で(半熟の)目玉焼きって使

   えなかったんで。

   

   半熟の目玉焼きっていうのは、どうしてもサルモネラ菌を対象とした加熱処理を施さ

   ないといけないんだけど、加熱処理をして半熟にすることが当時は出来なかった。


   それを、低い温度で長く加熱した温泉卵を表面だけ焼いて目玉焼きにすれば、半熟の

   目玉焼きになるっていうことをやりだして、俺が、で、それが今ではコンビニ最大手

   でも当たり前のようにやってるけど、やった(それを発見した)時は嬉しかったな

 

中尾:(コンビニ弁当の半熟卵の)開発者なんですか?

 

伊藤:だから今でも職務経歴書には必ずそのことは書いているよ。

 

中尾:特許取って良いレベルですよね?

 

伊藤:いやいやいや。

 

Watsons Bay

〈アフターAUS vol.2〉


中尾:その商品開発をして約九年ですか、でもそこも離れることになり、今は食品メーカー

   と言っても役割が全然違う営業職じゃないですか?

 

伊藤:うん、そうだね。

 

中尾:しかも既存取引先に対してではなく、新規顧客開拓を任されてということだったと思

   うんですけども、どういう苦労がありました?

 

伊藤:そうね。そもそも営業が初めてだったから、先ずは営業をやるっていう難しさも勿論

   あるんだけど、本社は九州で、こっちは(神奈川で)在宅勤務だからやっぱりこう離

   れてるっていうのは、コミュニケーション取るのも難しいし。

   

   別に相談とか分からないことは電話でも済むんだけども、じゃあ資料を作る、何かす

   るって言っても全部家で作って家のプリンターで打ち出して、家にちっちゃい冷凍庫

   のストッカーを買ってそこからサンプルを持って出てとか。

 

   例えば、帝国データバンクで与信を調べるとか、今のA社の重要仕入れ先が知りたい

   と思った時に本社だったら調べられるけど、自分のパソコン上では出来ないとか…


   だから、アナログ的にこんな分厚い辞書みたいな食品会社総覧を見たりとかして、ど

   こに行こうかなみたいな。

 

中尾:今と違うかもしれませんが、会社のブランド力というか、知名度という意味では当時

   はどういう反応だったんですか?

 

伊藤:それは今も変わらないかな。大手じゃないから「ああ、〇〇さん」とはならない。先

   ずそっから(何をやっている会社か認識してもらう)っていうのは変わらないかな。

 

中尾:そこを(新規開拓で)こじ開けていったわけですよね。

 

伊藤:そこは色々とやり方も考えながら、工夫しながらね。

   まあ、とにかく数というか種まきがここにきて実を結んでいるというのもあるし。

 

中尾:今はどういったことがやり甲斐というかモチベーションになっているんですか?

           

伊藤:未だにやっぱりあれかな?そうそうたる日本を代表するような会社に勝って採用され

   ると嬉しいし。

   暫く勝てなかった大手メーカーがあるんだけど、個人的にはどっかでこう動かしてや

   りたい(一矢報いたい)なっていうのがあったんで、そこから負けっぱなしの黒星を

   一個白星に戻せた時は溜飲が下がったというか。

 



 

〈人柄〉

 

中尾:クロージングに向かう前に1つ聞きたいことが。


   オーストラリアにまた戻ってこいと言ってくれた日本食レストランの社長もそうです

   し、一時帰国中に迎え入れてくれた工事会社もそうですし、商品開発をしていた会社

   の方からも未だにゴルフをご一緒するという話もあるじゃないですか?

   

   諸先輩方に気に掛けてもらって、職場を離れても付き合いが続いたりっていう話が出

   てきますが、そういうのって、高校以前に遡った時に、既にそういう人間性だった

   り、そういう人間関係が構築されていましたか?

 

伊藤:多分ね、昔からあったんだと思う。

   教育委員会に訴えられてた体罰教師とかにも可愛がられてたし。

 

中尾:仙台の話もそうですもんね。2年生で専務まで上り詰めるっていう。

 

伊藤:だから子供のころからだよね。

 

 

〈クロージング〉

 

中尾:最後の質問です。


   50歳を迎えるという年齢になってきましたが、仕事とプライベートそれぞれで、今後

   やりたいこと、チャレンジしたいことを教えてください。

 

伊藤:仕事でやりたいことは、4月から管理職になることは決まってるんだけど、そこで終

   わるんじゃなくて、やっぱり役員になれるぐらい、要は経営者の方になれるぐらいに

   一つ一つやっていきたいなと。

 

中尾:プライベートはいかがですか?

 

伊藤:プライベートは分からないけど、ペットの飼えるマンションを探そうかなと。

   定年っていうのが見えてきたから、夫婦2人が楽しく仲良く過ごせるようにね。

 

   最後にちょっと良い?

 

中尾:どうぞ。

 

伊藤:インタビューだから、座右の銘はなんですか?とか聞かれんだと思ってて、座右の銘

   は無いんだけど、手帳はお金かけて、ちゃんとしたのを買って、そうすると、なんか

   強くモチベーションっていうか、ある意味つながると思うので、手帳の大事さをお伝

   えしたいと。

 

   良いのを買うと埋めたくなっていくから。埋めるっていうことは仕事もそうだし、プ

   ライベートも充実していくので。

 

   それと10年前に上場企業から零細メーカーに転職した時の手帳が出てきたから持って

   きたんだけど、裏表紙に、その時のモットーというか、思いを書いてたのがあったか

   ら、この言葉を贈ります。

 


      水際に立ち、水面を見つめているだけでは海を渡ることは出来ない

                        ラビンドラナート・タゴール

 

 

   一歩踏み出さなきゃ行動しなきゃ何も変わらないって意味の詩らしい。

   怖がらずにためらわずに。カツへのはなむけの言葉に。


中尾:ありがとうございます!

 

    取り留めも無く、いろんな質問にお答えいただきました。

    今日は本当にありがとうございました。

 

 


YUYAさんの10年前の手帳

 

 

ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。

 

 

それでは次回第10回お楽しみに。

 

 

ではまた。

 


                                      (了)




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