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【私の会いたい100人:第8回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第8回


お楽しみに


中尾:「私の会いたい100人」ということで、第8回のゲスト、「コトさん」こと琴 安国

   (コト・アンコク)さんです。

   琴さんはわたくし中尾が大連に渡り、働いていた会社の同僚で、ものすごく人当たり

   が柔らかいのに、非常にテクニカル知識に長けたクレバーな方です。


   同じマンションに住んでいたご近所さんですが、あまりプライベートは聞いていなか

   ったので、今回色々とお話を伺えればと思います。


〈プロフィール〉 遼寧省鉄嶺市出身 

日本への留学・就職を経て、大連市に戻り就職。

2015年に研修・人材育成会社を起業。橋渡し役を担い日中を飛び回っています、

本日のお客様 琴 安国 さんです。


〈~大学〉

中尾:いろいろと聞いていきたいと思いますが、生まれはどちらですか?

 

 琴:生まれは遼寧省の一番北にある鉄嶺市。

 

中尾:じゃあ、瀋陽よりももっと北ってことですね。

 

 琴:そうです、吉林省と接してるところです。

 

中尾:吉林省の近くということは朝鮮族の地域?

 

 琴:はい、そうです。

 

中尾:そこは何歳までいたんですか?

 

 琴:高校卒業するまでで、大学から大連です。

 

中尾:ちょっとさかのぼって80年代、子供の頃ですね、街の様子とかも含めて聞きたいんで

   すけども。

 

 琴:イメージは農村ですね。

   夏になると大雨で川から水が溢れて魚を釣ったり、冬になるとその川が凍ってスケー

   トをしたり。

   でも中学生くらいからあまり雪が降らなかったから2017年頃に北海道に行ったら、雪

   が沢山降っていて、その雪を見て感動しましたね。だから、子供の時はもう本当に農

   村部で、ストレス無く遊んでいましたね。

 

中尾:子供の頃ってどういうことが流行ってたり、どんなことに夢中になってました?

 

 琴:夢中と言うか、夏休みとかはもう大雨降るのを願ったり。それも楽しみなんですね。

   やっぱり懐かしいんですよ。だからあの子供の時と今を比べると全く違う世界になっ

   てるんですね。


   日本だと当時と比べてもそんなに変わってないと思うんですよ。勿論インターネット

   があってとかは色々変わってますけど。我々はものすごく変わってるので。仕事、給

   料、マンションの値段とか物価とかものすごく変わってるので。

 

中尾:2000年代とか我々が大連にいた頃は、私の印象だと小学校とかは親が子供を学校に連

   れて行くというイメージなんですけど、当時もそうでした?

 

 琴:当時は我々の世代はそんなことない。自分で行くんです。

 

中尾:やっぱりそうだ。

 

 琴:だから何というか、自立という意味では、あの頃の子供の方が優れているので。

   我々の世代はたいてい兄弟もいたし。

   今は色々な心配がありますからね、交通面でも、治安の面でも。

   だから学校まで送っていかないと不安で一日仕事できないことになるので、それなら

   送った方がいいってことですね。うちも送ってます(笑)

 

中尾:ああ、やっぱりそうなんですね。

    勉強する科目とかも変わってきていますか?

 

 琴:科目はそれほど変わってないと思うけど、難易度は上がってますね。

 

中尾:教える先生方のレベルも上がってきてるわけですよね?

 

琴:小学校(の先生)でも修士課程卒業しないとダメですね。

 

中尾:中国の学校って部活とかクラブ活動ってあるんでしたっけ?

 

 琴:有るには有るんですが、でも無理なところが多いです。

   うちの子どもが通ってる学校は1クラス50人で1学年20クラスですよ。

   1学年20(クラス)ですよ。

 

中尾:1学年1000人いるんですか?

   で、それが6学年あるんですか?

 

 琴:そんな6000人もいたら、部活はできないですよ。基本的に勉強優先なんで。

 




<大学~日本時代>

 

中尾:大学から大連ですが、(志望)大学はどういう流れで決まっていくもんなんですか?

 

 琴:(自分の)成績はものすごく良かったんですよ。ただ、日本で言うセンター試験の時

   に一番得意だった数学の試験で半分しか取れてなかった。後で分かったのが途中から

   選択肢が1つずつずれていて…

   なので本当は北京とか上海とかのトップクラスの大学に行く予定だったんですけど、

   数学(の点数)が半分なのでそれだけでもうダメで…


   第二志望に大連の大学を入れておいたので、そこに行くことにして。

   先生からも親からも、留年したら?と言われたけど、自分の中ではその1年分は勿体

   ないと思ったので

   

   もう1回受けたら良いところに行けるかもしれないけど、1年は結構長いじゃないです

   か?

 

中尾:1科目半分しか取れていなくても第2志望にいけるんですからすごいですよね?!

 

 琴:結果、(中尾含め大連の仲間)皆さんとお会いしましたね。でも、まあそれは運命な

   ので。

 

中尾:日本語はいつから?

 

 琴:朝鮮族なので、中学校からですね。ただ、ヒアリングは全然だし、喋れるわけでもは

   なかった。

 

中尾:でも、朝鮮族の方ってめちゃめちゃ流暢な方多いじゃないですか?

 

 琴:実は私も(日本留学から)大連に戻って仕事をし始めてびっくりしたのが、留学経験

   もない人たちが大学を卒業して、会社のトレーニングを受けて、(日本顧客の)電話

   対応をしているんですよ。それを見てビックリでしたね。


   めちゃめちゃスキル高いじゃないですか。そこのレベルというのは、やっぱり大学が

   教えられるというものでもないんですね。

 

   自分の場合は日本に留学している時も、読み書きはできても3週間くらいヒアリング

   が出来なかったので、アルバイトを探せなかったんですよ。

   N1(旧日本語1級)を大学の時に取っていたのに。

 

中尾:やっぱり違うんですね。

 

 琴:女性の方が語学に長けていたり個人差はあると思いますが、基礎とか勉強したことが

   (土台に)あって、さらに環境がどうかってことなんだと。

   自分で振り返ってみると、やっぱりアルバイトとか授業とかだとただ聞くだけでしょ

   う?なので、実は留学時代って、あんまり日本語通じないんです。ただ、ヒアリング

   の(力を伸ばす)環境はあったというだけです。


   実際、日本語が伸びたのは(大連での)サポートセンターでの仕事。

 

中尾:そうなんですね?!





 


<大連同僚時代>

 

中尾:大連での仕事は日本企業からの問合せへの対応なので、基本は日本語でのやり取りが

   メインでしたが。

 

 琴:大連で新卒の子たちが入社後半年とか1年で電話対応が出来ている人って多いじゃな

   いですか?スーパーバイザーをやった時も、クレーム対応するでしょう?それは自分

   でものすごく伸びたと思っているので。


   報告書を書くの面倒くさいですよ。でも、お客さんに納得してもらうために、もう

   色々考えながらアクションプランを立てて、ミーティングで説明して納得してもら

   う。それを繰り返すことで伸びるわけなんですよ。

 

中尾:そうだったんですね?!


   自分は色々な方の対応などを見る側だったので、それぞれのレベル感を把握している

   つもりでしたが、琴さんのコミュニケーションレベルは相当高いという認識でいたの

   で、既存のレベル・スキルの範囲で十分対応できているんだと思っていました。

 

 琴:違います(笑)

 

中尾:(日本から)大連に戻るタイミングで我々がいた会社の面接を受けたんですか?

 

 琴:そうですね、人材会社に登録したところ、大連にサポートセンターを立ち上げる会社

   があるということで、面接に行ったら、帰る時にマネージャーから合格みたいなこと

   を言われて。ただ、やりたい仕事じゃなかったので、別の部署でやらせてほしいと言

   って。

  

   (断った修理部門だと)修理(対応)は自分のレベルアップに繋がらないと決めつけ

   ちゃって。

 

中尾:それで別の部署で採用になったんですね。入社当時で何人いたんですか?

 

 琴:我々が2期生なので、4、5人ぐらい。だから立ち上げメンバーですね。

 


補足:当時はおおよそ3か月ごとに採用・入社のタイミングがあり、琴さん入社後数年の

   うちに部署で最大30名-40名程度まで人数は増えていたはず。

 

 

 琴:当時はサーバーが普及し出した時期で、お客さんも我々も(OSやテクニカル情報

   を)あまり分かっていない。お客さんと一緒に1時間でも2時間でも電話でサポートし

   てましたが、その時は本当に楽しかったです。


   今は知識もお客さんが上だから。我々の時代は本当に楽しかった。

 

中尾:(琴さんが同じ会社に勤めていたのは)2006年から2013年まででしたっけ?


   元々(琴さんは)テクニカルが強いっていうイメージなんですよ、私の中では。

   ただ、最終的にはピープルマネージメントに進んでいったじゃないですか?

   本人としては、得意、または好きなのはどっちでした?

 

 琴:今振り返って考えると、今の仕事でもよく使ってるのが、色んな問題をいかに効率化

   していくか。


   何かツールを使ったりして効率化しないと、この会社は回らない、このチームは回ら

   ないと、それをよく考えるタイプです。


   だから、ピープルマジメントのスキルをどれぐらい上げられたかといえば、そんなに

   上げられてないと思うし、テクニカルも我々のサポートはテクニカルではないです、

   実は。

  

   例えば、Linuxのコマンドを打って何とかしなさい、とかそういうのが皆苦手なだけ

   なので、よくある質問をいかにまとめて、情報更新していくか。ナレッジを構築し

   て、日本側のホームページから見れるようにして。

 

   さっきの話に戻ると、ピープルマジメントかテクニカルで言えばどっちでもないと思

   うし、ただ色んな問題を発見して、それをいかに解決するか、それで皆を楽にできる

   か、というのはある程度身に着けたかなと思うんですね。

 

中尾:それが今も役に立っていると。

 

 琴:人手不足はただ単に人が足りないことではなくて、経営の問題なので。

   なので、色んな社長さんとかに会いに行けるわけです。人を入れても問題は起きます

   ので、本当の課題が何なのかっていうところですよね。

 

中尾:もう少し大連時代のことを聞きたいのですが、同じ会社に居た期間が約8年。

   まあまあ長い期間じゃないですか。そこで働き続けようという動機はどんなものです

   か?

 

 琴:実は日本で面接を受けて話していた条件と、大連で入社してからの実際の条件が全然

   違かったんですね。なので、最初はやる気ないんですよ。もう日本に戻りたいと。


   でも仕方なく3ヶ月の研修受けて、そのまま現場デビュー(顧客対応開始)したんで

   すけど、未だにどこの会社だったか覚えているんですけど、専門用語が聞き取れなか

   ったんですね。その時に、他の人に代われるかと言われて、ものすごくショックで…


   このまま辞めると、皆から琴さんは出来ないから辞めるんでしょ、と言われる…


   それをきっかけに、毎週末ラボに行ってOSのインストールやドライバーを入れてみ

   たり、検証してレポートを出してみてっていうことをやっていて、そうすると自信を

   持ってお客さんにも案内できるし、達成感を感じし、皆(同僚)から質問されて答え

   られじゃないですか?その積み重ねなんですね。


   だから2008年とか2009年くらいに色んな(IT関連大手)会社が(大連に)入ってきた

   じゃないですか? ヘッドハンティングなどはありましたけど、そういったオファー

   が来てもあまり動く気が無かったです。


   みんな最初ゼロからやって頑張って結果出して評価されて、仲間と一緒に楽しい仕事

   やってるから。

 

中尾:結局そういう人がいないとやっぱり成り立たない部分もあるじゃないですか。

   (人の)入れ替えも必要だけれどもでも居続ける人も必要ですよね。

 

 琴:会社の良い文化もあるし、良い人も集まったから簡単には辞めない。

 




<独立後>

 

中尾:琴さんは2013年に(私と一緒に働いていた)会社を離れ、1社挟んで、2015年に起業

   しましたが。

 

 琴:次の仕事でも新卒の面接をやっていましたが、どの会社も段々と新卒採用には力を入

   れなくなっていたんですね。なので、育成研修の事業をやろうと思って、それで立ち

   上げて。大連の日系企業のS社とかT社とかからお仕事をいただいて、新人研修をや

   って。


   期間は1ヶ月とか3ヶ月とか、まあ企業によって違うけれども、内容それぞれカスタ

   ムして。多いところは、建築、機械設計の専攻の人たちを採用して日本語を教える研

   修で90人規模でしたね。

 

中尾:琴さんがトレーナーとなって研修をやってたんですか?

 

 琴:そうですね。あと、ベーシックの日本語は学校の先生に協力してもらって。


   人数、予算、いつまでにどういうレベルにしたいか?とかを確認するんですけど、人

   事部の人って現場のこと分からないからはっきりしたことを言えない。なので、1週

   間時間をください、皆さん(クライアント担当)の言う一人前という社員の隣に座ら

   せてくださいと、それで皆さんから情報を集めて、目標設定をして、カリキュラムを

   設計して、先生をアサインして、実施していたんですよ。

 

中尾:それこそ今までやってきたことと全然違うじゃないですか?

   それこそカリキュラムなんてどういう風に?

 

 琴:いや、でも大連の仕事と大きくは変わらないと思うんですよ。テクニカルリードの時

   も今までより研修期間を短縮しなさいと言われた時に、工夫して実行したりしていた

   ので。

 

中尾:結びついているんですね?!

 

 琴:今も色んな会社と話をしている時に、(社員)トレーニングをどのようにしているか

   聞いていると「うちは平等で、(外国人も)日本人社員と一緒にやってますよ。」っ

   て言うんですよ。聞いた瞬間、ヤバいな…と。


   一緒にやっているということは平等ではないんですよ。バックグラウンドが違うから

   日本人は当然ついていけても、他の国の人たち(の理解度)はバラバラだと思うんで

   すね。

   

   日本に留学していた人たちはプライドが高いから、その場で「分からない」とは言わ

   ないし、そういう状況でトレーニングを終えて現場に出た時にミスが起きるんです

   よ。それでミスが起きれば(ミスを起こした外国人スタッフが)叱られて、それがス

   トレスになって、辞めてしまう。

 

中尾:勿体ないですよね。

 

 琴:なので、先ほど言ったように、会社が「こういう人がほしいですよ」というのを文字

   ベースだけだと本当に3か月でそのレベルまで持っていけるか分からないじゃないで

   すか?皆(トレーニー)のレベルもバラバラだし。


   それを隣に座って、「あ、こういうスキルを求めているんだ」と。なので、仕事に関

   係ない日本語はカットしているんですよ。果物とか野菜とかは覚えなくと良いと。

   

   それは日本に行ったら自然に覚えるから。

 

中尾:(応募条件が)N1、N2レベルが必要といってもそれだけじゃ(業務上の日本語は)

   分からなくと、ビジネスで必要なスキルを身につけさせてるんですよね?

 

 琴:そうなんです。

 

中尾:それが大連の事業で、そういった研修を大連で受けた方を日本の企業に派遣・紹介し

   ているんですか?

 

 琴:たまたま(大連の)お客さんが日本に30人くらい就職させたいという話があって、

   2016、2017年くらいだったんですけど、我々が研修した人が日本に来て就職するこ

   とになっていたので、先ほど言ったように仕事用の日本語しか教えていないんです

   ね。


   だから日本に来たら、生活でもストレス溜まるし、その会社も所属チームで外国人を

   受け入れたことがないので不安だったんですね。それで2018年に日本法人を作ったん

   ですね。


   自分の中では、(日本での就職後の)支援をちゃんとやれば実績になるし、支援をし

   なくて(就職した外国人スタッフが)辞めたら研修が悪いと言われそうだったので。

 

中尾:(日本側に)送り出して終わり、みたいな。

 

 琴:そうです。最初は半年、1年(支援が)必要かなと思ったけど、実際は3か月程度で大

   丈夫でした。

 

   あとは、彼らは仕事で来ていて収入もあるので、何に困っているか、それはお金をい

   かに日本で使うかなんですよ。


   例えば居酒屋に連れて行って、お酒を飲みながら、他の会社の人たちがどうしている

   かとか、温泉に行ったことが無いから日本の温泉のマナーを教えたり、あとは、仕事

   の後もオフィスに立ち寄れるようにオープンにしていたので、色々な相談を受けた

   り、電話応対の研修を即席で行ったり。


   彼らも給料をもらっているから、日本で遊びたいんですよ。でも日本語が喋れないと

   遊べない。だから一生懸命勉強するんですよ。大連で3か月の研修を受けて、日本に

   来てから半年で全員がN2(合格)、1年以内に全員がN1(合格)。

 

中尾:スゴイ!

 

 琴:若い人たちは頭が良いんですよ。安定した仕事があれば、遊ぶために日本語勉強する

   んですよ。

 

中尾:勉強の為の勉強じゃなくて

 

 琴:遊びの為の勉強なんですよ。

 

中尾:ですね。あと聞いてみたいのが、中国人にとっての日本の位置づけ。

   海外で仕事をしたい人が一定数いて、世界的な日本の序列が低下する中で、日本で働

   きたい中国人の数、割合がどうなっているのか。

 

 琴:コロナ禍前、コロナ禍中、コロナ禍後で違いますね。

   エリアにも拠りますが、コロナ禍前は北京、上海、深センだと日本はあまり興味ない

   んですね。

   コロナの時期は人の移動もできないのが現状でしたが、そんな中でアメリカやヨーロ

   ッパ、オーストラリアなどで住んでいる人たちは結構人種差別を受けたんですよ。


   コロナで仕事も無いんだから国に帰れと。それで中国にも戻れないから日本に行きた

   いという人からの問合せも結構多かったんですね。


   中国国内を見てみ、ヨーロッパの企業などは中国から撤退するところが多かったです

   が、日本は経営基盤が安定しているのであまり撤退していない。


   中国の学生も段々、安定している企業を目指す動きがあるんですよ。今の若い人は出

   稼ぎという感覚よりは、仕事が欲しいんです。日本は日本で他の国と比べて積極的に

   他の国から人を受け入れているし、ちゃんと整備されている方なんです。

 

中尾:コロナ禍を経て、色々と変わってきているんですね。

 


<今後について>

 

中尾:最後に、今40代半ばでこれから50代に向かっていく年代ですが、仕事とプライベート

   とそれぞれで今後やりたいこと、チャレンジしたいことをそれぞれ教えてください。

 

 琴:会社を立ち上げたのが38(歳)だったんですね。我々が働いていた会社もある程度コ

   ストセービングの動きがあり、50代のマネージャーなどが会社を去っていくのも見て

   いたので、色々考えましたが、その歳で独立することにしました。


   で、やってみると人材育成もお客さんの課題解決をするという意味ではそれまでの

   仕事と一緒ですし、それをコンサルティングの立場で行うと。


   特に中小企業では海外経験や外国人とどう仕事をするかを知らない人は本当多いの

   で、そこは意義があると思っています。


   また、プライベートでは定年後は日本でゆっくりしたいですね。

 

中尾:ええ、そうなんですね?!その時はご家族も日本に呼んで?

 

 琴:そう。外国人も増えていき、将来は今とは違う社会環境になっていると思うのです

   が、生きているうちは、ゆっくりできる環境?おもてなしが体験できる環境でゆっく

   りしたいなと。そういう気持ちはありますね。


   なので、最初に小さい頃からの話をしてきましたが、貧しい時代に育ち、大学入って

   から経済が急成長して、そこで我々も生き残る為に必死にお金を稼ぐ為に勉強しなけ

   ればいけない。ゆっくりして来た時期が無いんですよ。

 

中尾:ずっと走ってきたわけですね。

 

 琴:当面は、これまでの実績や官公庁などとの繋がりも評価してもらい、中国のある機関

   からは、大学新卒者を中心に海外での就職機会を求めている若者を海外に送り出す支

   援において日本の窓口を任されましたが、責任も大きいので、しっかりやらないと。

 

補足:ホワイトカラー職種に発給される「技術・人文知識・国際業務ビザ(通称「技人国

   (ぎじんこく)ビザ)」を取得して働ける人材に関する日本の窓口責任者に琴さんが

   任命されました。

 

 

中尾:いろいろと質問尽くしでしたが、ありがとうございました。

 


ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。

 

それでは第9回お楽しみに。

 


                                      (了)




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