「私の会いたい100人」
ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。
絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし
会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、
はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。
そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、
ということを知る一つのきっかけになればと思っています。
それでは、第7回
今回は初の「海外」インタビューです!
お楽しみに
<オープニング>
中尾:「私の会いたい100人」ということで、第7回のゲスト、「アスミ」こと鈴木 明日望
さんです。
アスミは、わたくし中尾が大連に居た頃に、北京に留学していたのですが、お互い帰
国してから、同じ大田区民だったり近所だったこともあり、美味しい店を紹介してく
れたり、よく飲みに付き合ってくれたサッカー仲間ですが、今回のゲストであるアス
ミのプロフィールを紹介したいと思います。
ゲストプロフィール
福岡県出身
高校時代は高校選手権の出場経験もあり、サッカー一筋でくるも大阪の大学に在学中に中
国へ留学し、そのまま中国の大学を卒業。
帰国後は海上輸送会社に就職し、日本での勤務を経て、現在インドネシア駐在5年目に
突入しています、本日のお客様 鈴木 明日望 さんです。
<~北京> 中尾:生まれは大阪?
鈴木:福岡です。小・中が大阪です。
中尾:完全に現代人のイメージなんだけど、子どもの頃は何が流行ってた?
鈴木:ん~、何だろう?「ONE PIECE」が始まったり、小6の時が日韓ワールドカップで、
観に行きましたよ。イングランド対ナイジェリアでベッカムを遠目で観ましたね。
中尾:ベッカムがまだいたんだ?
鈴木:そうそうそう、最後の時かな、確か。
中尾:小学校でもうサッカーは始めてた?
鈴木:日韓ワールドカップの年に始めたんじゃないですかね、6年になってから。
それまでは小学校の放課後みんなで集まってっていう学校のクラブ活動で。
中尾:じゃあ試合も年に何回かあるかどうかみたいな?
鈴木:試合も無かったんじゃないかな?
中尾:ワールドカップを観て本格的にやろうと思ったの?
鈴木:いや、多分ちょい前からだと思います。元々誘われていて春休みとかに体験で行っ
て、6年生になって入会したって感じです。
中尾:その当時ってなんか特定の好きな国とかプレイヤーとかっていたの?
鈴木:誰だろうなあの時?いや、僕がね一番好きだったのはレアルのグティですよ。
ロナウドとかリバウドとかいましたけど、僕はもうずっとグティです。
中尾:小6から始めて、どういうステップで高校の強豪校進学まで進んでいくの?
鈴木:中学三年の夏にセレクションを受けに行って、それで婆ちゃんが福岡なんで、じゃあ
福岡行こうって。
中尾:セレクションまで行けるってことは中学校もある程度のレベルだったの?
鈴木:中学1年生の時は、全国バーモントカップですから。フットサル。まあ僕は一試合も
出てないですけど(笑)
あとは全国クラブユース選手権っていう全国大会があって、それがベスト16。
そこに(日本代表)酒井宏樹とか原口元気とか山口蛍とか少し下に宇佐美がいて。結
構な世代ですよ。高校は完全に大迫勇也世代です。
中尾:高校時代は競合校だから先輩方は当然だとしても、同学年の子たちってアスミから見
てレベルってどうなの?
鈴木:いやいや、みんなうまいですよ本当に。特待で入ったやつ入ってないやつ関わらず全
員上手かったですよ。
中尾:その時のモチベーションってどんな感じ?
鈴木:みんな上手いんでね。1年生の時は頑張ろうって思いましたけど。
ひと学年40人ぐらいいて、上からAチーム、Bチームって振っていくんで、Gぐらい
まであるんですよね。
一番最初はもちろんGかFからスタートしてるんで。合宿とかも全員が行けるわけじ
ゃなくて、選抜されて行く。
だから一年の夏は(合宿)行ってないんですよね。(学校で)居残り組で練習して
て、だから高2になる前の春合宿からちょっと選ばれ始めたって感じです。だから、
それまでは頑張ろうって思ってましたけどね。
中尾:選ばれてからは?
鈴木:まあ、結局、多分レギュラーは無理なんだろうな、と。
中尾:そこからが分厚いんだ?
鈴木:まあ。チーム帯同しても出る回数少ないし、出ても途中出場が多かったんで、高2の途中ぐらいから多分もうレギュラー無理なんだろうなって。
中尾:その時点ではサッカーでの目標とかってあったの?プロに行きたいとか、大学でも続
けたいとか。
鈴木:プロは全く考えてなかった。高1入った時点でプロなれるやつってもう何となく飛び
抜けてるってのは分かりますし、うん。多分ね中学三年の全国大会ぐらいでも。宇佐
美がいて、全員どえらいぐらい分かったんで。
上手いヤツってドリブルフェイントをかけてなくても止めれないですよ。真っ直ぐド
リブルされてるだけなのに全く止めれなくて。真っ直ぐのドリブルを止められないっ
て相当じゃないですか?そんな奴らがプロ行って海外行っても成功しなかったりする
じゃないですか?まあ、無理でしょうっていう。
多分、中3の時には分かってたじゃないですか。自分の中では何となく。
サッカーでずっとやっていけたらいいなと思っては多分いたんでしょうけど、当時の
僕は。一方でそういうの見ながら、心のどこかでは確実にもう無理だろうな、違うも
のがあると間違いなく思っていたと思いますけどね。
中尾:そこから大学は京都だっけ?
鈴木:大学は大阪です。そこの体育会サッカー部に入って関西二部でサッカーしながら、ま
あ授業はほぼ行ってないっすね。授業はほぼ行かずに、夕方サッカーの練習があっ
て、終わってバイト行って朝方帰ってきて寝て、練習行くみたいな。
監督とかコーチがいないんですよ。全部生徒でやってるので、監督・キャプテン(を
任されている学生)とかで練習メニュー決めたりとかやって。
1年間やって、いや1年もやってないのか?1年の2月とかには北京行ってるんで。
<北京時代>
中尾:1年のうちにもう(北京留学)決めたの?
鈴木:そうです。(入学から)1年経ってないうちに決めてるはず。1年間の留学プログラ
ムの募集を見て。北京か上海かだったけど、なぜか知らないですけど、北京選んで。
別にたぶん理由は特にないです。それか北京の方が安かったか。12月から準備して、
ビザ取ったり、パスポートを取りに行ったりとかやって2月にもう北京に入って。
中尾:留学の目的は?
鈴木:語学。
確か授業の開始が2月の末とか3月の頭とかじゃなかったかな。中国での後期が始まる
タイミング。
たぶん前期の途中で(日本の大学を)もう辞めようと思って夏に一時帰国して退学届
け出して。
で、そこから本科生としての北京留学が始まるって感じです。
中尾:え、すぐに本科に入れたの?
鈴木:入りましたよ。その前の語学プログラムで(基準点を)クリアして。
確か80点以上は1年下(後期)、90点以上が2年上(前期)から入れて、(自分の場
合は)1年下(後期)から入れるっていうことだったんで、それで入れました、確
か。
中尾:そこで日本の大学を辞めて、北京に移って4年の卒業まで?
鈴木:はい、そうですね。
中尾:大体どんな一日のスケジュールなの?学生時代って。
鈴木:何時からあったっけ?8時か9時からで、みっちりですよ。1日中。
中国は1コマ50分だったはずで、4時ぐらいまで授業があって、授業が終わって4時以
降は何してたかな?何もしてない気がするんすけど、まあ何もしてないことはないん
でしょうけど。
いや4時ってことないな結構暗くなってたんで、6時ぐらいまで授業あったはず。
中尾:(授業は)語学だけじゃないんでしょ?
鈴木:いや、語学だけっすよ。僕は翻訳学科だったんで。中国語で中国語を学ぶとか。
中尾:(帰国後も交流を持ち続けるきっかけでもあるサッカーチーム)Rにはもう早々に入
ってた?
鈴木:いやRは最初入ってなくて、最初に参加したのはGですね。大学でサッカーチームが
あったんですけど、その先輩の繋がりで。
土曜日Gでフットサルで日曜Rでサッカーの試合だったと思う。
<社会人>
中尾:卒業は2014年?
鈴木:14年2月。
中尾:2月までなの?じゃあ、2月卒業で4月から新卒入社?
鈴木:そうそうそうそう。
中尾:そっか夏卒業じゃないんだ。
鈴木:普通は9月から1年の上期じゃないですか。僕それ下期で入ってるんで。
中尾:就職活動も向こうにいる間にしてたってことでしょう?
鈴木:一時帰国してやりました。海外留学生枠で入社してるんですけど、夏休みに入ってか
らちゃんと面接とか試験とか受けれるようになったんです。夏休みに帰って一か月、
就職活動をしてって感じですね。
語学が使えることが(就職先を選ぶ基準の)メイン。中国語を使えるか。
バーってソートかけていって「中国語喋れる人採用したいです」、「海外経験がある
人採用したいです」っていう会社をメインに探していた感じです。だから今の業界は
たまたまです。もう全く何の縁もゆかりも無い。この業界が良いっていうこともなく
希望の条件から選んでいったら残ったのがそういうことだったと。
中尾:最初から東京の本社勤務だったんだっけ?東京本社勤務で結局国内転勤なしでそのま
まジャカルタ?
鈴木:そうですね。東京で5年、こっち(ジャカルタ)に来てもう5年目。
中尾:国内の仕事とインドネシアの仕事はやっぱ充実度とか満足度とか変わるもの?
鈴木:何ですかね?東京でやってる仕事とこっちでやってる仕事と全然違うんですね、実
は。業界が全く違うんです。業界が全く違うっていうのは、海か陸かってだけなんで
すけど。物流は物流ですけど、本社(東京)は海100%、こっちは陸がメイン。
(陸の方が)もっと細かなやりとりがある。だから全然違うんで、その充実度とか満
足度とかも全然違うんです。まあ、実際こっち(ジャカルタ)の方が大変は大変で
す。デイリーでトラックなんて動いてるじゃないですか、毎日。船は1か月に1回、日
本に来て(荷物)積んで。
大事なポイントも海と陸で全然違う。できれば早く海戻りたいって感じです。
中尾:今後も海外を渡り歩く可能性は高い?
鈴木:どうなんですかね?こればっかりは会社次第なんで。まあ個人的には日本に帰るのは
結構先で良いなとは思ってますけど、40超えてからぐらいでいいかなって。もう1つ2
つの国を渡って、できれば中国にも戻りたいですけどね。中国、香港ぐらいには。
元々語学のことがあって選んだ会社なんで。
中尾:まだその話は出てこない?
鈴木:出てこない。
中尾:最後にあと2つ質問を。
別に堅苦しくなくて良いいいんだけど、その仕事上のテーマとか、プライベートでの
テーマってどんなものがあるのかなと思って。
鈴木:まあ、仕事はね、上の方々が本当ね、すごい方が多いので、追いつけ追い越せじゃな
いっすけど、まあ、うん、独自を行ってみたいっすよね。まあ、結局追いつけ追い越
せだとその人のレールで追いかけっこしてるだけなんで。
だから自分だから出来たことを作りたくて、こっちで色々やってます。
プライベートは特に何もないですね。幸せに過ごしたいってだけです。
ようやく式も家族で挙げられましたし。
中尾:最後に、今後の仕事でチャレンジしたいこと、プライベートでチャレンジしたいこと
をそれぞれ。
鈴木:仕事は立ち上げからやってみたいですね。例えば、現地法人を新規立ち上げすると
か。現地駐在事務所の開設とか、立ち上げから携わってみたいっていうのはあるんで
すけど、そしたら多分ね、愛着湧くんで、長くいても気にならないかなと。ある程度
ウェルカム日本の国で。
海外現法(現地法人)を立ち上げ、携わってみたいっていうのは目標かもしれないで
すね。今の会社にいる限り、会社としてはもっともっと、どんどん広げていくってい
う方向性ではいろんなことにチャレンジしていて、よりニッチというか、他がやらな
いところ攻めていこうぜっていう感じなんで。
中尾:じゃあ、可能性はまだまだあるよね?
鈴木:あるんじゃないかなと思います。
プライベートの目標は何ですかね?考えたこと無かったですけれども、まあ何かな、
家じゃないですか?赴任先がどうなるか分からないし、(妻が)必ずついて来れるか
も分からないので、家が有った方が安心かなと。まあ、そこが目標じゃないですか。
中尾:最後、あのちょっと聞き忘れたのが、その小中学校の時とかまで遡っても構わないん
だけど、今回のイベントの段取りとかもめちゃめちゃ細かに色々とアレンジして、や
ってくれたわけじゃん。そういう役回りっていうのは小さな頃から得意だったのか、
それとも何かしらのきっかけがあってやるようにしたのかとか。
鈴木:まあでも北京行ってからだと思いますよ。北京でイベントを取り仕切ってる先輩とか
を見て。
(取り仕切るのが)大変なのは分かりますけど、(大人数が集まる)ああいった所で
ね、活躍じゃないですけど、目立つと皆から覚えてもらえるじゃないですか?結局駐
在もそれが一番。駐在来て良かったなっていうメリットだと思うんで。
別に仕事で儲ける儲けないんじゃなくて、人脈どんだけ作るかというか。だからイベ
ントで窓口としてやっていると、自分の名前を覚えてくれるじゃないですか。よく分
からない問い合わせも来ますけど。それ、僕ですか?みたいなのもありますけど。
まあ、良くも悪くも名前は覚えてもらってるっていうのは分かるんで。だから最近も
現役の北京の大学生からいきなりポンってメールが来て、「北京でサッカーしたいん
ですけど」って、自分のアドレスが載っているパンフレットか何かを見て連絡させて
もらいましたって。それでチームの方に取り次いで。そういった繋がりは間違いなく
増やしたいっていう気持ちからやってると思います
だから大人数の前でめっちゃ受けてたMさんとTさんの影響はデカいね、尊敬です
よ。本当にあの2人は。
それとFさん。Fさんは本当にいろんな繋ぎや架け橋になってくれてるんで、今でも
北京組と繋がりがあるのはFさんがいるからじゃないですか?
その3人だな北京で影響を受けたというか、すげーなって思ったのは。
中尾:いや、でも(サッカーイベントが)本当にジャカルタ開催で良かった。
鈴木:本来は2020年開催予定だったのが、コロナで出来なくなっちゃったんでね。まあ、
(自分が)いるうちにやれれば良いなと思ってましたけど。
中尾:もう少し早いタイミングでどっかにスライド(異動)する可能性もあったしね。
鈴木:だから良かったっすね。
中尾:良い時間だったね。
ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。
それでは第8回お楽しみに。
ではまた。
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