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【私の会いたい100人:第6回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第6回


お楽しみに


<オープニング>


中尾:「私の会いたい100人」 第6回のゲストにお越しいただきました「ガーさん」こと

   Dao Thien Ngaさんです。よろしくお願いします。

   

   ガーさんは、わたくし中尾がベトナムに渡り、日本語を教えることになった学校で事

   務全般をやって一緒に働いてくれた同僚で、住む家のことなども含め公私ともども、

   とてもとてもお世話になった方ですが、今回のゲストであるガーさんのプロフィール

   を紹介したいと思います。


  

〈プロフィール〉 ホーチミン市出身

大学時代に日本語を学び、その語学力とそれ以上に人柄とコミュニケーション能力により先生、学生皆から相談を受ける縁の下の力持ち。

日本人の旦那さんとの結婚を機に日本へ移住、今では2人の子どもを育てる強いお母さま、

本日のお客様 Dao Thien Ngaさんです。




中尾:先に触れておかなければいけないのが、今年の4月か5月くらいでしたっけ?

   川崎で偶然会ったのが。

   (ガーさんがベトナムを離れた2007年以来)16年ぶりとかですもんね?    それから一度も会ってないのに、交差点でばったり。


ガー:そうですよね、あの3月(2007年)に私の誕生日に結婚して、それからすぐ日本に行

   ってね。(見かけて)すぐ分かりました。(中尾は)変わってない(笑)




<~社会人>


中尾:ガーさんの子供の頃からの話を聞いてみたいんですけど、小学生の頃ってもうバイク

   はありました?


ガー:まだ少なかったね。


中尾:やっぱりそうですよね。80年代半ばとか。


ガー:(ベトナム)戦争が終わったばかりで。小学校も近かったから休憩の時間にお家帰っ

   たりしてた。


中尾:(自分がベトナムにいた)2000年代だとみんなバイクで(学校の)送り迎えを親がし

   てたじゃないですか?小学校とかも。


ガーさん:みんな歩ける距離だったから歩いてた。歩いても10分とか15分とか。

     高校だとちょっと離れて自転車乗ってっていう感じ。


中尾:そっか。1クラスって何人ぐらいいたんですか?


ガー:50人ぐらいが普通で、それが10クラスくらい。日本の学校は少なくなってるけどね。

 

中尾:自分の印象だと、午前クラスと午後クラスで別れてたたような?


ガー:そうだね。朝から12時までのクラスと1時から5時までとかね。


中尾:それって、例えば1学年が10クラスあったとして、1組から5組が午前で6組から10組

   が午後みたいな感じですか?


ガー:ううん、学年によって。


中尾:ベトナムの小学校ではどんな科目を習ってたんですか?


ガー:国語、算数、体育、美術は無くて図工みたいな。英語は勿論無い。小学校は音楽はな

   かったね。中学はあったけど、ただ歌うだけ。リコーダーとか楽器も無くて。


中尾:歌は、例えば軍の歌とか?


ガー:そういうのは時々。基本的には子ども用の楽しい歌。


中尾:そうなんだ。

   日本の小学校、中学校だと、クラブとか委員会とかあるけど、どうでした?


ガー:クラブとかは無いけど、クラス長、副クラス長とかいくつかのグループがあってその

   グループリーダーとかはいたね。

    

中尾:ガーさんは?


ガー:私はクラス長(笑)


中尾:それって自分でやりますって言うの?それとも先生とかから?


ガー:4年生まではクラス長ではなかったけど、5年生の時に先生に言われてクラス長になっ

   て、それから中学校入ってもずっと。中学校も地元だから、そのまま同じクラスにな

   った子がいっぱいいるから、あなたそのままやってみたいな。


中尾:ガーさんの性格として、そういう役割はやりやすい立場だったのか、何かストレスを

   感じていたのか?


ガー:全然(ストレス無い)。楽しかった。


中尾:ガーさんの個人的な考えでいいんですけど、例えば当時は塾とか当然無い訳で、学校

   の授業が全てだったと思うんですよね、でも成績に差ってつくじゃないですか?

   それって何による違いだと思いますか?


ガー:まあ、多分、環境。例えば、うちでは新聞とか小説とか本とか読めたし、(自分も)

   好きだったけど、やっぱりそうじゃない子もいるし。


中尾:部活もクラブ活動もありません、午前中で学校終わりました、で、お昼家で食べま

   す、それから午後ってどういう過ごし方なんですか?


ガー:まぁ、おままごとしたり、料理とか。キッチンセットみたいなのがあって、お母さん

   から野菜とかお米とかもらって本当に作るの。ガスも無かったから、電気もコンロも

   無かったから、木(に火をつけて)で作って。あとは人形に洋服作ったり。

 

中尾:子供の頃を振り返ると、今と遊び方は全然違いますけど、楽しかったですよね?


ガー:うん、楽しかった。

 

中尾:少し話変わりますが、ベトナムってサッカーがすごい熱狂的というか、人気があるじ

   ゃないですか?ガーさんが子供の頃ってどうでした?


ガー:みんな好きだから私も観てました。ユーロ(ヨーロッパ選手権)とかね、近所で集ま

   ってみんなで観て。ワールドカップとかも夜中の2時とか朝とかね。


中尾:ライブだと大体そういう時間ですもんね。


ガー:1988年(ヨーロッパ選手権)にオランダが優勝して、あのすごい強い3人、ファンバステンとライカールトとグリット(フリット)。


中尾:すごいな?!まさかガーさんのこの口からその3人が出てくるとは…?!

   すごいな、やっぱりその頃から人気あったんですね。





<ベトナムでの社会人時代>


中尾:少し日本語関係に話を移していきますが、大学進学の時に、大学をまず決めたのか、

   日本について勉強したいっていうのが先だったのかとか?


ガー:文系だったんで、経済大学とかは興味無いから社会科学人文大学に。

   まあ、家から近いし。

   あとは外国語ができると給料が良いし。東洋学科は日本学科の他にオーストラリア、

   中国、韓国があったのかな。オーストラリアは選べなかったから、その中で日本学科

   にして、でも日本語なんて全く知らないから、初めて日本の教科書を見て何これ?っ

   て(笑)


   日本について研究する学科だったから日本語の授業はそのごく一部だったけど、日本

   語を覚えて、仕事に使おうと。


中尾:やっぱり仕事の為にとかサラリーの為にっていう動機が殆どですよね?。

   当時は特に。


ガー:うん。


中尾:自分がベトナムにいた時(2005-2008)も日本語を勉強している人たちの目的って、

   それ(仕事・高収入目的)が殆どだったと思うんで、そこらへんは変わってないです

   よね。


ガー:日本語クラスの事務の面接受けた時に、何で日本語を勉強したのか聞かれて、「(高

   い給料がもらえる)日本の会社で働けるから」って私は正直に答えてて、他の人は

   「日本の文化が好きで」とか答えていたらしいけど、突っ込んで聞かれるとうまく答

   えられなかったみたいで、それで私が選ばれたみたいです。


   大学の時は(日本語を)全然喋れなかった。殆ど文法の授業だったし、日本人の先生

   も週に2回だけだったし。

   でも日本語クラスの事務になったら、日本語の本は沢山あるし、分からないことがあ

   れば(日本人の)先生に聞けばよいし、仕事も忙しくないし良い環境。

   もう読み放題、勉強し放題。


中尾:そこで働いていたのが2年くらいでしたっけ?その後は?


ガー:岡山。工場で働くベトナム人の通訳として。

   行ってみたらすごい田舎で、山と田んぼだらけ。

   着いた日は宿舎に着いたのが夜中2時とかだったから真っ暗で分からなかったんです

   が、次の日朝起きたら、山と田んぼだらけで「すごい田舎!」みたいな(笑)


中尾:ホーチミン市の方がまだ都会だったと(笑)

   1年の間に東京に行ったり、大阪に行ったりそういう時間はありました?

 

ガー:うん。東京に今の主人がいて、当時は友だちというか知り合いみたいな感じで。


中尾:その時もう知り合ってたんですか?


ガー:日本語クラスで働いている時に、彼はエンジニアの仕事でプロジェクトがあって何度

   かホーチミン市に来ていて、友だちに誘われた食事会で会ったことがあって。

   それで岡山に行ったから連絡しようみたいな。それで東京に遊びに行った時に会っ

   て、彼も岡山に一回遊びに来てくれた。一緒に岡山城とかね。


   その時に、まぁ色々話があったけどベトナムに帰ることは決まってたから。

   そしたら私が6月に(ベトナムに)帰ったんだけど、次の月くらいに彼が(ホーチミ

   ン市)まで来て、それから2か月ごとに来てて。


中尾:そんなにしょっちゅう来てたの? 

   (毎日一緒に仕事をしていたのに、つくづくその手のことに鈍感な自分を思い知

   る…)


ガー:金曜日に仕事終わってから深夜便で来て、日曜の深夜便で帰って月曜の朝から仕事し

   て。


中尾:素晴らしい。。。

   それで(2007年)3月に式を挙げて、そのまま日本に行ってと。

   いや、そんなにドラマチックなやり取りがあったとは。




<日本での生活>


中尾:2007年に日本に移ってからは東京や千葉を中心に生活をしていたんですか?


ガー:うん。あとは千葉駅の近くで雑貨屋さん作りました千葉市の助成事業が有って応募し

   たら採用されて。家賃、光熱費含めて3万5千円。


中尾:素晴らしいね?!


ガー:(ホーチミン市で有名な)ベンタン市場とかで買い付けして。でもお店をオープンし

   てから(第一子の)妊娠が分かって、だからスタッフ雇って1年半くらいやりました

   が、その後は続けられなかった。


中尾:またそういうお店やりたいとかあるんですか?


ガー:その時は家賃安かったし、まあ(アジア雑貨の)ブームとか。

   それにお店とかやると時間かかかります。子供が大きくなってから考える。


中尾:今、お子さん2人で中三と小二でしたっけ?


ガー:うん。


中尾:ちっちゃい頃って、ただただ可愛いじゃないですか?でも小学校とか中学校になる

   と、ただ遊んでるだけだと何やってんだってなったりするのかなとか、勉強に対して

   も厳しくなっていったりとか、親の期待とかがどういうふうに変わっていったのかな

   っていうのはすごい興味があって。


ガー:うちは幼稚園のときは公文とかは行かなかったけど、無料の(問題)とか色々印刷し

   てやらせてた。


中尾:最初ってどうでした?楽しいって言ってやるのか?


ガー:まあ、毎日やると、1週間もすれば当たり前なことに。

   無理矢理やらせない。でも急に頭良くなるわけではないね。全部練習が必要です。

   ちゃんと毎日練習しないと。1日1ページで良いから。


中尾:すごく勉強になります。


ガー:でも、家庭によって考え方あるから。小学生時代は勉強しない方が良い、楽しく遊ぼ

   う、でもいいし。

   多分私は日本人じゃないから、アジア人は中国も韓国も教育熱心で勉強が本当に多い

   ね。大学受験すごいじゃんね?そんな感じ。

   でも、無理矢理は良くない。勉強嫌いになるから。


中尾:それを習慣にどうスムーズに持っていくかってことですよね?


ガー:公立の学校だと勉強量が少ないじゃん?だから色々用意して。

   あとは英語とかそろばんも。


中尾:ガーさんも休む暇ないじゃん?


ガー:だから子供と一緒に相談しながらスケジュールを作って。


中尾:それを毎日やってると。


ガー:そうね。もう当然のこと。

   11月からは月水金も仕事になるから、家族みんなで分担できることや自分でできるこ

   とはやるように。今はその為のトレーニングだね(笑)


中尾:最後に、これから50歳、50代を迎えるという年齢になってきますけれども、これから

   仕事とプライベートそれぞれでチャレンジしたいこととか、やりたいことをそれぞれ

   で教えてもらいたいなと。


ガー:今はまだ子育てが一番大きい(重要)ですよね。

   毎日楽しく学校で過ごして、家でも幸せに一緒に過ごす為に時間とお金が必要(笑)

   習い事もそうだし、旅行も色々連れていきたいので、その為に仕事をして家族であち

   こち行けたら良いと思っていて。

   

   今の目的はそれだけ。

   子どもがもう少し大きくなったら、その時また考えるけど、今は遠い将来のこと考え

   てもしょうがないから、

   

   「今」が一番大事ですから。

   今やらないといけないことに集中して、仕事も頑張る、子育ても頑張る、それをバラ

   ンス取って、それくらいかな。


中尾:ありがとうございます。

   ということで、いろんな質問にお答えいただきました。

   今日は本当にありがとうございました。




ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは第7回お楽しみに。


ではまた。




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