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【私の会いたい100人:第5回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、東北開催第一弾となる第5回


お楽しみに


中尾:「私の会いたい100人」 第5回のゲストにお越しいただきました「ミンチョさん」こ

   と三浦 儀彦さんです。よろしくお願いします。

   ミンチョさんは、わたくし中尾がベトナムから大連に渡り、所属したサッカーチーム

   のチームメートで、大連時代はサッカーは勿論、職場が近かったのでランチをご一緒

   したり、ビール祭りに一緒に行ったりと非常にお世話になった方ですが、今回のゲス

   トであるミンチョさんのプロフィールを紹介したいと思います。


   

〈プロフィール〉  福島県出身 

 小学校時代に「〇〇ちょ」というあだ名付けが流行り「みんちょ」が定着し、仲間から親

 しまれる。

 学生時代に本格的にサッカーに打ち込み、年を重ね赴任した大連でも正ゴールキーパーと

 して活躍。

 帰国後は子どものサッカースクールに帯同し、子どもの成長を見守っています、

 本日のお客様 三浦 儀彦 さんです。




〈~大連〉  中尾:ということで、今回いわき市まで来ましたが、福島県出身は合ってます?


 三浦:うん、福島県いわき市。

    (会場となっているいわき駅近くから)歩いて20分くらい。この辺地元です。

    サッカーは中学校から社会人、大連に行くまでずっと。


 中尾:この(今回会場になっている)喫茶店もミンチョさんが高校の時には既にあったと

    いう老舗なんですね。子どもの頃は駅は有ったんですか?


 三浦:(笑)

    駅は有ったよ。昔は「平(たいら)駅」って。で、いわき市に「いわき」という駅

    が無かったので、作りましょうとなって30年とか前に名前が変わって。

    だから、古い人は今も「平駅」っていう人もいるし。


 中尾:(いわきと言えば)ハワイアンセンターも小さい頃から有ったんですか?


 三浦:うん。叔母さんがハワイアンズで勤めてたりしたし、数えきれないほど行ったよ。


 中尾:先ほどサッカーは中学からという話がありましたが、小学生の時はどんなことにハ

    マっていたんですか?


 三浦:通ってた小学校にはサッカークラブとかサッカーができる環境が無かったんだけ

    ど、6年生の時に地域で強かった学校から先生が赴任して、チームを立ち上げまし

    ょうと。正式には自分が卒業してからなんだけど、1回だけフェスティバルかなん

    かに出るのに(チームを)作ってくれて。

    それまではサッカーができなかったから、合唱部だった担任の先生にとっ捕まって

    器楽部に入れられて、チェロやって(笑)


 中尾:チェロですか?そんなにちゃんとしてるんですね?

    サッカーをやりたいと思ったのはどういった背景から?


 三浦:4つ上の兄貴がサッカーやっていて、野球もあんまり得意じゃないし。

    キャプテン翼も自分が小学校4年くらいの時に始まったのかな?


 中尾:実際のサッカーはテレビとかで観てたんですか?


 三浦:当時サッカーが観れたのは「三菱ダイヤモンドサッカー」だけ。

    今週前半やって、来週後半やってみたいな。


 中尾:そうだったんですね。それで、中学入ってからは1年から部活に入って。

    最初からキーパーですか?


 三浦:さっき言った小学校の特別チームで先生に言われて(キーパーやって)。

    でも、キャプテン翼とか観てたから、やっぱり中盤希望だったけど、中学校入って

    1つ上の先輩を見てたら、自分の方が上手いなと思って「キーパーやります」っ

    て。そしたら1年からレギュラーになって。


 中尾:スゴいですね?!それからはもうキーパー一筋で?


 三浦:うん。


 中尾:ワールドカップとか日本代表の試合とかはテレビでやってたんですか?


 三浦:代表の試合もやってたと思うけど、あんまり印象に無いな。

    ワールドカップは1982年のスペイン大会から見始めて。(6月―7月の大会期間

    中)中間テストもある中で深夜に観ていて。


 中尾:印象的なプレーヤーや試合は?


 三浦:高校の時のマラドーナの5人抜きとか神の手。あれを生で観てたからね、スゴいな

    ぁって。マラドーナとジーコが好きだったからさ。


 中尾:ジーコが日本(のチームに加入する為)に来るって聞いた時はどうでした?


 三浦:そりゃ興奮したよ!


 中尾:学生時代の(サッカー部の)成績はどうだったんですか?


 三浦:中学は全然だったけど、高校の時はインターハイと選手権の予選が3年間で6回ある

    じゃん?そのうち3回が県で準優勝。


 中尾:(全国大会出場まで)あと一歩だったんですね?!

    中学、高校はサッカー一筋だったんですね。勉強の方はどうだったんですか?


 三浦:特に好きでもなかったから対して勉強はしてなかった。

    ただ、当時は成績が良ければ就職ができたから。今の会社も成績上位4人とかしか

    取らなかったから。自分が入った科は福島県では1番競争率が高かったし。


 中尾:勉強していないけど、(勉強)できたというのは、好きな分野だったからですか?


 三浦:いや、入ったは良いけど、あんまり向いてないと思ったよ。

    勉強だからやればできるけど、向いているとは思わない。ま、仕事もやっているけ

    ど。コンピューターだから算数と変わらないじゃん?


 中尾:就職は希望通りだったんですか?それとも他にも選択肢があったんですか?


 三浦:選択肢だね。先ずは地元に就職するか、県外に就職するか。

    あとは海外で仕事したい気持ちが有ったから、ここ(今の会社)だったら海外で仕

    事する機会もあるかなと思って。


 中尾:海外に行きたいというのはどんなきっかけがあるんですか?


 三浦:サッカーやってるし、中学校の地理とかも、ドルトムントだったら何が有名で、バ

    レンシアだったら何が有名でみたいにサッカーチームとかと紐づけて考えていたか

    ら、南米とかヨーロッパには行ってみたい気持ちがすごくあって。

    だから仕事でドイツのシュツットガルトに行ってた時は、ここがシュツットガルト

    か?!みたいな感じで。


 中尾:地元にあるけど海外にも行けるというのが(会社選びの)大きなポイントだったん

    ですね。




             (写真:大連チーム北京遠征)


〈大連時代〉


 中尾:大連に行く前に海外赴任はあったんですか?


 三浦:いや、何度か話はあったんだけど、色々タイミングがあって結局行かなくて。


 中尾:大連駐在は自身の意向はあったんですか?


 三浦:実は前にも1度打診があったんだけど、その時に取り掛かっていた仕事の兼ね合い

    で流れたんだけど、次に話が来た時は、そろそろかな、というのがあったから。


 中尾:行くときは何年の予定だったんですか?


 三浦:3年。


 中尾:行ってたのは何年でしたっけ?


 三浦:2008年から2012年。


 中尾:少し予定より延びて?


 三浦:そうそう、3年経って、半年延長してって言われて半年延長して、もう半年延長し

    てって言われて半年延長して、もう半年延長してって言われたけど、それは勘弁し

    てくれって(笑)


 中尾:大連側から引き留められていたけど、さすがにもう、となったと。

    話を戻しますが、大連に行ったのは2008年の春でしたよね、確か。


 三浦:そう、5月15日。Jリーグ開幕の日。


 中尾:サッカーチームに入ったのはいつ頃からで、何きっかけでしたっけ?


 三浦:8月ごろで、無料情報誌を見て。2チームあったんだけど、(参加したチームが)ブ

    ログを見て楽しそうだなと思って。当時のキャプテンとかが優しくて、結構声かけ

    てくれて。でも最初の頃は「無理しないで良いですよ、動けないでしょうから」み

    たいに言われていて(笑)


 中尾:20代のメンバーが多かったし、(三浦さんは)当時は40歳ですからね?

    プレーを見るまではそうなるでしょうね(笑)

    いつだかの試合で相手に攻められまくってるのに、(三浦さんが)シュートをバン

    バン止めまくってて、相手の中国人が「どうやったら点入るんだよ?!」みたいに

    叫んでたのがとても印象的でした。

    

    駐在メンバーが中心のチームなので、当然出入りが多いですが、印象に残っている

    チームとかメンバーはいますか?


 三浦:みんな印象に残っているよ。J-ASIA(アジアでの大会)で3位だったしなとか。


 中尾:クアラルンプール(大会)ですね、あれ良かったですよね。大会後の遠足も楽しか

    ったですもんね。


  補足)   J-ASIA:アジア各国にある日本人駐在員が主体となっているサッカーチームが年に一度

      集まり開催されているサッカー大会。

  遠 足:大会翌日に三浦さん含め数名で離島に行き、シュノーケリングなどバカンスを

      満喫しました。


 三浦:(現在代表&監督を務めている)サッカーチームの子どもたちに「(若い頃の)監

    督の成績はどうだったんですか?」とか聞かれるから「監督はアジアで3位だった

    んだぞ」って答えてる(笑)

    当時のシャツも自慢する時に使おうと思って取ってあるし。


 中尾:嘘ではないですもんね(笑)

    大連では仕事とサッカー以外はどんな時間の使い方でした?


 三浦:中国語だね。会社で管理職に求められているスコアがあるから中国語の勉強はやっ

    てた。宿題とか出してもらってて、火曜日の夕方提出だからって火曜日の朝やっ

    て、会社のメンバーにどうかな?って見てもらって(笑)

    

    テストの前とかは朝も昼休みも勉強してたもん。

    最後(日本に)帰任する時の挨拶も全部中国語でしゃべったもんね。


 中尾:(拍手)素晴らしい!

    同じ程度の中国語力だと思ってましたが、完全に差がついてたんだなって言うのを

    今ハッキリと認識しました…




            (写真:みんちょさん日本帰国前夜)


〈帰国後〉


 中尾:2012年に帰任してからはずっといわきですか?


 三浦:(駐在の)話はあったけど、ずっといわき。


 中尾:話が前後しますが、大連に行くときってお子さんは?


 三浦:4歳と1歳。家族で一緒に大連に行く話もあったんだけど、(中国や大連について)

    あんまり良い話が(奥様の)耳に入らなかったみたいで、結局単身に。


 中尾:単身で行くことになって当時はどんな気持ちでした?


 三浦:やっぱり寂しいよ。ただ、結果的に言うと3か月に1回くらいは帰れてたから。

    個人的にもあるけど、仕事の都合で帰ったりもしてたし。

    とはいえ最初の3-4か月は寂しかったけど、ま、サッカーチームのメンバーとかに

    支えられてね。


 中尾:当時は自分は独身だったから、単身赴任で来てる方たちのことを十分想像ができて

    ませんでしたが、今子供がいる身になって思うと、単身で海外でお仕事して、家族

    を支えてって、本当にスゴイなと思うんですよね。


    2012年に帰って来てからはどんな時間の過ごし方ですか?


 三浦:まぁ普通に、土日は子ども連れて遊びに行ったりとか、あと、最初の1年くらいは

    中国語の勉強もやってたし。

    

    「三浦さんは初級のレベルじゃないです」って中級のテキスト渡されて(笑)


 中尾:そりゃそうですね(笑)

    少し話変わりますが、2011年にミンチョさんが大連いる時に震災があったじゃない

    ですか。

    で、2012年に帰任されて。震災から12年経ってますが、街の雰囲気だとか、いろ

    んな感じることで構わないんですけども、震災前に戻ってきたなっていう感覚って

    いうのはありますか?


    人の過ごし方だったり、働き方だったり、店がやってるやってないとかも含めて。


 三浦:いわきだけ見たら全然普通。ただ、やっぱり原発の近くのところに行くと、人がい

    ないし店も無いしっていう。今も変わらず、その状況は続いてしまっている。


    道もキレイになってるし、建物とかも建ってるけどやっぱり働く場所もないし、年

    寄りしか戻ってきてないから、そういう意味では(原発近くの地域には)戻って来

    ないで皆いわきに住むと。


    だから、人口はそれなりなんだけど、原発の近くに行くと、やっぱり人は少ない。


 中尾:(7,8年)前に来た時もいわき市だけすごい地価が高騰してるみたいな話を確かし

    てましたもんね。(地価の高騰は)まだ続いているんですか?


 三浦:まあ落ち着いてきたけど、それなりの値段だったりする。


 中尾:最近だと処理水のこともあるじゃないですか。それに対する意見だとか、考え方っ

    てどういうものが地元の方にはあるもんですか?


 三浦:そんなに細かい話をしないけど、普通になんだろう?魚も食うし、米も食うし、普

    通に美味いし。漁師さんだとかが知り合いにいないからよく分からない。


    店もコロナで落ち込んだことの方が大きいと思うよ。それでも、ふるさと納税とか

    で応援してくれる人もいるから。


 中尾:ああ、そうなんですね。そういう意味では、これからも引き続き応援してくれる方

    はいるでしょうね。

   

    ちょっとお仕事関連に話題を移しますが、自分も色々会社変わったりとかしてます

    し、当然ミンチョさんの会社でも途中で離れていく仲間もいるじゃないですか?


    ミンチョさんの中でも職場環境を変えたいとか、会社を変えようとか、そういった

    波があったタイミングとか時期ってありますか?


 三浦:そんなのしょっちゅう。ま、それは冗談だけど、(駐在先の)中国から帰って来た

    時も日本だと物足りないと思うこととかあったし、業界としてはまだまだ海外で

    (事業を)広げたい会社もあるからね。


 中尾:そうなってくるとやっぱり来てほしい人材は限られますよね。誰でもいいわけじゃ

    ない。


 三浦:独身だったらまた別の環境でっていうのもあるのかもしれないけど。


 中尾:そうですよね、家族がいますしね。

  


〈今後について〉


 中尾:では、最後の質問になりますが、60歳或いは60代に向けてお仕事で今後チャレンジ

    したいこと、プライベートでチャレンジしたいことをそれぞれ教えていただけます

    か?


 三浦:本来は今年だったんだけど少し伸びて、でも来年には役職定年を迎えることになる

    と思う。定年が60歳だからその後、再雇用を選ぶかは分からないけど、一緒にやっ

    てたメンバーとかを育成したりね、今から自分で立ち上げてっていう立場ではない

    からそういった(メンバーが立ち上げた)プロジェクトを間接的に支える側になっ

    たかなあというか、やっていかなきゃなっていう。


 中尾:プライベートはいかがですか?


 三浦:プライベートの方は話が長くなっちゃうんだけどさ、地域の小学生サッカーチーム

    の代表兼監督になっていて。それは楽しくやっていきたいなと思う。


 中尾:その活動はしばらくは続けていくと?


 三浦:(十分な給料をもらって)食べていけるんだったらさ、仕事辞めてそっちやってい

    たいけどね。どっちにハマりたいっつったらそっちにハマりたい(笑)


 中尾:そりゃそうですよね(笑)


    取り留めも無く、いろんな質問にお答えいただきました。今日は本当にありがとう

    ございました。


    ミンチョさんの反応を見ていると、こんなんでいいのかみたいな感じだと思うんで

    すけどインタビューを受けてみていかがでした?


 三浦:大連の時とかに話した内容とかも多かった気がするから、仕事の話とかもあんまり

    してないし、これで大丈夫なの?って(笑)


 中尾:大丈夫です、いつも大体こんな感じです(笑)ミンチョさんはそう思っているかも

    しれませんが、自分にとっては新しい情報盛りだくさんだったので。

    5年後、10年後、時間が経って、また色々とお話聞かせてもらえると嬉しいです。




ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは次回第6回お楽しみに。


ではまた。



                                      (了)




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