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【私の会いたい100人:第4回】

更新日:2023年10月12日


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第4回


お楽しみに


中尾:「私の会いたい100人」 第4回のゲストにお越しいただきました「ヤジ」こと矢島

   麻衣子さんです。よろしくお願いします。

       ヤジは、わたくし中尾がベトナムで現地の学生に日本語を教えていた時の同僚の先生

   で、異国の地で2年間ともに過ごした仲間です。それでは先ず簡単に、今回のゲスト

   であるヤジのプロフィールを紹介したいと思います。

  


〈プロフィール〉  神奈川県出身 

 ベトナム赴任より本格的に日本語教育に携わり、ベトナム、日本を経て、今はメキシコで

 日本語を教え続け早13年。ベトナム時代は、持ち前の情熱と真っすぐさで学生からとても

 慕われていました、本日のお客様 矢島 麻衣子さんでいらっしゃいます。



〈~ベトナム①〉


中尾:神奈川出身は合ってる?


矢島:はい、神奈川です。


中尾:どういう経緯で日本語教育に携わるようになったとかも聞いていきたいと思うんだけ

   ど、もう少し昔に遡っていくつか話を聞いてみたいと思います。

   

   先ずは、幼少期と言うか、小学生の頃はどんなことが流行っていたり夢中になってい

   たり、よく遊んでいたことでした?


矢島:うちは親が音楽関係って言うんですかね?ピアノの先生だったんですね。


中尾:あ、そうなんだ?じゃあ、小さい頃から楽器いじりながらって感じ?


矢島:いえ、しょっしゅう外で兄たちと山で遊んでて。セミとったりザリガニ捕まえたり、

   あとは野球やってるところで球拾いしたりとか。


中尾:ピアノやりなさいとか、何やりなさいみたいな音楽の熱心さっていうのはそこまで無

   かったの?


矢島:ただ遊んでた(笑)親も特に教えなかったですね。おそらくすごい厳しい先生だった

   と思います。だから(指導者でなく)ちゃんと親の立場でいてくれて良かったなと。


中尾:ああ、そうかそうか。他にハマってたことは?


矢島:ミニ四駆の改造とかやってましたね。多分兄の真似をして。かと思えば近所の女の子

   とはお遊戯ごっこをやったり。


中尾:ミニ四駆の改造ってスゴイね?!そうすると、これは男が遊ぶものだから嫌だとか、

   女の子はこれしなきゃとかは元々あんまりなかったのかな?


矢島:ですね。そういう感覚はなくて。


中尾:スポーツとかは?中学校は何か部活に入ってた?


矢島:中学の時は合唱をやってました。


中尾:それは何かきっかけがあったの?いろんなクラブとか部活があるわけでしょう?


矢島:兄がバドミントン入ってて、私はそれに入りたかったんですけど、(兄から)違う

   (部活の)方が良いって言われて、、、 でも他のスポーツに興味がなかったからク

   ラスの子とあちこち見学に行って、合唱部に。


中尾:それは三年間続けたの?


矢島:はい、続けました。そもそも入る時も弾みだったから、出る(引退)時も特に思い入

   れもなくですね、大会も無くて、ただただ時々集まって、文化祭とかでちょっと披露

   するくらいで。


中尾:じゃあ、特にアツくなるものも無かったと。学生時代他には?


矢島:部活じゃないですけど、何かありませんでした?広報委員みたいな。それですごいレ

   タリングにハマって。タイトルを飾ったりするんです。そのタイトルも自分でデザイ

   ンというか字体を作って。なんかひたすらやってたら、卒業アルバムをやってくださ

   いって。


中尾:発注が来た?! 新聞は毎月?


矢島:あぁ、どうだったろう?取り合えずハマったことだけ覚えているんです。自分の意思

   で(その委員に)入ったかも分からないし、(やっていた期間が)1年だけかもしれ

   ないし3年間だったかもしれないし。


中尾:それまでに、そういったデザインというか、例えば授業中に先生の似顔絵書いてと

   か、よく落書きしてたとか。


矢島:いや、特に。その時はもう楽しかった。でも、卒業したら(レタリングも)終わりっ

   て、もう書く理由ないしみたいな。


中尾:別に未練もなく、なんだね。




〈~ベトナム②〉


中尾:日本語教育に舵を切っていくきっかけを聞いていきたいんだけど。


矢島:おそらく就活期間じゃないですかね。多分自分はこういうの((オフィスワークする

   タイプ))じゃないなって。

   大学の専攻がスペイン語だったんですけど、日系人や移住してきてる人たちのお手伝

   いが役所であって。そこに来て並んでいる人たちは、日本で生活しているけど、日本

   語が全然分からないんですね。あ、こういう人たちがいるんだなあっていうのをまず

   感じて。


   こういうの届いたんですけど、どうしたらいいですか?とか、子供は日本語が話せる

   ようになってるけど、親は話せないとか。

   

   そういう経験があり、さらに就活の時に、これは何か違うな?が加わり、それから

   「日本語教育」のことを知った時に、勉強してみたいなと言う感じで勉強して。


中尾:養成講座で?


矢島:そうですね。で養成講座が終わったタイミングで実習の募集が有って、そのうちの一

   つがベトナムで、3か月ベトナムに行って、でも、それが消化不良だったので、もう

   一度ベトナムに戻って仕事しようっていう決意がその時にあって。

   そんな中で(就職先を)探していて。


 中尾:大学の時、スペインは第二言語?


矢島:ではなくて、スペイン語学科だったんですね。


中尾:あ、そうなんだ?なんで、スペイン語学科を選んだの?


矢島:高校にスペイン語のクラスがあったんです。で、色々学べるし興味本位で。

   それで大学行ったら、さっき話したように役所のお手伝いがあり、行ってみると窓口

   で対応する人は1人しかいなくて、でも待ってる人は沢山いて。だから、待ってる間

   のお話し相手をしながら来た目的などを確認して。


中尾:それがきっかけで日本語に関心を持ったということなのかな?

   自分も養成講座通ってたけど、(受講料が)結構高いじゃんね?どう踏ん切りつけた

   というか、もうこれを仕事にして行くんだっていうような感覚で踏み切ったのか?

   

   その時はもう日本語教師になりたいと思ったのか、それとも役所の取り組みみたい

   に、(日本語が分からずに)困ってる方々に、何かしらのお手伝いとか支援ができる

   役割を果たせればいいと思ったのか。


矢島:たぶん、役所のお手伝いは日本語教育を知るきっかけになっただけで、将来その仕事

   をしたいっていう訳ではなかったと思うんですね。後々になって仕事を考える上

   で、自分がどんな仕事がいいんだろうってなった時に、それが思い出されて。


中尾:少し、話が戻るけど、3か月のベトナムでの実習?は実際にクラスで教えていたの?


矢島:実際に教えてました。なんかすごく教案チェックとかされて。で、持ち回りで授業を

   行って、終わってからフィードバック受けて。


中尾:教案作りからだと、本当にちゃんとした実践的な取り組みだよね。

   その内容でも物足りないというか、消化不良と感じたのはどういった部分で?


矢島:至らないというか、中尾さんもそうだったと思うし、どの先生もそうだと思うけど、

   初めの1年って学びの1年というか、2年目、3年目とは比べ物にならない、もう何

   も分からない状態で、、、

   

   だから、実習終わって帰る頃には「またベトナムに帰ろう」って思いましたね。正

   直、その時にベトナムっていう所へのこだわりは生まれた。実習先はたまたまベトナ

   ムだったかもしれないけど、またベトナムでっていうその強い動機はベトナムで色々

   とお世話になったから。


 中尾:実習から帰って、ベトナムで仕事を探したいという時に、すぐに募集があったと?

    (はい)すごいタイミングだね?それも縁だね。





〈ベトナム時代〉


 中尾:ベトナムでの仕事が決まり、最低でも1年は海外に住むことになる訳だけど、ご家

    族の方は異国の地に対する不安だとかっていうのは、何か話題に上がったりした?


矢島:残念ながら、一切…(笑) その前に3か月行ってるし、その前にもちょこちょこ旅

   行してたから、今度はちょっと長いのねぐらいな。半年に1回は顔出せるし。


中尾:ベトナムには何年いるプランだった?


矢島:最初から2年だったと思います。それ以上居る可能性はあるけど、(学生が学ぶ期間

   が2年間のプログラムだから)最低2年って考えてました。

   入学から卒業まで見たいじゃないですか。


中尾:実習の時は何か違うもの?


矢島:今回は社会人として自分で自立してやっていくんだなって。

   で、着いて割と直ぐに学生の選抜試験が有って。


   あと、行ってすぐのエピソードとしては、(当時の同僚で主任だった先生から)自転

   車を譲り受けるはずだったんだけど、足が届かなくて子ども用の自転車に買い替えて

   もらったっていう(笑)


中尾:事務の最初の仕事、それだったのかな?


矢島:さっそく日本にそのネタを送ったら、もうみんなで大笑いでした(笑)


中尾:面白いね。分からないもんね、履歴書に(身長は)書いてないもんね。



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〈矢島さんと中尾が担当したプログラムについての補足〉

対象:大卒以上

人数:20人/クラス(運営側により選抜)

教育法:直接法(日本語教師が日本語で授業を行う)

内容:初級(50音)から開始し2年間で中上級レベルを目指す

授業:平日毎日5コマ(これを2年間)


主任の先生と中尾とで先に1年間実施しており、矢島さんは2年目から加入。

2年生:1年の時は主任の先生と中尾が担当。2年目は矢島先生を加えた3人で担当。

1年生:矢島先生を加えた3人で担当。2年生卒業後の矢島先生の2年目は中尾と2人で担当。

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中尾:いざプログラムが始まって、比較的年代が近いというか、同い年の学生とかもいた

   り、年の近い学生が多かったと思うんだけど、その中でのやりやすさ、やりにくさと

   か過ごしやすさ、教えやすさってどうだった?


矢島:年齢が近いと、多分寄り添いやすいとは思う。

   主任の先生は皆から尊敬されていて。ベトナム人にとって厳しい先生が良い先生なん

   ですよね。その先生像に合う素晴らしい先生。100%全員尊敬してたと思う。でも私

   はそういうのとちょっと別で、近づきやすいお話がしやすい先生とかですね。多分、

   線引きはありましたよね。


   学生たちも、どんな話だったら誰にすべきかみたいな。ベトナム人事務の人にベトナ

   ム語で本音で相談したりしているけど、こちらには多分話せないとか。


   2年目は、私が唯一の女性(の先生)になったので、女性ならではの話は私だけにし

   て。妊娠した学生とか、そうですね。個人的に呼び出されて。ただ、私も年齢的にそ

   んなアドバイスもできないから、ただ聞いていて。でも、その学生はちゃんと最後に

   皆に報告して。


中尾:「私は卒業したら、ママになります!」ってね。すげえなって思ったもんね。

   特に2年目は女性ならではの相談事とかも聞いてくれたんだね?


   何か、授業を行う上で気を付けていたこととか、難しかったことは?


矢島:特にレベルが高くない学生に対してですが、反応を見ながらやり取りするようにして

   いて、それがどんどんスムーズになっていったという感じ。(反応が)鈍かったの

   が、ちょっとずつ早くなっていくみたいな。反対に自分もその学生への理解がだんだ

   ん早くなってみたいな。だから、メンバーによってやりやすい、やりにくいっていう

   のは特になく、ただ色が違うというのがハッキリしてました。

   

   授業する相手をイメージしながら教案を作るから、前の年に作ったものが次の年には

   全然(使えない)。


中尾:振り返って感じる課題だとか、もっとこうしたら良かったかなとか、次に自分が同じ

   ような立場に立つとしたら、こうしたいなとかどんなことがある?


矢島:多分、ゴール(設定)。

   (卒業時のゴールは)一応なんか名目上は1級合格レベルで、(2年目の前半に当時で

   言う)2級試験があるけど、(試験は)目標じゃないですね。それは手段で。要は

   (日系企業など日本語を活かせる)就職が(卒業時の)希望なのであれば、初めから

   仕事が目的だから仕事をイメージした内容にした方が良いし。

   

   でも、おそらくあのプログラムの一番の目的は、日本とベトナムの架け橋になる人材

   を育てるですよね?であれば、それを始めからちゃんと明確にお互いに先生にも学生

   にも伝えて、だから今このコミュニケーションを練習しよう、とかこういう時は相手

   の立場に立って話しましょうって話ができると思うし、だから、常にゴールが見えて

   いた方が良いかなぁ。


   今の教育法だと「何を達成するか」を常に考えながら授業するのが最近の流れなんで

   すね。




〈日本、そしてメキシコへ〉

中尾:ベトナムから帰ってからメキシコに行くまで日本に2年いたんだよね?

   それも日本語教育には携わってたの?


矢島:いや、全然やってなくって。教育能力試験を受ける勉強はしていましたけど。

   社会人経験を持ちたかったんですね。就職したい人を教えていた自分に就職経験が乏

   しかったので、社会人としての経験を持っておきたいと思って就職しました。


中尾:2年と言うタイミングやメキシコという場所はどう決まっていったの?


矢島:働きながら、教育能力試験が最初の目標で、それからいろいろ募集を探していて。

   メキシコは兄が元々住んでいて、丁度帰ってきたタイミングだったんですね。だから

   次はメキシコにしようっていうのがあって、さらに大学の先輩も今メキシコで教えて

   るよっていうのがあったりして、気分もそっちに。


中尾:メキシコは結果として今13年(経ってる)でしょ?でも行く時ってどういうつもりだ

   ったの?


矢島:行くときは2年で考えてました。


中尾:最初から今までずっと同じ教育機関?(はい)じゃ、同じ土地にいて、同じ教育機関

   にいて教えている?


矢島:はい、それで今は非常勤講師ですね、時間で。


中尾:で、5年だっけ?経ったら永住資格がもらえるんだよね?


矢島:4回目の更新ですね。だから5年目か6年目かで。


中尾:(永住権は)もう取れてる扱いなわけでしょう?住み続けるの?


矢島:実は別に拘っては無くて。今の環境がすごくいいんで、別にずっと続けていても良い

   んですけど元々そういうつもりで来たわけでもないし、なんか他に面白そうな所があ

   れば行っても良いかなっていうのは勿論あって。


中尾:今のところに留まってる動機というか強いモチベーションというのは?


矢島:(今教えていてる)学生は本当に(日本語に)興味ある人しか来ないんですね。どう

   しても、企業があって、そこに就職するから勉強するんですってなると、親が入れる

   とか、家族が月謝払って入るとかそういう人が出てきちゃうんですね。今来てるの

   は、何かのきっかけで日本語を知って、「だから勉強したいんです」って来るんです

   ね。だから教え甲斐があるというか何でも興味を持ってくれるし。



           (メキシコの日本語学校)


中尾:そろそろ時間なので、最後に伺いますが、40代突入というタイミングで、仕事とプラ

   イベートとそれぞれで今後の目標というか、こういうことをやって行きたいというも

   のがあれば、ぜひ一つずつ。


矢島:仕事の方はやっぱり、他の活動拠点も視野に入れる。国内だとしても、他の都市だっ

   たり、パラレルだったり、本当に移住しちゃったりというどうなるか分からないです

   けど。


   プライベートは最近ちょっとバンド活動が活発になってきたので、そっちで何かでき

   たらいいなと思っています。


中尾:それはどういった方々と?


矢島:2つあって、1つは現地の日本人が中心になって作ったところに私が入り込んでで、現

   地の音楽をスペイン語でサルサとか。で、もう1つは私が昔からやってるジャズを一

   緒にやりたいっていうグループでやってて、今まだただ集まってやってるだけだけ

   ど、それをなんかこう活動にしようっていう流れはあるから。


中尾:どこかお店でライブやったりだとか?


矢島:そうですね。


中尾:ちなみに担当は?


矢島:担当はピアノです(笑)


中尾:ああ、そうなんだ?!繋がったんだ?

   何か自分で感じるものってあるもんなの?その音楽に繋がったっていうのは?


矢島:何か分からないですけど、こういうのって繋がっちゃうんですね?



中尾:取り留めも無く、いろんな質問にお答えいただきました。

   今日は本当にありがとうございました。


                                      (了)



          (写真:メキシコ プエブラ)

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