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【私の会いたい100人:第3回】

更新日:2023年10月12日


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第3回


お楽しみに



中尾:「私の会いたい100人」 第3回のゲストにお越しいただきました「ジミちゃん」こと

   清水 洋平さんです。よろしくお願いします。

   ジミちゃんは、わたくし中尾がベトナムから大連に渡り、所属したサッカーチームの

   チームメートで、互いの帰国後もプライベートで非常にお世話になっているという

   か、楽しい時間を一緒に過ごしてくれている仲間ですが、今回のゲストであるジミち

   ゃんのプロフィールを紹介したいと思います。


〈プロフィール〉 富山県出身。学生時代にロック魂に火が付き、普段の穏やかな性格とは一変、全力チャレンジを繰り返し、周囲に笑顔とエネルギーを与える存在に。

大連駐在を経て帰国後に会社を継ぎ、自身の代になってから早10年。

経営で多忙の中、コロナ禍中にひっそりと入籍し、公私ともに充実した時間を過ごしております、本日のお客様 清水洋平さんです。




〈オープニング〉


中尾:ということで富山まで参りました。うっす~いほぼ曖昧な記憶ベースのプロフィール

   ですが、生まれは富山?


清水:うん、生まれたのは富山で、高校卒業して名古屋で4年学生(生活を過ご)した後、

   名古屋のシステム会社に一応システムエンジニアとして入社して、そこではシステム

   の保守をやっていて。衛星通信システムの保守だったから365日24時間監視し続ける

   っていう。そこでシステムの勉強しつつ、1陸特(第1級陸上特殊無線技士)の資格

   も取得して、それで3年半か4年ぐらい勤めていて。


中尾:20代半ば過ぎぐらいまで名古屋?


清水:そう。で、(現在自身が代表を務める)今の会社が中国の大連に制作拠点を作るとい

   うことになって、本当は別の方が行く予定だったんだけど、諸事情で行けなくなり、

   代わりに行ける人もいなかったので、相談を受けて。


   もともと仕事が365日24時間ずっと保守し続ける仕事で、長く続けられない体力仕事

   だったし、富山を出たくて名古屋に来たし、海外で勤務するって憧れがあって、当時

   は中国という国が日本で人気だったから、じゃあ行ってみようかなって、あまり何も

   考えずに引き受けて。


中尾:じゃあ、転職して今の会社に入る、イコール海外赴任いうこと?


清水:そう。だから、一度も今の(富山の)会社に出社することなく、(フライト)チケッ

   トを渡され、大連に飛んで。

   でも、空港に誰も(迎えが)居なくて、どうしていいか分からない状態で2時間ぐら

   い待ってて。そしたら当時の総経理が迎えに来て、この人も会ったことが無いから本

   物かどうか分からないけど着いて行って、車で約一時間半ぐらいで着いたのが荒廃し

   た土地にある事務所で。そこで1年ぐらい、どんな日本人とも会わずに過ごして…


中尾:そんなだったんだ… 2000年代半ばだと思うけど。


清水:2005年。朝、昼は事務所で食べて、夜はお手伝いさんが作ってくれたのを食べて。


中尾:よく耐えられたね。


清水:1年ぐらい経って、ずっとこの場所はちょっとしんどいなって、開発区の中心で事務

   所を探そうと思いまして。


   その辺からちょっとずつ日本人のコミュニティに参加するようになり、その繋がりで

   サッカーに行くことになったんだけど、当時は上手い人ばかりで、(自分がこれま

   で)本気でスポーツに取り組むことがなかったから、(エンジョイのつもりで)中途

   半端な気持ちで参加したら、「やる気無いなら帰れ!」と当時のキャプテンに言わ

   れ、その言葉を聞いた時、ものすごいショックで、、、

   ただ、(こちらが勝手に)フレンドリーな感じでと思っていたけど、(他の皆は)本

   気だったから確かに失礼だなと。


   それで、ちょっと落ち込んでた時に、「最近清水出てこないな」みたいになって、開

   発区の子らが気を遣って「飯行こう」って言ってくれて。そこで色々と話をする中

   で、「本当はもっと本気でやりたいので、今までサッカーをしてきた訳では無いから

   走れないけど一生けん命やるんでお願いします」って言って、それから、ちょっと気

   持ち切り替えて参加できるようになって。


中尾:周りの方も、(未経験者という)スタート地点が違うのを理解した上で、一緒にやろ

   うみたいな感じになったのかな?


清水:日本では、そんなにコミュニティに参加してなくて、仲の良い人達と少人数とかで活

   動してたし、そもそもお酒飲めなかったし。(大連のサッカーチームは)ちょっとお

   酒におかしい集団だったんで、そこで何かが目覚めたのかもしれない。

   それでも一緒にいられたのは、当時は中国にすごく日本企業、日本人が集まってい

   て、色んな使命を持った優秀な方たちがたくさん来てた時期だったんで、話してる内

   容もポジティブなことばかりだったから、それが良かったのかもしれない。


中尾:じゃあ、もし事務所を移転していなければ、日本人と交わらない期間が1年から2年、

   3年となっていた可能性もあるわけだよね。


清水:そう。そうだったら、ここで何してんだろうって思い始めたかもしれない。





〈富山時代(~高校)〉


中尾:先ほど言っていた富山の外を知りたいというのは、どんな経緯で好奇心が芽生えたの

   かなってのも聞いていきたいんだけど。


清水:(子どもの頃は)元々恵まれていたと思っていて、幼少期の頃は国内外の旅行だった

   り、色々連れてってもらっていて、(いわゆるバブルの時代ですね)週末必ず父親は  

   弟と3人で色んなところにキャンプに連れてってくれたり、釣りに行ったりとか、い

   ろんな場所でいろんな経験をさせてもらったっていう記憶がすごいあって。


中尾:さっきスポーツはやってなかったと言っていたけど、中学は部活とかは?


清水:小学校は野球もサッカーもちょっとだけやったんだけど、ちょうど小6の終わりぐら

   いにバドミントン大会があって、そこでたまたま優勝して。自分がまさか1番になれ

   るスポーツがあると思ってなかったので、それならと思って(中学入学後に)入部届

   けを持って提出しに行こうと思ったら、小学校が一緒だった一つ先輩に廊下で会っ

   て、バドミントン部に入ろうと思ってると言ったところ、入部届けを取り上げられ、

   書き換えられて(その先輩が入っていた)パソコン部に入れられて…(笑)


中尾:漫画かドラマの世界(笑)


清水:なのに、全然面倒見てくれないし、他の人もこういうのは自分で学ぶものって感じ

   で、誰も教えてくれないし。3年間在籍はしたけど、基本学校終わって部室寄ってす

   ぐに帰って、違う学校の友達と一緒に小学校に行って校庭でサッカーしたりして。


中尾:他に何かハマっていたことなどは?


清水:あんまりお小遣いもないし、何かを頼んで買ってもらえるという感じでもなかったの

   で、小学生の時は自分で工夫して遊んでいたかな。一人で近くに基地を作ってとか。


   農家のおばあちゃんがいて、すっごい優しいおばあちゃん。いつも気がついたら(玄

   関の前に)野菜が大量に置いてある。その畑の隣で基地作って遊んで。とにかく図画

   工作とか技術が得意だった。

   あとは、町内会対抗の野球の試合とかあって、その練習には参加していたかな。


中尾:それも親御さんが(練習・子どもの)面倒を見るということだよね?


清水:うん。当時はそういう面倒見のいいお父さんが沢山いて。今は無理だと思うけど。





中尾:スポーツで有名な高校に進んだと思うけど、どうしてそこに進学することにしたの?


清水:そもそも受験っていうこと自体、何も考えず、自分の将来を考えずに生きてたんで。

   本当は行きたい高校があったんだけど、先生に(その高校は)あの子を行かせたいか

   ら受けないでみたいなことを言われ…


中尾:そんなことあるの?


清水:(自分も)別にそこにどうしても行かなければ、という感じじゃなかったし、(親

   も)私立じゃ駄目よという感じじゃなかったんですよ。それでココにしたらみたいな

   感じだったかな。しかも当時は(その高校の生徒の)幅が広くて、東大に行くような

   人もいれば、普通科もあって、さらには高校を出たら近所の町工場などに就職する人

   もいて。


中尾:想像できない…


清水:高校ではテニスがしたいなと思って、入部届けを出して。


中尾:今度は出したんだ(笑)


清水:母親がテニスもやってたから、使ってたラケットをもらって、部室に向かって。

   そしたら途中で同じ中学校だったヤンチャな子に会って、「どこ行くんだ?」って言

   うから「テニス部に入る」って言ったら、「入らなくて良い」って(笑)「いやいや

   入るから」って言ったらその子もついて来て、「入部した清水です」って言ったら、

   その子が「あの先輩気に入らないから行くな、帰るぞ」ってなって半ば強引に帰るこ

   とになり、言われるがまま… それから毎日一緒に帰ることに(笑)


中尾:気づけば帰宅部に?


清水:そう。で、ラケットも教室の後ろの(道具を)掛ける所に掛けっぱなしで。で、2年

   に上がる時にそれを持って帰るのがすごく恥ずかしくて、「このテニスラケット誰

   の?」「テニス部いたっけ?」みたいにザワザワってなってるんだけど、手を挙げれ

   なくて、先生に処分されることになったんですけど…(苦笑)

   全ては自分の意思の弱さなんですけど。


中尾:そのラケットの件はお母さまには?


清水:いや、何も言ってない。それからはずっとバイト。


中尾:高校卒業後の進路については?


清水:元々専門学校に行こうと思っていて、料理をやりたくて、バイト先で調理することの

   楽しさとか、父親の弟がシェフで、昔から憧れというか格好良くて。でも、その話を

   父親にしたら「お前は料理人には向かない」みたいなことを言われて、おそらく弟が

   シェフだったし長年苦労してやってきてたんで、そんな甘い世界じゃないという意味

   で言ったんだと思うけど。

   

   というのと、当時出始めたパソコンで年賀状作ったりだとか、美術も得意だったしク

   リエイティブな方かなと。それでCGを学ぶことにして。


中尾:県外の学校を選んだのは、富山を出たいのが先だったのか、選んだ先が県外だったの

   か?


清水:そもそも(行きたいコースや設備の備わった学校が)県内に無かったのと、県外に出

   たいのが有ったので、名古屋か大阪かなと。で、名古屋は電車で一本で行けるのと、

   親戚のお祖父ちゃんが以前に理容組合の理事長?だったかで、出張で名古屋へちょく

   ちょく行っていた話を聞いてて、何となく名古屋に対するイメージも身近な感じで。


中尾:そこで学んできたものを活かして名古屋でそのまま就職したと。


清水:そう。その学校はプログラムもそうだし、システム関係もそうだし、ネットワークも

   そうだし、(将来への)可能性を残す為に一通り基礎的なことは授業で教わってたん

   で。だからいざ就職先を探す時も、デザインしかできませんじゃなくて、システムの

   こともできます、ネットワークのことも知識を持っています、という状態で就活して

   いたんで、複数の会社から内定をもらってました。


中尾:ここまでの話を聞いていて、自分の(清水氏に対する)イメージと少し違うなと思っ

   てるのが、やっぱり芯が強かったり、一部ね、頑固なところがあったりという印象を

   (清水氏に)持ってたんだけど、(中学、高校の)部活といい、高校進学といい、

   (自分の意思よりは)周りに言われてこっちみたいな。そういうのが少し印象が違っ

   たかな。


   あと、(清水氏は)他者に何かを強要するということが基本的に無い人だと思うの

   ね。でも今までの登場人物は自分の考えを強要する人がポンポンポンって出てきた

   し、一般社会においても自分の都合でこうしようっていう人も当然いるわけじゃん。

   でも、(清水氏は)そういうことをしないのは元々自分の性質なのか、十代からの環

   境、または大人っていうか、社会に出て身についた性質なのか、そのあたりはどう?


清水:元々あったのかもしれないけど、転機は(1人で暮らすようになった)名古屋と大連

   で、特に大連で何かが開いたっていうか、だから名古屋時代の友達と何年振りかに会

   ったら「清水くん変わっちゃったね」って言われ、それから会わなくなって(苦笑)

   その時に初めて、「あ、自分て変わったんだ」って。





〈大連時代~現在〉


中尾:大連は行く時点で、おおむね何年ぐらいとか予定はあったの?


清水:特には。どうなるか分からないし、そこまでの計画性がなかったから。


中尾:大連に常駐していたのは何年まで?2005年から。


清水:えっと、今から10年前、2013年かその前の年ぐらいから出張ベースになって。父親

   ももう60歳になるしっていうので。

   別にその何か実績を上げて、皆さんからもじゃあという感じでもないけど、そう(そ

   のうち自分が社長に)なるよなと。

   実際、「はい」って(チケット渡されて)ここ(日本)で勤めずに何も知らない中国

   で仕事してるから、日本のやり方とかね(分からないし)。けど、(社長就任後)結

   構まわりの皆が優しくて、あれこれ教えてもらったし。まあ、辞める人もいたけど。


中尾:気がつけば社長に就任して10年。お父様は今も会長職?


清水:そうだね。会長職(相談役として。ほぼ不在ですが)


中尾:すごいよね。そこまでぱっと渡せるっていうのは。

   (日本オフィスで働く)スタッフのことも知らない、日本の働き方も知らない中でス

   タッフに対してどういうことを気にしながら、気をつけながら当時はやってたの?


清水:まずは自分のことを知ってもらうのと、自分が皆さんのことを知る為に週替わりで食

   事をしながら話をするようにして。ただ、(スタッフからの)自分や会社に対する要

   求だったり要望というのはあんまり無いっていうか。


中尾:お互いにどういうコミュニケーションというか距離感を持てばいいのかみたいな?


清水:そうだね。


中尾:自分の代になって、この10年でどういうふうに変化を起こしてきたとか、どういう意

   図で動いてきたとかっていうのが、もしあれば。


清水:日本に帰ってきたころが創立35周年ぐらいで、既に企業文化があって、それを知らな

   い中で(新しい)社長ですってなって。(スタッフの中にも)元のやり方を踏襲する

   考えと、こうしたらもっと良くなるという考えがあったけど、スーパーヒーローみた

   いに変えることはできないし、そもそも上手くいっているのをなぜ変えるのか説得で

   きるほどの材料も実績も無いので。


   ただ、ちょうど今、自分の世代くらいから(業界の)需要が変わり、デジタルにシフ

   トしている中で、どうやって新たな柱を作っていくか、そこにどう人(の業務・スキ

   ル)をシフトしていくか、(変化が必要な時期の)真っ最中ですね。

   おそらくスタッフ一人一人もこのままではって思う部分はあるみたいなんですけど、

   (こちらから)明確に示せていないので。


中尾:そんな悩みが続く中で、ご入籍なさった訳ですが。


清水:そうね、まぁ、結婚するとも思ってなかったんだけど、先々のことを考えたり、周り

   の友人たちも結婚したり、子どもが生まれたりして、このままで良いのかとかね。そ

   んな中で、色々なやり取りの中で、お互いに補える存在かなと。結婚するとしたら、

   すごく(趣味・志向)似ている人か、全く自分と正反対の人を選ぶかなと思ってて、

   そういう意味では反対の方で、互いに無いものを持っていて、互いを補えるんじゃな

   いかと思って。色々話せるし、何かあっても一緒に頑張れるかなと。


中尾:そろそろ時間なので最後ですけども、今44歳でもう少しすると50代が見えてきます

   が、仕事、プライベートそれぞれで今後の目標だったり、やりたいこと新たにチャレ

   ンジしたいこととか、そういったことがもしあれば教えてください。


清水:今、メインとしている事業は市場としては右肩下がりなので、それに代わるような事

   業を起こす為に、いろんな選択肢を考えて、従業員の皆さんに明確に「私たちはこれ

   で生きていきます」というのを示せるように早く答えを出したいなと。

   

   プライベートは、フットワーク軽く、どこにでも(仲間に)会いに行って、一緒に過

   ごす時に相手に楽しんでもらえるような時間を提供できればいいなというのと、その

   方たちが今後どういう風になっていくのかというのをお互いに共有して、分かち合い

   ながら、皆でいい歳の重ね方をして、定期的に集まって、昔みたいなことはできない

   けど、一緒に楽しい時間を過ごしながら、人生充実したら良いなって思いますね。

   

   今回来てもらって、普段こういう話もしなかったし、出来なかったし、でもなんとな

   く勝手にだけど「カツはたぶん分かってくれてる」と思ってたし。


 中尾:取り留めも無く、いろんな質問を投げかけてお答えいただきましたが、インタビュ

    ー受けてみていかがでしたか?


 清水:なんか自分のこと沢山喋ったけど、反対に聞いてみたいなというのもあって、色々

    面白おかしく、でも今日じゃないんだろうな、みたいな。


 中尾:はは、それはまた別の機会に(笑)では、今日は本当にありがとうございました。

                                      (了)




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