【私の会いたい100人:第20回】
- nakao3126
- 6月12日
- 読了時間: 11分
「私の会いたい100人」
ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。
絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし
会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、
はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。
そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、
ということを知る一つのきっかけになればと思っています。
それでは、第20回
お楽しみに

「私の会いたい100人」第20回のゲスト
佐藤社長 です。
佐藤社長は、第10回に続き2回目の登場で、わたくし中尾が新卒で入社した会社で営業の仕事をしていた時のお客様で、二十歳そこそこの自分に厳しくも温かく接してくれた方です。
前回からの続きでまた色々と話を伺っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
●起業後
中尾:前回お仕事として聞いたのが、最初に金融のお仕事から始まり、カメラ屋さんのお仕事があり、その後で食品のお仕事に就いたというあたりまでお話を伺ってましたが。
佐藤:そう、その後で仲間3人で会社起ち上げて建設会社とか老人ホームとかの食堂に食材を卸していて。
中尾:起ち上げたばかりの頃はどういう目標がありましたか?
佐藤:一番最初の事務所は藤沢に作ったんだけど、善行というところに。
どうして善行にしたかというと、先ずは神奈川県を制覇したいなと。それで神奈川の中心はどこだろう?と見ていたら藤沢のあたりだった。
ここからなら小田原にも配送できて一番やりやすいだろうと。
(藤沢で)事務所を探している時に、近所の農家さんに事務所を探している話をしたら、この辺り潰して工場作ってやるから使えと。
これも人に恵まれた。ただ、一緒に始めた仲間の1人は若くして亡くなってしまったし、もう1人はちょっと使いづらいなっていう、そういう感じだったから、それで自分で会社を作っちゃった。
中尾:最初はどれぐらい配送先があったんですか?
佐藤:スタートの時はどれくだったんだろうかな?
覚えてないけど4、 5人ぐらいの配送スタッフがいたから50件ぐらいあったんじゃない?
中尾:神奈川がメインのターゲットですよね?
佐藤:ところが1件目のお客さんは埼玉だったんだよね。
前の会社辞める時に先輩の紹介などがあった縁で。
まだ何をメインでやっていくか定まっていない頃に埼玉の人からちょっと来ないかって言われて、そしたら「俺が第1号のお客になるから、それで食うに困らないように俺がする。」って。
二つ返事で、「面倒見てみていただけるんでしたら、よろしくお願いします。」って。
前の会社の仕入れ先と被る訳に行かないから、最初は仕入れ先も全部自分で開拓して、魚屋さんも八百屋さんも。
中尾:最初は仕入れ先もお客様も探さなきゃいけない状況だったんですね。
佐藤:そう。その社長が、「あんたが食って行けるだけの売上を作るから、段々広げていけばいい。知っている先も紹介するし」と。
中尾:そんな方がいたんですね?!
佐藤:この人にはね、本当大変お世話になった。いい社長でね。(最終的には)倒産しちゃったんだけどね。最後の時もこの人、格好良かった。
(バブルの時代で)もうみんなね、引っ掛けられたよね。それで「うちもやめざるをえない。」って連絡があって挨拶に行ったんだ。
そしたらいっぱい取り立てが来ていて。俺はずっと社長の横に座ってて、もう何も言うこともないし、社長はもうひたすら謝って。「申し訳ない。申し訳ない。」って。
(取り立てが)みんな帰って、自分も挨拶に来ただけなので帰るって言ったら社長が止めるんだよ。何でかな?と思ったら帰ったと思ってた連中がその辺をまだうろちょろしてたわけよ。
それが帰るのを待ってから、「佐藤さん、これ」ってお金出してきて。さすがに受け取る訳にいかないから「社長何かの時の為に持っていてください。僕はいいから。」って言ったら、その社長が一言、「ダメだ。食い逃げはしたくない。」って。「ただ申し訳ないけど、少し足りないんだって。」
そんなお金、余計持っていけないよって言ったけど、「だめだ。俺を食い逃げにさせないでくれ。」って。
そういう社長。最初から最後まで尊敬していたんです。大人しい人なんだ。
中尾:そんなことがあったんですね。
佐藤:そんなとこから始めて。まあちょこちょこ営業回ってて。
神奈川の会社で、うちらの商売(食品卸)でそこをお客にすれば一流なんて言われるような会社があって、神奈川の最大手(の食品卸会社)が取引していたんだけど、その最大手の代わりにうちと取引してもらえないかって挨拶に言ったわけよ。
そしたら、(最大手の商品卸会社と)もう何年も付き合いがあるし断れないよって。
「ハナからそんなこと言わないで、考えてみる、ぐらい言ってよ。」って言ったら、「どうやって断るんだよ?」って言うから、「(最大手との取引を)断れれば取引してくれる?」「どうやって断るんだよ。」「断れたら取引してくれる?」「それは別に構わないよ。」
って。
それで連絡先を聞いてその場で代わりに電話して、「○○工務店です、お世話になってます。いろいろ事情ができちゃってね、今月いっぱいでちょっとストップしてくんないか」ってそれで(取引)終わりです。
中尾:(取引を)止めさせちゃったんですか?
佐藤:相手が来たらどうすんだよ?って言うから金払えねえよって言っちゃっていいですよ、って。
だから、そうなる前に。申し訳ないけど、って。
中尾:それで(仕入れ先を)切り替えてもらったんですね。
佐藤:その社長とはもう息子、お父さんの仲でずっと付き合ってた。
でも、バブルの時に自社ビル建てて、毎月相当額の返済があって、バブルの時は平気だったんだけど、バブルが弾けて返済できなくなって。
そしたら「今月いっぱいで(佐藤社長の会社との)取引をやめさせてくれ」って。
何かあるんだろうなというのは分かったからその通りにしたら、翌月潰れた。
うちへの返済が残らないように逃がしてくれたんだよね。
自分とこもバブルの後はかなり縮小したね。もう個人の仕事でやっていくぐらいでもしょうがないなと。
中尾:横浜に拠点を移したのはその頃ですか?
佐藤:かと思ったな。近くのアパートに住んでてそこを事務所にして、お母さんが事務やってて、その時に売上が1億。
中尾:すごい。なんか飛躍というか、前段階が無くていきなりという感じですね。
佐藤:善行の頃と配送先の数はそれほど変わってないと思うけど、大手というか1つ1つが大きいところになっていったからね。
お客さんもゴルフやってたから一緒に行くじゃない?そうすると「佐藤さんと一緒に回ると楽しいよ」って他の人も紹介してくれるから。
ただね、最初に名刺交換して自己紹介してから後は仕事の話はしない。
そしたらこんなやり取りがあって
「なんで一緒にゴルフしてて仕事をお願いしますって言えないの?」
「1回説明してあるから、何回も言うのは失礼だと思って。僕の仕事知ってますよね?」
「うち、寮あるけど何で(自分の仕事を)勧めないの?」
「だって今、(他の)業者さんやってるでしょ?」
「やってる。」
「僕が何やってるか分かってたらどうしたいかって気持ちもわかるでしょ?
そこへ追い打ちで、社長、そろそろお願いします、なんてやらしいこと言えませんよ、僕は。だからゴルフ楽しみましょう」
中尾:営業を雇ったことってありますか?
佐藤:無い。
中尾:ですよね。雇う必要ないですもんね。
佐藤:あの頃は1年に6万キロ運転していた。
今の車は10年乗って5万キロ(笑)
中尾:だいぶ変わりましたね。
事務というかお電話は奥様受けてらして、他にも(食材の)仕分けだったりあったと思いますが。
佐藤:それは全部近所のパートさん。新聞で募集したりね。
委託を受けていた食堂の調理担当の募集は苦労した。やっぱ(応募して)来るのは普通の人間じゃないから。
応募も少ないし、いざ雇ってもいろいろ問題というか、もう本当いろんな目にあったよ。
中尾:私が勤めていた会社との付き合いはいつ頃からですか?
佐藤:いつからだろう?全然覚えてない。
中尾:(佐藤社長の会社に)営業に来たんですか?
佐藤:知らない会社だったから多分来たと思う。
とにかく仕事っていうのは、人だね。人と人との付き合いで仕事はおまけ、付録みたいなもんじゃん。
人と人の付き合いができれば、仕事はできるわけじゃん。

●事業後
中尾:最終的に会社を畳むことにしたのはお身体や年齢のことなどがあってでしょうか?
佐藤:60歳でね、昔の定年の歳くらいで当初の予定通りというか、もう疲れてきたしね。
お母さんのおかげで本当よく持ったもんな。
それで70歳までは仕事できるから、それまでに稼いで。
中尾:おおむね予定通りだったんですね。
今はどのような時間の使い方をしていますか?
佐藤:(マンションの)管理組合の理事だったり地域の役を3つもやってるよ。
あとは、今住んでいるところは年齢もそうだし、色々不自由がある人が多いから、(近所の人の)病院の送り迎えもやってるし、
この間も足を悪くした人がいたから病院の送り迎えしてあげるよって。他の人にもしてるから遠慮しなくていいよって。
「ただ、条件が一つある。条件は絶対にお礼をしない。それを守ってくれなかったらやらない。」
誰かがガソリン代だからとか言って何か持ってくるとかね、それを絶対一切しないことって。
それをもらっちゃうと、それを目的にしているっていうことを周りで言う奴が出てくるから。
自分でも(送迎の時間は)楽しみで冗談を言いながら話ができる。それだけでも俺は(お返しを)もらってると思っているから。

●子育てについて
中尾:聞きたかったのが、若い頃からずっと忙しかったじゃないですか?
おそらくお子さんが小さい頃もずっと忙しかったと思うんですけども、幼稚園時代とか、小学生のまだ小さい頃って、どういうことを子供に期待していました?
佐藤:あのね、言葉では伝えない。
子育てっていうのは言葉でやったって絶対失敗すると。言わなくていい。
よく、横断歩道で車止まってあげるじゃん。そうするとお父さんとかお母さんとが子どもに「停まってくれたんだからちゃんと挨拶しようね」って。
こんなもの言わなくていい。お父さんお母さんがきちんと挨拶すれば、子どもはそれを見てるから、次車が止まってくれたら黙ってても挨拶するよ。
平日の10時ぐらいだったかな、幼稚園くらいの男の子がパチンコ屋の前の看板蹴っ飛ばしてんだよね。
「僕そんなことしちゃダメなんだよ。」って言ったら「うっせえ」って言われたんだ。
「お父さんとお母さんはどうした?」って聞いたら「母ちゃんパチンコやってるよ。」って。
言わなくてもわかるでしょ?
それを言葉で頭から言うと「勉強しなさい」ってずっと言ってる。
(それでは子どもは)勉強しないね。
中尾:卒園式、卒業式とか七五三とかイベント・行事はどうしてましたか?
佐藤:ちゃんと参加してましたよ。
もう中学校行ったら来ないで良いよってなるから、小学校までは楽しい。
小学校の頃までは自分もアパートで仕事をしてたから、ただいまって帰ってくると、お帰りって。
中尾:ご自身ではどういう父親だったと思いますか?
佐藤:厳しかったね。ある程度大きくなって色々分かるようになってからは会話でね。
ちょっと厳しすぎたかな。グレはしなかったけど、かなり厳しくはしてた。
中尾:高校生あるいは大学なのか分かりませんが大人になる一歩手前まで来たところで、どういう仕事についてほしいとか、どういう進路に向かってほしいとかっていう希望とかはありました?
佐藤:周りは会社継がせるの?とか言っていたけど、何をするも自由、っていう感じだった。
だから進路と言うか結婚するっていう時も、娘から電話がかかってきて彼氏に代わられて開口一番「おめでとう」って。
初めて声を聞いたし、会ったことも無いけど、俺の娘が選んだんだから絶対いいやつだって。
中尾:それはなかなか言えないですよ。。。
親としての責任というか、役割を全うしたなという感覚ってありますか?
佐藤:特に無い。だって、そういう順番で流れてるじゃない。人生のそれに乗ってるだけじゃん。
●クロージング
中尾:最後の質問ですが、もう76。
佐藤:まだ76ね。
中尾:大変失礼しました。まだ76じゃないですか?
これから70後半、80代に差し掛かっていく中で新たにチャレンジしたいこと等いかがでしょうか?
佐藤:今、ゴルフやってるでしょう?
やっぱりそれは(腕を)磨きたいね。(昔と比べて)もう全然ダメになっちゃった。
距離なんかプロ並みに飛んでるけど精度がないわけでね。そういうのをきちんとして、今の1つの目標は「エイジシュート」。
☆エイジシュート:1ラウンド(18ホール)を自分の年齢以下のスコアでホールアウトすること。
自分の年の数でもある、76を下回るのが今の夢。それをちょっと目指したいなと思って。
それともう一つ今チャレンジしてるのは、(ゴルフの)神奈川県の代表としておじいちゃんの国体に出たくてチャレンジしている。
今のところ2年?続けて失敗してる。
中尾:その失敗というのは、あと何歩ぐらいのところまで行ってるんですか?
佐藤:いや、もう全然。
中尾:そんなにレベル高いんですか?!
でも、楽しみですね。
ということで2年に渡り佐藤社長から色々と話を伺いました。
中尾が出会ってきた方と過ごした時間の中で、どのような影響を受け、
自身が形成されているかを知るきっかけにしたいと思い、始めた企画でしたが、
今後も会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。
それでは第21回お楽しみに。
ではまた。
(了)

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