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【私の会いたい100人:第18回】

nakao3126

「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第18回


お楽しみに


<オープニング>


ということで始まりました「私の会いたい100人」ということで、第18回のゲスト


デラこと 大寺 孝之 さんです。


「ベトナム」はホーチミンで一緒に球蹴りをしたり夜ご一緒したりと多くの時間を共に過ごしてくれた仲間で、気遣いの天才というか、そこに居合わせた人誰一人として置いてけぼりにしないよう気配りをして、場を盛り上げ、良い空間づくりをすることができ、誰からも親しまれる


本日のお客様 大寺 孝之 さんです。


ベトナムで結構長い期間一緒に過ごしたし、お互い一時帰国の時に会ったり、家に行ったりと長く関係は続いていますが、今回は滅多にない1on1なので色々と伺いたいと思います。


<幼少期>


中尾:先ず、「孝之」という名前の由来は?


大寺:「孝」は考えるの弓みたいなところが子供の「子」の字で、「之」はひらがなの

   「え」みたいな字で、両親からすると親孝行をしてくれという意味でつけたらしい。


   うちの両親というか、家族は、兄が結婚した時にハワイかグアムに行ったとか、(海

   外は)その1回くらいで、あとは誰一人海外旅行とか行ったことないと。

   

   逆に俺はもうずっと海外に出ちゃってて、果たしてこれが「孝行」と呼べるのかって

   いうところは有るんだけども、、、






中尾:生まれは1979年だよね?生まれ年が(中尾と)一緒で、生まれたのは千葉?


大寺:うん、千葉で生まれ、千葉で育った。


中尾:保育園の頃の記憶とか思い出とかある?


大寺:斎藤先生が好きだった(笑)

   ちょっとだけ頭の出来が良かったみたいで、時計読めたり掛け算が出来たりとかもし

   て、保育園で皆が自分で着替えが出来ないのを見て、何でだろう??と思ってて。


   あと、(血液型が)A型ってこういうことか、と思ったのが、保育園に行くと、「来

   たよ」ってシールを貼るんだけど、俺めっちゃ綺麗に揃ってたし。それを見返して、

   すごい几帳面な性格なんだなっていうのを10年後ぐらいに思った。


中尾:よく覚えてるね?!


大寺:一応、ほら、親が(子どもの頃の物を)取ってたりしたからさ。


中尾:お兄さん、お姉さんと一緒に遊んだりとか、上の人たちと遊ぶことも多かった?


大寺:4つずつ離れてるから、自分が保育園の時に、姉も小学校2、3年とかで、兄はもう中

   学生とかだったから、同い年の子と遊んだかな。


   保育園の時の衝撃エピソードとしては、すごい悪い人間なんだなと思ったことなんだ

   けど、保育園で友達と遊んでると、喧嘩っ早くてたまにワアってなる子もいるわけ

   で、その子と喧嘩になって、その子が泣き出しちゃって、それを見て先生が「どうし

   た?」みたいな感じで来た時に、この状況はすごくマズいんじゃないかと思って、俺

   が何をしたかっていうと、泣いた(笑)


   で、一応喧嘩両成敗みたいな感じになって。俺なんか悪い人間になりそうだなと思っ

   た(笑)


中尾:その頃から頭が働いたんだね。

   それにしても、保育園エピソードがそうやって出てくるのすごいね?

   そこから小学校に上がって、保育園の時に既に掛け算とか出来ていた訳でしょ?

 

   でも最初は当然、1+1とか「あ、い、う、え、お」から始まる訳じゃん。それに対し

   てどういうことを思ってた?


大寺:どうというか、出来るとやっぱり好きになるから、特に算数とか好きだったから、問

   題集みたいなのを両親に言って買ってもらって、(学校の授業より)ちょっと先のこ

   とをやってたりとかしてた。


   反対に、社会とか理科とかあんま好きじゃなかったから、そういうのは普通にちゃん

   と勉強しなきゃって。


   勉強もそうだったけど、その頃はめちゃくちゃ偏食というか好き嫌いが多くて、給食

   も好きな物だけ食べて、嫌いなものは食べれなくて、掃除の時間になっても1人で机

   を動かせずにいた。最終的には先生が根負けするんだけど。


中尾:何か自分でこれを習いたいとか、これをやってみたいとかでやってたことはある?


大寺:野球とか父親の影響とかで好きで、キャプテン翼の影響でサッカーも好きで。野球や

   りたかったんだよね。近くにチームもあって友達もやってたし、一緒にやろうとして

   たけど、実家が床屋で土日とかが忙しくて、噂なのか分からないけど、親がコーチに

   弁当を作っていかなきゃいけないみたいな、それで母親がそんなことは出来ないって

   言って入会を取り消されて。


   喘息持ちだったから、あとはスイミングは行った。最初は泳げなかったから水が嫌い

   だったんだけど、ちょっとずつ出来るようになると、なんか良いかなと思って、バタ

   フライまで出来るようになってやめた。


中尾:小学校も中高学年になってくると、学校内のクラブ活動みたいなのがあると思うけ

   ど、そこでは?


大寺:パズルクラブだった覚えがある。買ってきて、交換しながらやるみたいな。



SJFC 2006
SJFC 2006

<学生時代>


中尾:中学では部活などは?


大寺:中学でもまだ喘息があったし、サッカー部も無かったから部活は入らなかった。


中尾:そうなんだ?そうするとどんな生活のサイクル?


大寺:丁度その時ってガキ使が見たいとかプロレスが見たいとか深夜番組が見たかったか

   ら、夜型になっていったかな?見たい。23時とかさ12時とかやるようなやつだから、

   やっぱちょっと夜坂になってきたっていうのはあるかな?

   

   周りは結構部活やってたから、あんまり帰ってから遊ぶこともできなくて。


中尾:中学時代で印象的なことは?


大寺:中二の時に彼女ができて、一緒に帰ったり、時々デートスポットのお城に行ったりし

   てたんだけど、男は妄想で生きているというか、あんなことやこんなことなんて下心

   があってもいざ直面したらどうすれば良いか分からずオタオタするじゃん?

   

   いざそれっぽい雰囲気になってもどうすれば良いか分からないし、『湘南純愛組』の

   マネで、ボタンに手をかけたら向こうもストップかけるかなと思ったら相手がシチュ

   エーションを受け入れちゃってたから、焦って漫画の通りに、頭ぽんぽんってやって

   何事も無かったようにして。


   結局、それから暫くして他の友だちと遊んでるのも楽しいし、受験もあるしで別れる

   ことになって、ちょっと格好悪いんだけど、「あいつらと遊んでる方が楽しくなって

   さ」みたいなことを言ってお別れしたんだけど、高校に入ってから違う女の子とたま

   たま会って話した時に、「あれ?そういえばさ、大寺くんってホモだったんでしょ

   う?」みたいなこと言われて、「なんで?」って聞いたら、「だって、男が好きみた

   いだから私別れた」って言ってたよって(笑)


中尾:そんな話になってんだ?

   その子と別れて、受験もあるしで、ちょっとシフトチェンジしていってという感じだ

   と思うけど、中学の時に将来やりたいこととかイメージしていた仕事とかある?


大寺:大学入って、就職活動とかするまで一切ないね。

   とりあえず大学に入るってことは、目標としてはあったけどどんな仕事をしたいとか

   海外なんて一切考えなかった。


中尾:そうすると、大学に入るイメージがあって、その手前に高校があってということで、

   どうやって高校の進路は選択した?


大寺:単純に学力で。偏差値でここだろうみたいなのがあって、自分も行けると思ってた

   し、先生もそんな風に言ってたんだけど、一つ下の学校を選んだんだよね。


   で、その理由は当時その高校は水曜日の午後が休みだったの。他は毎日6時間あるん

   だけど、水曜日だけ4時間しかなくて、それが良いなと思って。

   それに校風も自由で、それが良くて。

   

   入学した時に当時の生徒会長が挨拶で「うちの高校は全部良い意味で自己責任なん

   で、自由にやって」みたいなことを言っていて、実際校則では禁止されてるけど、皆

   やってるし、昼休みとかも近くのコンビニに買いに行ってるし、服装だったり髪を染

   めるとかもそんなにうるさくなかったし、そういう自由さに魅かれてこっち行こうか

   なって。


中尾:高校では部活とか入った?


大寺:サッカー部に入ったんだよね。半年だけ続けたんだけど、ちょっと先生と揉めるみた

   いなのがあって、1年がドバっと辞めたんだけど、俺もそっちに入ってしまい。


中尾:辞めてからは?


大寺:バイトしたり、あとサッカーはね、中学の時の友達が近くの新聞配達で働いてて、そこで集まったちょっと年上の人たちと一緒に遊びで蹴ってて。


   小学校の校庭とかで週一くらい。あとは近くの小学校の体育館で大人がフットサルと

   かやってたから、そこに混ぜてもらって。


中尾:そういう場があったんだ?!


大寺:遊びだけど、週に1、2回はサッカーやってた。


中尾:高校は進路によってコースとか分かれてた?


大寺:普通科が10クラスくらいあって、それ以外に理数科が1クラスだけあった。

   普通科の連中は仲良くしてるけど、もう1クラスだけ3年間ずっと一緒だから独立して

   る感じ。


中尾:面白いね。デラは文系・理系どっち?


大寺:数学が好きだったけど、文系で数学受験した方がいいかなと思って文系にいった。



貝料理屋 in ホーチミン
貝料理屋 in ホーチミン


中尾:大学受験は?


大寺:大学には入るんだけど、受験の時にまた女で悩まされて。

   彼女がいたんだけど、センター試験の1ヶ月前くらいに振られでセンターに臨むこと

   になり、センターはそんな悪くなかったんだけど、二次試験の数学がよく分かんなく

   て第一志望の国公立は受からなくて。


   私立で受験したところは受験票が777番だったからもう受かったなと思って。


中尾:結果その大学に行くことになり?


大寺:多分、今はやってないはずだけど、当時は右翼というか「○○反対」みたいな活動も

   あって、すごい達筆な感じで書かれた軍国主義をどうのこうのみたいなのもあった

   し、1年に1回ぐらい各サークルから人を出して山手線のあたりを歩くみたいなのに参

   加しなきゃいけなくて。「○大生たるもの」みたいな感じで召集されて。


中尾:そんなのがあったんだね?!サークルは?


大寺:サークルは、友達とサッカーサークル作ったり、英会話のサークルにも入った。


中尾:サッカーサークルを自分で立ち上げるっていうのはどういう動機で?


大寺:最初ね、同じクラスのやつとか、その友達とかで一緒に既存のサッカーサークルとか

   行ったけど、なんか違うねって、あんまり先輩後輩みたいな感じじゃないのが良いね

   って。


   それでサッカーというか、オールラウンドみたいなの皆でやろうよって。それで2年

   になったら新入生勧誘して。


中尾:デラがいる間は活動続いてたの?


大寺:うん、ただ途中でオーストラリアに行ったから、そのぐらいでやめたかな。


中尾:オーストラリアに行ったのが?


大寺:3年の時に1年休学して。


中尾:海外は初めて?


大寺:大学1年か2年の時にタイに1人で行ったことがあって。

   ドキドキが止まらなかったよね、(現地に)着いても文字も読めないし、どうしたら

   良いのか全然分からなくて、とりあえず地球の歩き方さんのお世話になって、バスに

   乗って安宿街に向かってたら、たまたまその隣に座ってた人が旅慣れた25歳の日本人

   の男性で、いろいろ聞いてたら、これから世界一周に行くだよねみたいな話で。


   本当にこの人信用していいのかなとか思ったんだけど、まあ、結果的にめちゃくちゃ

   いい人だったんだけど、宿代も半分にできるし。


中尾:慣れてる方がいたら、心強いよね?


大寺:もう彼は慣れてるからさ、ブイブイ歩くわけよ。で、これ美味しいよとか教えてくれ

   たり、宿に戻ったら前の旅先で知り合った人と再会してみたいな感じで。


中尾:その初海外から、今度はワーホリでオーストラリアにっていうのはどういう流れがあ

   ったの?


大寺:1つはタイ旅行の話の続きなんだけど、18日間だったかな?すごい楽しかったのね。

   で、スコータイに行った時に、そこは日本人なんて誰もいなくて、適当に宿を見つけ

   て行ったんだけど、そこは欧米人しかいないのよ。


   で、リビングルームみたいなところに皆集まって雑談してるわけ。これは俺も行かな

   いといけないと思って行ったんだけど、まあ英語喋れないのね、全く。


   さらに日本人を出してしまい、最初に話しかけられた時に「アイキャントスピークイ

   ングリッシュベリーウェル」みたいな逃げを用意しといて、そこから頑張って「I’m

   student」みたいなことを言おうと思ってたんだけど、最初にそんなこと言っちゃっ

   たもんで、周りは「ああ、そうなんだ」みたいな感じになって、それから話しかけら

   れなくなって、皆ががすごい盛り上がってるのに俺だけ入れなくて、部屋に戻って寝

   たみたいな苦い思い出があって。


   プラス、帰ってきてからUSA帰りで英語ペラペラだった彼女と別れることになり、こ

   いつはちょっと見返したいっていうこの2つのモチベーションがあって。


   1週間、2週間フィリピンで勉強するでも良いんだろうけど、そんなんじゃダメだと思

   って。


中尾:すごい行動力だね。

   オーストラリアに1年行って、戻ってきて3年に復学して、暫くして就活が始まってっ

   ていう感じかな?


大寺:そう。でも仕事として何やろうとか、まだ当時はなくて、最初は商社とか面白そうだ

   なと思って、そういう会社を探してたし、


   あと、旅行会社もちょっと憧れがあったけど、旅行会社は最大手しか入りたくないな

   と思ってて(笑)

   結局全く関係ない新聞事業をやっている会社に入るんだけど。

   アメリカに支店があったから、将来的にそこに行けるっていう可能性があったし。



My Birthday at S
My Birthday at S


<社会人生活~ベトナム(1回目)>


中尾:どんな仕事だったの?


大寺:新聞事業だったから、新入社員で入った時は朝刊配ったもんね。集金もしたし。

   店長になると人の管理と売上部数を上げていくのが仕事で。


   会社のコンセプトとして「地域の女性に活躍してもらう」っていうのがあったから、

   事業所には託児所が絶対有って、小さいお子さんがいるお母さんでも働ける職場と言

   うことで、職場は女性ばっかりだったんだよね。

   神奈川だったり茨城だったり色々なところに赴任して、2年ぐらい働いてたかな。


中尾:そこからベトナムにどう繋がってくるの?


大寺:さっき言ったアメリカの支店を畳むことになるみたいな話になって、海外に行けない

   んだったら、ここにいてもなあっていうのがあって他を探すことに。


中尾:そこを辞めてベトナムに行くことになったと?


大寺:そうそう。旅行会社で働いてみたいというのと、欧米だと長くは住むのはビザが大変

   そうだし、やっぱりアジアの方が(ビザを)取りやすいみたいな。

   折角だったらちょっと長く居たかったし、それで探してたら、今の勤め先であるベト

   ナムの支店の話があって。


中尾:じゃあ、未経験で旅行業界に飛び込んで?


大寺:そうそう、全く未経験で。契約も1年契約だけど居たかったら居て良いよみたいな感

   じだし、別に半年で辞めても特にペナルティーも無いし。


中尾:結果としては今に至るまで(旅行業界で)やってるけど、最初の頃はどうだった?


大寺:よくご存知の通り、まあ俺ら仕事を舐めてたからね。


   だから別にそんなに深く考えなかったけど、旅行会社の思い描いてた、ツアーを作っ

   て売ってみたいなのではなくて、もっとサービス業というか、お客さんがいっぱい来

   ます、担当するのはツアーガイドさんです、自分らの出番がいつ来るかと言ったらク

   レームの時が殆ど。

   

   お湯が出ない、ガイドが何言ってるか分からないとかの連絡が時間問わずに入ってく

   る。あとは(食中毒など)病院に付き添うケースとか。


   扱ってるものが旅行っていうだけでサービス業なんだなっていうのが印象かな。


中尾:多少イメージと違った、ギャップがあった訳だけど、働く動機としてはどうだった?


大寺:やっぱ辛い世界だと思うんだよね。朝9時から6時の仕事じゃないし。ただ、自分の場

   合は前の仕事で2年も朝刊配達で夜1時とかに起きてさ、準備していかなきゃいけない

   でしょう?


   雨だろうが雪だろうが風だろうが。それで配達から戻ってきて、また2、3時間寝て出

   勤するわけじゃん。それから昼の業務とか下手すると夜も出勤の場合もあって。


   休みも月に3回しか無い中でやってきてたから、それに比べたら別に楽じゃんとも思

   ったんだよね。


   辛いからどうのこうのっていうのは特に感じなかった。あとは例えば、町のことを知

   れば知るほど仕事に生きるみたいな。

   だからホーチミンのことめっちゃ詳しくなったら、それ分だけ役立つから。


   それはやっぱ旅行好きだったから、色んなところに行きたいし。

   こんなとこ知ってる、そんなことまで知ってるの?みたいなのが役に立った。


   たまに旅行会社が作るパンフレットに載ってるレストランの写真とか、「これ、俺が

   撮ったやつ」みたいなのもあったし。


   (旅行業界は)感覚としては合ってるなっていうことの方が多かった。


中尾:1回目のベトナム何年から何年?


大寺:2005年12月から丸5年。


中尾:当初の予定からすると、その期間は短かった?長かった?


大寺:丁度良いというか、30(歳)ぐらいまではと思ってたから。


中尾:行ってすぐにサッカーも始めてっていう感じだったかな?


大寺:そうだね。時間としては仕事の方が多かったのは当然なんだけど、2回目のベトナム

   駐在では、そんなにサッカーに重きを置いてなかったけど、

   1回目の時は特に後半になるとキャプテンがすごい使ってくれたし、楽しかったし、

   そこで会う人たちみんなと仲良くなれてたから、

   サッカー部のおかげで楽しくなったっていうのはすごいあるし、やっぱ濃かったね。


   これを言うのはカツに初めてかもしれないんだけどね、カツに救われたことが実は1

   回あって。


   最初の頃はプレーに色々厳しい要求するメンバーもいて、うるせえというか、そんな

   風には出来ないよと思うこともあったし、俺は俺の意志があって、こうしたのに、そ

   のプレーに対してめっちゃ文句言われるみたいなのがあって、うるせえなあと思って

   た時に、カツがはそれを見て、「オレは今の良かったと思うよ」って言ってくれたん

   だよ。あれで本当ね、救われたっていうかね。

   カツのおかげで、もうちょっとやろうかなと思ったよね。


中尾:ハッキリ言う人がいたからね(笑)でも、そんなことあったんだ?


大寺:それとか(初心者のメンバーに)出したパスが通らなくて文句言ったヤツに、カツが

   「相手を見てパスを出せよ」ってパスを出したヤツに怒ってたのとかも、やっぱすげ

   えなと思ってたよね。


中尾:良いキャラクターが揃ってたよね?



バス遠足 in ホーチミン
バス遠足 in ホーチミン


<帰国(1回目)~ベトナム(2回目)>


中尾:5年経って1回日本に帰って、同じ会社かグループ会社に戻ったんだっけ?


大寺:グループと言っていいか分からないけど、(元居た会社と帰国後に入る会社の)会長

   同士が仲良くて、(帰国後に入る会社が)欧米の会社だったんだけど、日本で始るに

   あたって資本面や人材面で元居た会社の会長に相談があって、そんな流れというか繋

   がりで入ることに。


中尾:事業の立ち上げだよね?


大寺:支店長と一緒にやってたんだけど、その後に(東日本大)震災があって、全然お客さ

   んが来ない状況になって。


   でも、先ずはサプライヤーたちに紹介しなきゃいけないし、色んな仕入れをしなきゃ

   いけなかったから、日本の色んな所に行ってこんな施設がある、こういうのがお客さ

   んにプレゼン出来るとか、そういうのを集めてたんだよね。


   一つ、気を付けないとというメールに関するエピソードが有って、ホテルとの契約書

   のやり取りをする際に、あるホテルに電話をして、契約書を送るように伝えてたんだ

   けど、その対応した方があろうことか社内メールのccに自分を入れて送ってて、内容

   が、「○○という怪しげな会社から連絡があったから適当にやっておいてください」

   みたいな(笑)


   契約書を貰わない訳にいかないからまた電話して、「確かに怪しい会社かもしれない

   ですけれども、こうこうこういうことをやってきていまして」っていう話をして、め

   ちゃくちゃ平謝りされた(笑)


   それから段々ツアーも(お客が)入るようになって、2年半くらいかな。そしたら元

   居た会社の社長から、実は事情があって、ベトナムを見てくれる人を探してるんだけ

   ど行かないか?という話が有って、2回目のベトナム在住に。


   それが2013年から。


中尾:いるメンバーもある程度入れ替わりがあったかな?


大寺:ベトナム人はあんま変わってないかな。


中尾:1回目とは役回りというか責務も変わったと思うけど。


大寺:ある一つのエージェント(の売上)を伸ばしていきたいからということで、そのエー

   ジェントを担当することになって。


   そしたら、当時のベトナム支社長が仕事は出来る人だったんだけど、パワハラが酷く

   て、ベトナム人スタッフ達も(苦情や救済要求)すごい言ってくるし。


   「あ、うちのガイドってこんな言葉も知ってんだ?!」って思ったのが、「私たちは

   ○○さん(支社長)に愚弄されました」って。


   「愚弄」?!とかっていうのもあって、ある日の夜中にホテルのミーティングルーム

   を貸し切って、俺とこの海外責任者の方とガイドさんが集まって、色々と状況を聞い

   て、このままだと残るスタッフがいなくなると思い、支社長を社内ローテーションで

   配属先変更することに。


中尾:そこからデラが社長に?


大寺:一応、支社長になりました。


中尾:そんな中で今度はコロナ禍になる訳だけど、(世界的に)コロナが流行り始めたての

   時は感覚としてはどういう感じだったの?


   結果として何年も続くわけだけど、入口の時はこの先どれくらい続くものか分からな

   い中で、ベトナムでどういう心持ちで日常業務をやっていたのか?


大寺:本当にこんな長く続くなんて全然思わなくて、というのもベトナムって全然コロナが

   入ってこなかったから、大変なのそれ?って思ってたんだよね。


   だから数週間とかで収まると思ったら、ちょっと長引いてるね、夏ぐらいまで続くの

   かな?みたいなそのぐらい。


中尾:その時にはもう(ベトナムへの)インバウンドは無いんだよね?


大寺:ゼロ。もう鎖国したからさ。


中尾:そんな中で本社からはどんな指示があったの?


大寺:特には。また状況が元に戻ってきた時に対応できるように準備だけしとこうっていう

   感じだったけど、段々と「あれ?全然終わらないな…」と。


   それで2021年かな?とか6月、7月になったくらいで今年いっぱい無理かなみたいな

   感じになっていくじゃん?

   だから、スタッフにも悪いけど給料カットして、出社するしないはどちらでも良いか

   らみたいな感じで。


   そんな状況でも一部には隔離期間を経てでも(ベトナムに)来たいっていうケースが

   あって、そういう対応とかもしてたんだよね。


   あとは、社内全体で新規事業を考えて、プレゼンしてっていうのがあって、自分は海

   外に居るけど、日本に居たらキッチンカーとかやりたいっていう話をして、他にも同

   意見が2人ぐらいいて、実はキッチンカーは今もやってるんだけど。


   ベトナムでも何かやらなきゃいけないと言って、ローカル(ベトナム人スタッフ)に

   もアイデアを求めたんだけど、全然出ない。


   そんな中で、たまたま某大手ハウスメーカーが海外でも売りたいっていう畳商材の話

   があったから、ベトナムでも畳を輸入して販売したりして。


中尾:ベトナム人向け?


大寺:本当はそれが一番良いんだけど、先ずは(日本人)駐在員とかホテル、日本食レスト

   ランとかに営業かけて。


   そしたら、1年前に(畳を)入れちゃった、みたいなところもあって。


中尾:何事もタイミングだもんね。


大寺:そんなこんな色々とやってたけど、コロナが明け始めた頃に帰国することになって。



New Year in ホーチミン
New Year in ホーチミン

<帰国(2回目)~タイ>


中尾:その異動は本社側としてはデラにどんな期待があったのかな?


大寺:コロナの直前ぐらいからそんな話があって、各都市の支店長間のローテーションみた

   いな。


   それで東京拠点にして関西の方も見ることになったんだけど、ボリュームは東京の方

   が断然多いし、ちょっとややこしかったりもして、関西の方をあまり見られなくて、

   ちょっと中途半端だったかなと。


   そしたら、長年務めたバンコクの支社長がもう日本に帰るという話になり、もう一度

   海外に行ってみないかっていう話で今のバンコク駐在になったっていう。


中尾:そこで初海外の地バンコクにまた戻ったと。


大寺:そうそう。だから、ちょっとね、思い入れはあるよね。


中尾:既に1年ちょっと経ってるけど、どう?


大寺:やっぱあの面白いよ。ベトナムより観光資源が沢山あるし。


   人も良いし。ベトナムでバイクでも車でも歩行者を先に行かせてくれるなんてことは

   無いけど、タイではバイクも車も止まってくれるし、お辞儀もするし、気持ちよく過

   ごせる。


   まあ、長くいる人はね、タイ人は裏では何考えているか分かんないとか言うけど。

   でも感覚として近い気がするから、慣れるのは早かったかな。


   ただ、物価の高さだけは… もうめちゃくちゃ高いです。


中尾:そんなに高いんだ?


大寺:それはちょっと想定していなかった。こんなに高いんだと思った。

   家賃は安い、場所によるけど、マッサージとタクシーも安い。

   それ以外めちゃくちゃ高い。


   初海外で行った時のメモとか残してあるんだけど、今日の晩飯とか言って、ご飯と卵

   とコーラみたいなので、30バーツ、100円くらいで食べれたと思うけど、今は一品食

   べるだけでその値段だもんね。 


   ローカル(の店)でも60バーツとか70バーツ、300円ぐらいはしちゃうから。

   ビールも40バーツとかでしょ?日本の発泡酒の方が安い。


中尾:タイには今のところどれくらいいるかという話はあるの?


大寺:全くない。ただ、また何かしらの事情やローテーションがあるかもしれないし。




屋台 in ホーチミン
屋台 in ホーチミン

<クロージング>


中尾:そろそろクロージングの質問に移りたいと思うんですけど、我々ももう40代半ばで間

   もなく50代が見える年代に差し掛かってますが、仕事とプライベートそれぞれで今後

   のチャレンジ、やりたいことを教えてもらいたいんだけど。


大寺:先ず仕事は、やっぱり日本人の旅行って少なくなっていくと思うし、ネットが発展し

   てるから(旅行会社を介さずに)自分で行けるようになってきてるから、


   じゃあ何ができるだろうと思った時に、やっぱり一番力を入れたいのは教育旅行なん

   だよね。


   日本人の高校生、大学生とかにもっとタイに来てほしいし、タイ人の高校生とかにも

   もっと日本に行って学んでほしいというのがある。


   修学旅行でもいいし、ゼミとか研修とか10人単位とかでも良いし、民泊に宿泊すると

   かでも良いし。


   若い時から海外に触れて何かしら知ってたら彼らの将来に何か良いんじゃないかって

   思うし。


   だから、教育旅行はもっと力を入れてやっていきたいなと。


中尾:プライベートは?


大寺:プライベートは、多分、今が一番いい体だと思うから、それはキープして、早く嫁探

   しをしようかなと。


中尾:今日は色々とありがとうございました。



中尾が出会ってきた方と過ごした時間の中で、どのような影響を受け、自身が形成されてい

るかを知るきっかけにしたいと思い、始めた企画でしたが、今後も定期的に会いたい人に会

いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは第19回お楽しみに。


ではまた。



                                      (了)




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