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【私の会いたい100人:第17回】

nakao3126


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第17回


お楽しみに


●オープニング


 ということで始まりました「私の会いたい100人」ということで、第17回のゲスト


 佐久間 聡子 さんです。


佐久間さんは、私の日本語教育の師匠であり、私をベトナムに導き、現地で公私にわたり色々と気にかけ、面倒を見てくださった方で、周到な準備と、目標へ集中する力で常に有言実行してきています。


 佐久間さんと出会って20年が経ちましたが、講師と生徒という関係性から始まり、ベトナムでは日本語教師の師弟関係にあったりと大変お世話になった中で、なかなか2人で話をする機会というのは無かったので、今回は滅多にない1on1なので色々と伺いたいと思います。


 中尾:先ず、「聡子」という名前の由来は?


佐久間:本当は違う名前だったらしいんですよ。親が色々考えていくつか候補があったと。

    一つは「ますみ」。母の友人ですごく優秀で、素晴らしい友人でその人のようにと思ったけれども、プレッシャーだろうと思い、付けなかったと。

    もう一つは「ともえ」。これも巴御前はどうかなとか色々考えて、「聡子」になったと。

    聡明であってほしいっていう気持ちが強いのかなと。


<幼少期>


 中尾:出身は神奈川ですか?


佐久間:生まれは千葉で1、2歳ぐらいで横浜に移り、小学校の1年生の途中で藤沢に移って。


 中尾:そうすると横浜時代に幼稚園に通ってたと思うんですけども、当時の自分のキャラクターとか何か印象に残っていることとかってあります。


佐久間:このままだと思う。興味があればやるので、幼稚園に入る前の年だったかな、入っちゃいけない高い所に入って、複雑骨折して、その状態で10月の幼稚園の面接に行って。

    ちっちゃい時から変わらないってよく言われます。結構口も達者でしたね。

    (話せるようになるのも)すごい早かった。お客様が家に来ると、字が読めないのに本を持っていって読んであげるんです。


 中尾:物怖じしない感じですね。


佐久間:ああいうのは結構あったみたいなので、おしゃべり好きとかは変わらない。


 中尾:それから小学校の時に引越してからはずっと藤沢ですね?


佐久間:そうですね。小学校時代も素直にやりたいことやってみたいな感じで。

    鼓笛隊ってあったでしょ?女の子はだいたい指揮者をやりたいとか小太鼓をやりたいとかあったけど、私はトランペットをやりたいって言って。でも、トランペットってほぼ男子で、女のくせに的なこと言われても負けないから、くじ引きして引き当てて女子で唯一トランペットやってっていう大体そういう子でしたね。


 中尾:音楽はもともと習いごととして何かやっていたんですか?


佐久間:ピアノをやってました。


中尾:先ほど好奇心旺盛っていう話がありましたが、他にあれやりたい、これやりたいと言って自分から始めた習いごととかあります。


佐久間:習いごとおそらく無いかな。あとからコーラスをやるけど、それも妹がやりたいから一緒に行ってという感じで。

    妹は当時あまり喋れなくて、トイレも夜1人で行けない感じだったんだけど、そんな妹がやりたいことがあるって言ったからお姉ちゃんが一緒に行ってみたいな感じでコーラスに無理やり入れさせられて。


 中尾:子供の頃は妹さんとよく一緒に遊んだりしてました?


佐久間:妹と遊ぶというか、その合唱団が結構本格的な合唱団だったんですよ。毎週日曜日と夏休みは合宿とかして。

    当時は土曜日まで学校があったから、その合唱をするのがメインで。高校2年ぐ

らいまではもうずっと。



<学生時代>


 中尾:中学では部活も合唱?


佐久間:中学校は吹奏楽部に入ってました。鼓笛隊でトランペットやって面白かったから金管(楽器)をやろうと思って。

    だから高校2年までは毎年夏は合宿やコンクールで合唱団の方で結構色んな所に行ってましたよ、福岡とか広島とか。


 中尾:部活と合唱団はどういうバランスのとり方ですか?時間の使い方というか。


佐久間:吹奏楽部は毎日放課後やって、日曜日は合唱団で。


 中尾:吹奏楽部では何の楽器をやっていたんですか?


佐久間:ホルン。ただ、ホルンをやっていたんだけどコントラバスの子が辞めちゃって、でもコントラバスって低音だから数が足りないとダメで、そしたら顧問の先生から(コントラバスに)異動してって言われて。突然3年生から。


中尾:でも出来ちゃったと。


佐久間:やったんだね。子供だから(覚えられた)。


 中尾:歌に楽器にと音楽をやる中で、それこそ宝塚(歌劇団)に行こうとかはなかった

んですか?


佐久間:妹は宝塚行きたがってましたけど、私は当時まだ(背が)低かったんで。


 中尾:中学時代、将来何になりたいとか、どういう仕事に就きたいとかってありまし

た?


佐久間:(「世界ふしぎ発見!」の)ミステリーハンター。本当になりたかったから応募したこともある。

    落ちたけど、当時は一般募集が一時期あって。ミステリーハンターを観て色んな国に行けるのって良いなって思ったんですよね。

    だからミステリーハンターになりたいというよりは、メインじゃない秘境だったり、そういった所に行きたいなって思ってました。


 中尾:いざ現実的な高校進学に向かってどういうふうに進路を決めていきましたか?


佐久間:当時は振り分けだよね。これくらいの成績だから、こっちだったら今から本当に頑張って当日も力が全て出せたら合格するけどリスクもあるよ、でも、ここだともう大丈夫だね、みたいな。

    親も別にどちらでも良いという感じだったので、万が一残念な結果になってもね、

と思って選んで。自由な学風で楽しそうだしって。


 中尾:そんなに自由だったんですか?


佐久間:うん、すごい自由だった。そういう高校だってことは知ってたから。でも皆どこまでかっていうのは分かってるから、飛び出ない感じのいいところで収まる高校生の楽しみ方というか。


 中尾:高校では吹奏楽を続けたんですか?


佐久間:高校は茶道部に入った。


 中尾:おお?!


佐久間:お姉さんの部に入って多分コーラスの方が忙しいって分かったから吹奏楽には入らず。

    それで多分茶道部は週2回とかだったから入ったんだと。


 中尾:学祭とかでお披露目するんですよね? 


佐久間:はい、浴衣着てやってました。


 中尾:今はやらないんですか?


佐久間:いや、それが大人になってもというか、半年ぐらい前から。


中尾:また始めたんですか?


佐久間:フランス語を教えているんだけど、新しく入った人がお茶のお師匠さんだったんです。で、なぜフランス語を勉強するのか聞いたら、「私は将来フランスでお茶会をしたい。その為にフランス語を今から勉強します。遅くないです」って言うから、じゃあ折角だったらって。


 中尾:今確実に(その方と)一緒にフランスに行く絵が浮かびましたね。

    いや本当、何がどう繋がるか分からないですもんね。


佐久間:自分でも予想しなかったけど、でも(これまでの色々な選択肢から)結果選んでるのが自分だから、強制されてない限り、やっぱり好みとか分野って、やっぱこう寄っていくっていうか、集約していく感じがするかなと思った。こう段々。今までのこういうのがグッとこう。狭まっている訳ではなく濃度が濃くなってる感じ。


 中尾:高校では茶道部も3年生まで続けて?


佐久間:当時は多分そこそこ高校生なりには出来ていたと思うけど、まあ忘れましたね。

    戦前の女子校だったから、作法室のようなものがあったんでしょうね。


 中尾:それにしても部活やっていたのは意外でした。完全に帰宅部だと思ってたんで。

    学校行事に主体的に参加するとかはそんなに無かったですか?


佐久間:無かったかな。でも、そうそう、私の嫌いな期末スポーツ大会っていうのがあって、学期末に期末テストが終わった後にスポーツ大会をします、絶対出たくないというか出たら負けるって分かってるからで、1年生の時に出て、案の定負けた。

    で、2年生からは私は出ないことで、クラスがが勝つことに貢献しますっていう話をして。そしたら本当に勝って優勝したから、それをずっと言い続けて3年まで出なかった。

    出ることでの貢献もあるけど、やっぱり得意じゃないし足引っ張るし、それがす

ごく嫌だから私は出ない代わりに応援で貢献するって言って。


 中尾:言葉の強さと意志の強さを感じます。

    役割ですよね。


佐久間:そう。だから頑張って応援するという形で行事に参加しているよ、と。


 中尾:皆もビックリしたでしょうね。


佐久間:でも、そういうのも分かってくれる感じがあったから私はそう言ったのかもしれない。

    

 中尾:変に先生も口出さなかったんですね?


佐久間:先生は(生徒が)問題を起こさない限り全てにおいて放置。介入しない。

    だから、他校の先生は一度はこの高校に赴任したいって。見てるだけで良いから。

    (自由な校風だったこともあり)当時は4年生高校って言われてましたから。


    高校3年間はもう生活エンジョイして、卒業して1年受験勉強頑張って大学に行くっていう、そういう人がまあ半分ぐらいいたっていうことなんで。まあ、そういうのも許されていたと、そういうゆるい感じでした。


 中尾:そうだったんですね?!

    そんな中で3年で卒業して次に進むわけじゃないですか?どういう進路を選んだんですか?


佐久間:父が別に4年制じゃなくて短大でも良いだろうとか言ってたんだけど、やりたいことをやるのに2年では身にならないと思い、自宅から通える4年制の大学に絶対受かるからって言って、無事に受かって。


 中尾:そこから有言実行が始まってるわけですよね。


佐久間:短大に行きたくなかった訳ではなくて、やりたい勉強が短大では出来ないと。

    あまり英語が好きじゃなくて、先生に成績表に「外国語」って書いてあるのに何で「英語」なんですか?外国語って他にもありますよね?って聞くような子供だったんで。

    色んな言葉をやりたいなっていう中で、フランス語をやりたいと思って、フランス語とかフランスのことを学びたいと。


 中尾:大学ではフランス語学科ですか?


佐久間:フランス語学科は語学中心だけど、もうちょっと芸術とか文化とかも学べる大学っていうふうに高校の担任に相談したら、いくつか調べてくれて、それで大学を選んで、ヨーロッパ文化学科を専攻して。


    高校2年生とか3年生の時に先生に相談して、オープンキャンパスも行って、本当にそういう勉強が出来るか聞いて。

    だから、何々大学に行きたいっていうよりは、どういう勉強がしたいっていう選び方だから。


 中尾:めちゃめちゃ今時じゃないですか?


佐久間:だってやりたくない勉強とかしたくないし。

    一応名前言えば皆知ってる大学が良いんじゃないぐらい。


 中尾:外国語の中でフランス語を選んだのはどうしてですか?


佐久間:「ベルサイユのばら」が好きだったから。フランスは行きたいと思ってたし、やっぱりなんとなくね、おしゃれな感じがするし。


 中尾:そうすると、元々フランス語の勉強もしていなかった?


佐久間:うん、18歳。大学に入ってからスタートですよ。

    だから、子供の頃から外国語をやらないと話せるようにならないとか、ものにならないとか、小学生から英語とかって何考えてんだろう?って思ってます。まずは国語だ。まずは母語だと。

    発音だけを切り取れば子供であればすぐに上手になれるけど、(文章の)内容ってきちんと頭で考えなくちゃいけないから。


    何年か前のノーベル賞を取った物理の先生なんかはすごいカタカナ英語みたいな

のでスピーチしたんだけど、とても面白い内容だったから記者の人たちも笑うし、あれで良いの、伝わるし、伝われば良いし。

    内容がしっかりしてれば良い訳だから。勿論内容も備わってネイティブ並みであ

れば良いかもしれないけど、なかなか二つを手に入れることは難しいことだから。


 中尾:発音だけっていうのは、(外)側ですもんね。


佐久間:相手が誰でも「What’s up?」とか言っちゃうような。


 中尾:シチュエーションあるし、相手もあるし。


佐久間:それよりは、一生懸命勉強してはっきり理論的に整備されて話した方がいいので。

    それと、やっぱり元々の母語の言語能力に左右されるし、母語以上の外国語の能力にはならないので。


 中尾:そういう意味では、何歳から何語を学ぼうが、それは自由ですね。自由に可能性を広げられる。


佐久間:日本語で本を読む習慣が無い人は英語でも本は読めない。

    日本語でも1時間の討論番組を聞けない人は英語でも聞けない。

    子どもに本の読み聞かせをしてあげてください。

    ある方の講演会に行った時に、朝ご飯を毎日食べさせると良い子に育つとか賢い子になるんだという仮説の基でデータ取ったら、家に本が百冊以上あるかどうかっていうことの方が相関関係が強いって言ってました。


    つまり、自然に本がある環境で、親が自分で読んでいたり、子どもに読めとか言わないんだけど手を伸ばせば読める環境にあるっていう、この方が相関関係が高い。

    子どもは給食があるから朝ごはんに執着するより、本に触れさせたり、美術館とか博物館とかに行くような家庭の方が相関関係があるって言ってました。


中尾:リビングに100冊はあると思いますけど、チビが手の届く範囲は大体おもちゃが

   占めてますね…


佐久間:自然に手に取れるところに本があると、その中からどれかに興味が湧いて、それからどんどん聞きたくなったり、自分で調べたりとかもするだろうし。

    外国語を学ぶことを考えると、文字を読んで理解するというのは大事で。


 中尾:大学に入ってフランス語に限らず文化など学び始めましたが、大学時代にフランスに行ったりもしたんですか?


佐久間:お金貯めて3年の夏休みに一ヶ月行きました。

    ホームステイしながらフランス語の夏期講習を受けて。でも、結構成績良かったのに、話せないんだと思って衝撃でしたね。

    で、打ちひしがれてというか、でも負けないぞと思ってました。


 中尾:それが3年の夏で、帰ってもう間もなく就活じゃないですか?それからどういうふうに進路を決めていくんですか?


佐久間:とりあえず就職しなきゃいけないなっていうことは分かっていたけど、世の中そもそもバブルが弾けて募集は少ない、総合職はなかなか難しい。更に最初に行った説明会で、

    「女の子はね、そんな頑張んなくていいのよ」的なことを言われ、キレて途中退席し、私はもう向かないんだなと、(まともな就職は)無理だと思った。

    

    一応就活みたいなことはしたけど、(自分の考えを)曲げられないじゃない?自分を装えないから無理だなと思ったから、でも働かないとお金が入らないからどうしようかなと。

    それで、新聞広告で見つけた地元にあった学習塾で正社員の募集があったから応募して採用されて、とりあえずお金を稼ごうと。何をやるにもお金が必要だから。



ホーチミンのバイク事情

<社会人~フランス留学>


 中尾:しばらくは働いたんですか?


佐久間:そこで1年半くらい働いたところで目標金額が貯まったので辞めて、フランスに留学。

    休日出勤とかも、誰か来れる人?みたいなときは率先して出て。


 中尾:やっぱり目標があると働き方が違いますね。

    じゃあ、その間にある程度行き先とかも選んでおいて?


佐久間:そう。それで8月から翌年の6月まで寮に入って語学学校で勉強して。


中尾:パリですか?どちらに行ったんですか?


佐久間:ポワチエっていう、ボルドーとパリの間ぐらい。

    トゥールポアチエの戦いですよね。世界史やってる人は知ってると思うけど。

    寮にはフランス人の色んな人がいて、食事とか一緒に取るんだけど、面倒見が良い人って必ずどこにでもいるから、そういう人が話し相手にもなってくれたし。


    ある時、街を歩いていたら「日本人だよね?」って言われて。「僕はね、漫画が好きで、日本語を勉強したいんだよ!」って。


    でも(学生ビザだと)働けないけど、週末とかは寮のご飯が出ないから、お昼ご

飯とかご馳走してくれるんだったら良いよって言って。

    

    ところが教えてあげると言ったものの、(簡単に)教えられない。(人に言語を教えるって)難しい。

    私はフランスに来てフランス人の先生にフランス語を教えてもらっているけど、それの逆だよな?逆の仕事ってあるよね?ってその時初めて気づいて、その教えることが面白くなっちゃったんだよね。    「ああ、面白い!これじゃない私の仕事!」って。

    

    じゃあこれをやるには?ってなっても当時はインターネットでも調べられなかったから、とりあえず帰ろうと。

    帰って仕事をしながら、どうすれば(日本語教師に)なれるか調べようと思ったんですね。なので、最初は(フランスに)2年いようと思って行ったけど、ある程度話せるようになったし、とりあえず日本に帰って外国人に日本語を教えるという仕事を目指して頑張ろうって。


 中尾:それで1年で帰国して?


佐久間:色々調べて、とりあえず試験があるってことを知った。当時試験は1月だったんだけど、私が帰ってきたのが6月末とかで、すぐに申し込んで対策本を買って勉強をして1月に試験を受けて、合格したと。


 中尾:あの範囲の広さをその短期間で、、、すごいですね。


佐久間:12月ごろに1回模試を受けて、多分このままだと不合格だってなって、残り1か月多分頑張ったんだろうね。



ホーチミンのローカルフードwith日本語教育仲間



<日本語教育~ベトナム時代>


 中尾:合格してからは?


佐久間:それから広告とかで日本語学校あるかなと思って見てたら、求人情報があったから非常勤で、まあアルバイト的だよね?採用してもらった。


    でも、すごい給料も安いし、色々調べていく中でこれだといまいち未来がないなと。

    もうちょっと本格的にやるには、なんか別の方法がありそうだと思ってまた調べてたら、大学院に行ったほうが良いんだっていうことに気づく。

    で調べて、夜間の大学院っていうのがある、それなら今のアルバイトとか掛け持ちしながら、通えるじゃん?!で、受験して合格して2年間勉強すると。


 中尾:その大学院での勉強というのは?


佐久間:自分で色々と調べて、纏めてっていう課目もあった。例えば、音声学とか文法とか言語学とか異文化コミュニケーションとか。プラス、修論書いて卒業。


中尾:一気に進みましたね。


佐久間:卒業したら、一気に日本語教育の選択肢が広がる。色んなところに応募できるんだよね。

    幾つか非常勤で掛け持ちをしてたんだけど、そのうちに(我々が出会うことになる)養成講座の講師募集の情報を見て、時給も良いし、アプライしてみたら採用されて。


 中尾:養成講座の講師をやりながら、いくつか非常勤で日本語を教えながらという感じですか?


佐久間:やってました。


 中尾:その時は将来フランスで日本語教えたいとか、将来的にやりたいことに繋がるものとして(養成講座の講師を)選んだのか?


佐久間:(ベトナムで就くことになる)国際交流基金のことまで考えていたかは定かではないんだけども、でも色々やった方が選択肢が広がると思っていたことは確かかな。

    日本語を教えるクラスも中国人ばかりのクラスもやったし、ビジネスマンもやったし、地域のボランティアもやったし色々やった方が良いっていうのは分かってたんだと思う。


    最終的にはフランスに本当に行きたかったのだけど、そんなすぐ行ける訳ないってことは分かってたから、色々な経験していた方が良いし、国内だと色々な社会的圧がかかってくるから、日本を飛び出したくて。


    だから何処でもいいぐらいの感じで、海外の募集もいっぱい応募したと思う。


 中尾:そうすると、国内のどこかに長く居ようっていうのは余り考えてなかったですか?


佐久間:より良いところで、という感じだから全部非常勤にして。

    中国に行くっていう話も決まってたけどSARSが流行って取りやめになったとか。

    結構そういうのもあってなかなか行けなかったんだけど。


 中尾:ベトナム行きはポンポンと?


佐久間:1回目は落ちたの。次点だったんだって私。そしたら1年経ってから突然連絡が来て、人の入れ替えがあるので、良ければという話で、じゃあ行きますって行きました。


中尾:ベトナムに行くことへの迷いはなかったんですか?


佐久間:ベトナムのホーチミンがどこなのかも全然知らなかったけど、大学院の時に教育実習でバングラディッシュに2ヶ月ぐらいインターンで行ったことがあって。

    それもね、友達のピンチヒッターで、行くはずの子が急に行けなくなって、でも向こうは(誰か来るの)待ってるよって先生に言われて。

    ダッカの環境を経験して、あれに比べれば一応ベトナムの方が発展してましたから、1年は絶対耐えられると思った。


 中尾:免疫が出来ていたんですね。

    年単位でガッツリ海外で教えるのはその時が初めてだったと思いますが、タフだった部分はどんなことですか?


佐久間:最初の2年間はそんなにしんどくなかったんだよね。

    で、最初の2年が終わる前にKさんからポジションが空くから挑戦してみては?

    という話があり、2年の任期を終えて、一旦日本に帰り、受験し、採用されまたベトナムに戻ることになったんだけど、その後の3年は大変だった…


 中尾:そうなんですね?!


佐久間:その後の3年の方が比じゃないほど大変だったから、最初の2年間は楽しい思い出しかない。


 中尾:そうすると、後の3年は仕事の質、内容、立場、役割も変わって、その辺りで色々と?


佐久間:うん、いろいろ軋轢が。方々からいろんな意見だったり、税金泥棒呼ばわり的な感じの。


 中尾:そんなこと言われれるんですか?


佐久間:そういう態度に出されることもあるし。良い給料もらってんだから(休日だろうが)働いて当然みたいなことをすごく圧をかけて言う人もいたりする訳ですよ。


    そういうのもあったし、やっぱり休みも殆ど無く、授業がある日は朝6時45分か

らクラスが始まり、自分が教えるだけじゃなくて、(現地ベトナム人の)先生とかを養成しなきゃいけないし、出張もあり、3か月ごとにレポートまとめて調査してとかしてると、精神的にも下がってたことはあった。


    でも、それを(誰かに)言っちゃうと、それもあんまりよくないから、多分(表に)見えないようには努力をした。

    楽しくやってる風を出してましたけど、結構厳しかったかもしれない。


 中尾:めちゃめちゃ胃に来たんじゃないですか?


佐久間:ハノイは事務所があるから事務的なことは事務所がやってくれるけど、ホーチミンは事務所が無かったから、パスポートの手続きとかも全部自分でやんなきゃいけなくて。


    そんな中でアシスタントで来てた人が帰任することになったので、壮行会のお店を予約して、さあ当日という時に突然ね、動けなくなっちゃったの。で、救急車も呼べないからタクシーで病院に行ったら膀胱炎ですって言われて、緊急入院しましたよ。


 中尾:やっぱり体にきてたんですね…

    任期3年っていうのは最初から決まってたんですか?


佐久間:最初は2年だったんだけど、同じ時期にいたハノイの2人とホーチミンの1人が全員入れ替わることになり、お願いねという感じで、まあ別に嫌ではなかったし、あと1年だからいいかと思って。その1年がきつかった。



特別授業へのゲスト出演

<フランス~現在>


 中尾:それで、3年の任期を終えて帰任すると?


佐久間:そう、それで3年目に私と同じポストでハノイに来た人の友達がフランスで日本語を教えてて、その人が後任を探してて「そういえば聡子さんってフランスに昔いたんだよね?どう?」って言われて「行く行く!」と。

    それで帰任し、ビザを取ってフランスに。

    

    私の最終地点が来たと思いました。はい、長らくお待たせしました。

    いつかはフランスでって思ってから10年かかった。でも、フランスでは経験とかも求められていたから、やっぱり色々とやってきてよかったなって。


 中尾:フランスは大学で教えていたんですよね?


佐久間:フランスはダブルメジャーで学生は2つの言語を選択する。日本語と英語とか日本語と中国語とか日本語と○○っていうクラスがいっぱいある。いろんな組み合わせがある中の日本語を担当して、日本語や日本文化とかを教えて。

    日本語だけでやる部分もあったし、やっぱ解説とかはフランス語で少しあった方が良い場面もあるので、そのあたりはフランス語が話せて良かったと思ったし。


 中尾:最終地点のフランスでの仕事を終え、帰任してからはずっと日本ですか?


佐久間:日本です。あまりにも怒涛だったから、しばらく休みたいと思ったんだよね。

    節約して貯蓄もあるから、そんなに急がなくていいかなと思ったけど、でも何か働かない、働いてない自分が許せなくて。でも日本語教育はやりたいことをやり尽くした感があったし、もう日本で日本語を教えることはできないと思ったんです。


    だから、次は今までの経験を生かせる仕事をしようと思った。それで通訳案内士が良いんじゃないか、じゃあ仕事をしながら勉強しようと、仕事を探して。それで大学の教務の仕事をしながら計画を立てて、資格を取得して。


 中尾:今は何が主になってるんですか?


佐久間:今は観光もやってるし、時同じくしてフランス語も教えるようになって、そして翻訳も時々する。

    

    ただバスに乗って、フランス語でガイドしてっていうのは無理だと、何かに特化しないとダメだと思ったのね。で、割とフランス人富裕層の方のガイドにつくことが多くて、そういう方って音楽とか芸術とかそういうのがすごい好きで、私もまあ嫌いじゃない。


    それで美術館とか案内することが多くて、私も一緒に(芸術の)勉強するんだけど、そんな生半可な気持ちじゃ難しいんだよね、芸術って分かんないことがいっぱいあるので。


    でも、そこってやってる人はいないから、ここ(この分野)だと。芸術を特化しようと。美術館とか、建築とか現代アートとか、浮世絵とか外国人が好きな感じのところで、フランスの(芸術の)ことも分かって比較すれば、よりピンポイントだと。


 中尾:見つけたんですね?


佐久間:でも、それを自分で勉強するのは難しい。で、どうしようか調べてたら、通信制の大学を見つけて。

    それで、今年の4月から通信制の大学で勉強している。


    今、実は大学生。


 中尾:そうなんですか?!すごい!


佐久間:芸術全般、美術史とか芸術学とか美とは何かとか。だから外国人に人気がある所とか、物とかも、理論的に分かるようになるというか。

    (これまでは)ここが面白いんですよ、とかって分からなかった。今までは好き、嫌い、綺麗、可愛いだけだったけど、理論的にどうなのかとか、歴史的にどうなのかとか、例えば仏像とかも今まで全部同じに見えていたけど違いが分かってくると、「ここ注目して見てください」みたいなこと言えるなと思って。


 中尾:まさかの、大学生だったんですね。何年通うんですか?


佐久間:最低2年で卒業できるけど、でもやり始めたら興味津々だから、あれもこれもやりたくなって。本当に博物館とか美術館とか興味があるんだったら、やっぱ学芸員とかもやっといた方が良いんじゃないかなと思って。

    もう奥深くて。

    オンラインだから仕事を色々しながらもできるし、まあ、4年かけて卒業していけばいいかなと。


    元々ベルサイユのばらが好きでベルサイユ宮殿とか行きたかったし、芸術も好きだし、子供の頃に音楽もやってたし、ヨーロッパにいる時に色々と美術館とかも行ったから、多少の知識や経験があって、フランス語ができるから西洋美術(を理解するの)はやっぱりすごく楽だったりすることもあるので。

    これまでやってきたことがまたここに集約されてきているのかなと。なので、今は美術を一生懸命勉強してます。


 中尾:面白いですね、なんか、それぞれバラバラだったようなことがぐるっと巻き込んで刈り取れてるような感じですよね。どうですか?充実度というか。


佐久間:好きなことができるのは良いですよね。あと、新しいことにチャレンジできていることも。

    養成講座の講師をしている時に50歳くらいの生徒さんがいて、その方が「50近くになると、みんな守りに入っちゃって、新しいことやろうとしないのよ」って言っていたのを思い出して。

    

    その時は私は30歳くらいで、そうなんだぐらいにしか思わなかったけど、確かにそうだね、みんな安定を求めるねっていうのもあって。でも、50なんてまだ若いじゃん。(今からでも)20年続けたら絶対モノになると思ってるから。

  

    20年やると結構モノになる気がしたから、今から20年かけてやっても70歳。十分だよね!と。新しいことを出来たら楽しいだろうなと思ったから。


    そういう意味では充実してるかもしれません。


<クロージング>


 中尾:最後の質問で、ここまでの話と少し重なるかもしれませんが、仕事とプライベートとそれぞれ今後やりたいこととか新たにチャレンジしたいことを教えてください。


佐久間:とりあえず大学を卒業しようと。うん、今までやってきたことが上手くまとまりつつあるから、あれもやってきて良かったね、これもやってきて良かったねっていうのが全部こう纏まった感じで終わるのが好きかなとか思ったのと、幸いにも自分の好きなことを100%しても良いという環境に恵まれてるので。

    

    それはなかなか無いことだって、自分でも分かっていて。すごく恵まれている環境だって分かっているので、逆にそれなのに何もしないっていうことの方がすごく勿体ないし、申し訳ないので、そういう恵まれた環境だから新しいことやって、楽しんでいけたらいいなって思ってます。


    プライベートは、仕事とあまり区切りがないかも。全部仕事って言われたら全部仕事だし、全部プライベートな感じもするし。線引きがないので、じゃあそこは区別っていうよりは、本当に今やりたいこと、今後やりたいことにどんどん力を注いでっていう感じですかね。


 中尾:フランスでお茶会が出来るようになったら、最高ですしね。


佐久間:そうすると、掛け軸だったりお茶の説明も出来ないといけないし、そういう意味では食文化も一部関わるでしょうし、だから色々と勉強中です。


 中尾:今日は沢山のお話聞かせていただき、ありがとうございました。



ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは第18回お楽しみに。


ではまた。



                                      (了)




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