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nakao3126

【私の会いたい100人:第15回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第15回


お楽しみに


中尾:「私の会いたい100人」第15回のゲスト


   スミこと 大野 寿美 さんです。


   スミは、高校時代に半年ほど通った塾で一緒となり、以来仲良くしている数少ない女

   友だちで、元祖オープンマインドとも言える存在で、闊達で、自分が大好きで、嫌な

   ことはハッキリ嫌と言う、その気持ちが良い程の自己中心さで人を巻き込みまくって

   いる、


   本日のお客様 大野 寿美 さんです。





ということで今回はスミの自宅があるアメリカはテキサス州サンアントニオにお邪魔してインタビューをさせていただいております。


 知り合ってもうすぐ30年となり、これまでインタビューした中では一番古い付き合いですが、会うのは10年ぶり?くらいなので、今回は色々と伺いたいと思います。


●幼少期


中尾:まず最初に「寿美」という名前の由来は?


寿美:「寿」は韓国語で「ロングライフ」、長生きするという意味で、元気で長く生きてめでたい感じと、「美」で美しいって感じ。


中尾:家族構成は?


寿美:お兄ちゃん2人いて、末っ子長女。


中尾:ちっちゃい頃、それこそ幼稚園時代とか覚えてる限りの記憶だとかエピソードがあれば。


寿美:ちっちゃい頃からお調子もので落ち着きがない。元気で人気者。言いたい放題だし好き勝手。


中尾:小学校にあがってからは?


寿美:変わらず。昔は実は恥ずかしがり屋だったとかもハナから無い感じ。

   兄2人だから、いるだけで愛されるっていう感じ。


中尾:小学校の時はどういうことに夢中になったり、遊んだりしてた?


寿美:何してたかな?忘れた。家帰ったら家でゆっくり過ごすって感じだったと思う。

   お兄ちゃんの漫画読んでた。「北斗の拳」とか「ドラゴンボール」、「ろくでなしブルース」、「聖闘士星矢」ってまさに「ジャンプ」。


中尾:少年漫画を読み続けたことによる影響を感じることってある?


寿美:映画とかも、全部アクション系とか「マッドマックス」が好きだったり、純粋な恋愛映画とか興味なくて、断然「スターウォーズ」みたいな。


中尾:習い事とかは?


寿美:ありました。ピアノ、バレエ、スイミング、アイススケート、絵画教室、そろばんも行かされ、あとは公文。


中尾:続いたのは?


寿美:ピアノは8年やったけど、大嫌いだった。今、何も弾けない。

   スイミングは結構泳げるようになったから良かったけど、あとは絵画教室。絵は今でも好きだけど、続けてプロフェッショナルになるみたいなものは何もない。ただの趣味。


中尾:じゃあ、あまり楽しい時間ではなかった?


寿美:大嫌いだった。やめてって感じだった。

   中学まで続けていたものもあるけど、一個もエンジョイしてない。


中尾:当時の親御さんはどういう存在だった?


寿美:小学校の時はね、本当に愛をくれる人かな、母なんて超優しいし、父も本当に溺愛してくれる人って感じ。


中尾:(自分が)親になってからの親子関係と当時の親子関係と比べて違いだとか、共通する部分だとかあれば。


寿美:母は超専業主婦。ご飯を一生懸命作って子供の体のことを考えて全部優先させてくれる人だったんだけど、バーバルなコミュニケーションがあまり無かったというか、ご飯作って、「はい、どにかく食べて」みたいな感じだったから、「今日学校どうだった?」とか「どんなお友達いるの?」とか「学校でどんな勉強してるの?」みたいなのが全然なかった。

   本当に「お母ちゃん」って感じ。「黙って食べなさい」、「宿題やりなさい」、「寝なさい」みたいな、シンプルなコミュニケーションしか無かったのが小さい時イヤだったの。

   お母さんのことが好きだから、もっと色々話を聞いてほしいし、母が思ってることとかも知りたいけど、「今日どうだった?」とか聞いても「元気、元気」以上、みたいな感じだったから、子どもが出来た時にもうちょっとバーバルにコミュニケーション取りたいって思ってた。

   家族の中にコミュニケーションを言葉で取れる人が欲しかったから、そこはすごく違うかな。

   あとは習い事をランダムにさせない。やりたいって言ったものだけさせてた。


   母は専業主婦だったので、自分の世界が無いように当時は見えてた。家族を支えるだけの。(実際は)そんなことはなかったんだけど、だから自分は子供が自然と離れていくタイミングで何か仕事をしたいなって漠然と思っていた。


中尾:子供の頃の自分と小学生、中学生時代の子どもたちを比べて考え方とか行動の取り方とかの違いってどんなふうに感じる?


寿美:息子が未知の存在だった。娘は共鳴できたと思うし、よく理解できる。だけど、息子のやる行動がすごすぎて私の価値観を超えてる。潔癖症の私の価値観をズタズタにする存在。シーツで鼻かむとか、外行けばガードレールをずっと触ってるとか…

       理解が出来ない、生体が違うから、私の小さい価値観を壊してくれる存在なんだろうなと思っていたんだけど、辛かった(苦笑)

   豪快?食べ方もぐっちゃぐちゃ。

       あと、娘は行動を取る時に1回考える。ちょっとお母さんとお父さんの様子を見たりする、良い意味でも悪い意味でも。息子は思いついたら壁があってもぶつかる。「やる!」、「バーン」みたいな。怪我も多いし。


中尾:自分の幼少期と比べても全然違うと(笑)




●学生時代


中尾:中学で部活は?


寿美:バスケ部。キャプテンだった。超うまかったの。うますぎて先輩にいじめられた(笑)上下関係、昔は厳しかったじゃん?


中尾:昔は露骨だったよね。成績は?


寿美:ゲキ弱。レベルの高くない私立のリーグ戦とかでもビリで、でも仲間がすごい楽しかったから続けてたけど、勝とうって気はあんまり無かった。


中尾:そっかそっか、まずは楽しく。

   私立の中学だったということだけど、そのまま高校もエスカレーター?


寿美:行けたんだけど、行かなかった。学年に100人いたんだけど、すごい世界が狭い感じがして、突然「私もっと芸術勉強したい」ってなって、高校はアートの勉強が出来る学校に入った。


中尾:何でアートを学ぼうと思ったの?


寿美:バスケは弱小だったから本当お楽しみの時間。勉強も全然興味ないし。

   絵を描くの好きだし、アートとかデザインとかすごいワクワクするなと思って、こういう仕事したいって漠然と思って入ったら、「あ、アートの天才ってこんなにいるんだ?!」って。

   だからアートは好きだからやるもんじゃなくて、これだけ天才がいるから、違うフィールドに来ちゃったなってすぐ分かった。


中尾:高校での部活は?


寿美:バスケ部1年だけ(で辞めた)。その後は、友だちとカラオケ行ったり、カプリチョーザ行ったり、バイトしたりするの超楽しいじゃん?!


中尾:バイトしてたの?クビになった?


寿美:ならない!超期待されちゃうタイプ。働き方だから。すっごい頑張っちゃうタイプだから!


中尾:意外…

   塾はいつぐらいから行ってたんだっけ?


寿美:ナカオさんが通い出す(高3春)ちょっと前だと思う。


中尾:それは自分の意思?


寿美:(中学の同級生の)Aちゃん。Aちゃんがそろそろ勉強してみない?って。


中尾:自分が寿美と知り合った時は、寿美の周りには色んな友達が既にいて、塾で友達を作る気が無かった自分からすると(塾で友だちを作って楽しそうにしている)この人たちは何なんだろう?って不思議に見てたんだよね。全く別の人種だろうなって思ってた。

   塾に限らず、学校でもすぐに友達ができるタイプだった?


寿美:出来てたかな。

   恥ずかしがり屋じゃないから、すぐに声かけちゃう。だから話しかけたのも私からだよね?絶対。


中尾:ズンズン来た。「何だコイツ」って。


寿美:本当だよね。何この反応が無い人。「もっと話して!」って思ってた。

   「何この人?」っていうのが伝わってくるくらいの引き具合だったよね(笑)


中尾:これまで全くないカテゴリの人というか。パーソナルゾーンに入ってきた気がした。

   

寿美:うん、なんか距離が近かったかも。


中尾:塾に行き初めたというのは、大学に行くイメージを持ってたということ?


寿美:勉強してなかったけど、大学に行くもんだとは思ってた。

   なんか早く大人になると損じゃんって思うから、何かを勉強したいっていうよりかは、考える時間というか猶予というか。


中尾:そっかそっか。それで大学に行くことになり、大学在学中に留学したんだっけ?


寿美:そう。1年間、もうちょっと長かったかな。ソウルに。


中尾:留学はどういう流れで。


寿美:大学に交換留学(制度)があります、で、語学で韓国語を専攻してたんだけど、私は韓国語が元々喋れるから成績が良いじゃない?それで留学行けますよって。

   楽しそうじゃん?だし、大学に色んな帰国子女とかと過ごしていて、なんかアイデンティティクライシスじゃないけどさ、皆あると思うんだけど、なんか結局、自分が日本人でもないし、ピュア日本人とも違うし、帰国子女の人たちとも違うし、「もしかしたら韓国に行ったら帰属意識みたいなのが、満たされるかも!」と思って(留学に)行った。


中尾:行ってみたら?


寿美:日本人って思った。全然韓国人じゃないんだなぁって。


中尾:その大きな違いは?


寿美:何だろうね?人との付き合い方とか基本的なマナーとか、自分の身に備わっているものが、日本に居ると日本人とちょっと違うんだけど、韓国に行くと全く違った。だからカルチャーショック。

   友達関係になると距離感を尋常じゃなく詰めてくるとか、日本だと近いと言われる自分でも驚くぐらい。だから、韓国人では絶対ないって。


中尾:帰属意識がどこにあるのかというのを期待しながら留学したけど、そういう意味では期待は裏切られたと。


寿美:ゲキ裏切られた(笑)


中尾:1年終えて帰る時は、何か満たされないとかがっかりした気持ちが残っての帰国なのか、それとも語学という意味では十分やったかなとか、別の目的が達成されたかな、とかそのあたりは?


寿美:(目的が達成)されたことがあった。なんかね、韓国韓国人とはなかなか繋がるのが難しかったけど、でも在米韓国人とか在カナダ韓国人とか、私と国は違うけど、違う国に移民した韓国人の人たちとすごい仲良くなった。

   オリジナルの国を出た移民の人と繋がれるって思って、そこが充足感が高かったかな。仲間を見つけた。

   その人たちとは今もずっと友だちだし、繋がりが深かったかな。


中尾:共通の境遇があって、いざ(留学で韓国に)来てみたけど「(自分は)韓国人じゃないね」っていうのも分かるし?(分かる)それは興味深いね。


   ちょっと戻るけど、(韓国語が)元々話せたっていうのは、家の中では喋ってたの?


寿美:父と母は二世なので日本生まれなのね。で、一世の祖父と祖母が韓国語しか喋れない。だから母たちも家では韓国語を使ってたんだけど、外国人が学ぶ韓国語みたいな。日本語もちょっと外国人みたいだし。

   (私は)その子どもだから家でも日本語だったけど、(親は私に韓国語も)伝えたいから家庭教師に来てもらったり、ずっと勉強させられてた。  

いつからか記憶にないけど、ずっと。


中尾:そうすると、ネイティブのレベルでどうかは置いといて、ある程度コミュニケーションが取れる段階には高校、大学の時にはなっていたと。(そう)留学してみて、やってきたことと実際は違うぞ、みたいなことは?


寿美:あんまり無いけど自分が正しいと思って喋ってることが、移民のイントネーションだったり、ソウルっ子が喋る韓国語とは違うし、大学レベルの言葉は新しく勉強しないといけないとかはあった。あとは、移民のイントネーションがちょっと可愛いじゃないけど、例えばボビー・オロゴンが喋るのがちょっと可愛く聞こえるみたいな。


中尾:BOAみたいな?


寿美:そうそう。でも可愛いとか言ってる時点でフィットインしてない訳じゃん?



●就職~結婚~転勤


中尾:交換留学から戻って、そろそろお仕事どうしようかなと考え始めるタイミングだったと思うけど、就職はどうしたんだっけ?


寿美:そこでまた見失っちゃって…

   大学出たし、せっかく韓国語もちゃんと喋れるし、とりあえず韓国語を使える仕事に就職してみるか、みたいな。

   で、韓国にも行けるし、トランスレーターみたいな仕事だし、いけるだろうと思って韓国企業の社長秘書になって。

   受かったは良いんだけど、I hate it!

   Day 1から辞めたかった。それこそセクハラ横行。昔の韓国。汚い大人の世界に直面して、軽蔑する上司しかいなくて。

   でも、「あぁ、つまんない。辞―めた」って言うのが幼い気がして、1年我慢したんだけど、あれはとっとと辞めれば良かったと思う。


   給料も良かったし、ソウルに行ったり来たり出来たし、楽しいこともあったんだけど、社長のお世話?酷かった。


中尾:それはしんどいね。


寿美:それから迷子。どうしたらいいだろう?みたいな。

   野心とかこういう仕事したいみたいなのが無くて。それで退職金とか出たし、またソウルに行ったり、海外旅行したり本当に何もしない(時期があった)。

   でも、こんなんじゃ駄目だと思って、でも勤め人にはなりたくないと思ったし、インターナショナルに出来ることというか自分が外国人という立場での(語学を学んだ)経験もあるので、日本語教師の資格を取ろうと思って(日本語教師養成の)専門学校に行ったんだよね。


中尾:その前から日本語教師の勉強したいよねって言う話は(2人で)してたんだよね。


寿美:言ってたよね?!


中尾:それが、今でも覚えてるけど、2002年の秋だったと思うんだけど、旅行から帰って連絡とったら、もう(専門学校に)行き始めたから、みたいな。


寿美:そうそうそう、「オレも行きたいって言ってただろ?!」みたいな。


中尾:そうそう。そうか、色々その前段階で悩んでた時期があって、そこから一歩踏み出して、行き始めてっていうところだったんだね。


寿美:そう。そこで仲良くなった女友だちとの輪の中にもナカオさんをムリヤリ引き込んで(笑)

   (共通の日本語教師養成講座の)先生は今でも日本語教師続けてる?


中尾:いや、多分していなくて、(特技の)フランス語を活かしてインバウンドのアテンドとかしてるみたい。


寿美:先生に会いたいとお伝えください。素敵な人。


中尾:(日本語教師養成講座の)学校が終わった頃に結婚したんだっけ?


寿美:通っている途中で結婚して、(日本語教師の)資格とってちょこちょこ働いてたね。


中尾:どういうところで教えていたんだっけ?


寿美:横浜に理化学研究所があって、北欧とかから来る人たちにプライベートで教えたり、韓国の企業で働いている人に教えたり、パートタイムで教えてた。


中尾:それから双子が生まれて。


寿美:超子育て!


中尾:(現在お医者さんのご主人は)その頃はまだ研修生?


寿美:そこらへん忙しすぎて記憶に無いんだけど、生まれた頃は研修が終わってたかな?

   それから静岡転勤の頃は研修が終わってるし、それから専門医とって何年かしてからアメリカ行きが決まったかな。


中尾:当然日本だと(ご主人は)忙しいわけでしょ?子育てはほぼ1人で?


寿美:超一人!横浜に居る時は母がすごく手伝ってくれたし、静岡に居る時が難関だったね。0歳から2歳半くらいまで、一番大変な時、ヤバかった。


中尾:2人育てるのにどんなことが大変だった?


寿美:お風呂もそうだし、とにかく日常の全て。いっぺんに2人泣いて、でも(当時は)ガリガリで筋肉も無いから腰が痛くなり、体の不調が始まって、それでも誰も助けてくれないからヤルしかないじゃん?だから本当に自分の時間ゼロ。もし自分の時間を持てたら、すぐ寝たい。体力が限界って感じ。


中尾:何かやりたいじゃなくて、もうとにかく寝たい?


寿美:寝たい!メンタル1番やばかった。


中尾:よくノイローゼにならなかったね?


寿美:なってたと思う。超性格悪かったもん。夫も夫で転勤中でプレッシャーもあるし。

   十数年前の話だけど、育児も、当時はお母さんが主導でやるものみたいなのが普通だったから、それに対する不満もあったし。「2人の子どもなのに育児しないのかい?!」みたいな。


中尾:ご主人からの労りとかは?


寿美:労りが𠮟咤激励だった。「気合いで頑張るぞー!」みたいな。「イケる!寿美ならイケる!」みたいな。

   それとか要らないから、黙って何かやって、みたいな。。。


中尾:そんな大変な時期を過ごした静岡だけど、静岡の印象はどう?


寿美:静岡ラブ!静岡、本当に人が良くて、フルーツ超美味しいし、温暖、LOVE!


中尾:日本でまた暮らす場所が静岡であっても?


寿美:静岡超住みたい!大好きだった。自然も豊富で、富士山も近くで超すごい好き。大好き!

   (子育ても)近所の人に手伝ってもらったり、子育て支援センターの人にも色々話聞いてもらったり、とにかく人に恵まれたと思う。



●移住


中尾:子どもが何歳ぐらいの時にアメリカ行きが決まったんだっけ?


寿美:ぴったり3歳。


中尾:それはご主人がアメリカに行きたいというのが最初からあって、その為の準備をずっとしていた?(してた)アメリカ(行き)の話が決まったよってなった時は?


寿美:イェーイ!って感じ。「おめでとう!」って。


中尾:寿美としても心の準備は出来ていて?


寿美:是非行きたい!


中尾:それがもう15年くらい前で、今はグリーンカードも取得しているけど、最初は何年くらい行く予定だったの?


寿美:最初2、3年。

   最初から臨床医としては行けないので、先ずは医学論文を書かせてもらいに勉強しに行くって感じ。

   転勤じゃなくて留学だから、勉強させてもらう、タダで働かせてもらう。

   その2年のうちに論文が書けて、有名雑誌に掲載されたら良い、っていうのがその期間のゴールで、その間に英語勉強して、アメリカの国家資格を取らないといけない。

   (資格認定を)途中までは日本で取っていたんだけど、医療行為が出来る最後の部分を留学中に取りたかったの。

   (その資格を)取った時点で、お勉強じゃなく、研修医みたいになれて、(病院との)マッチングをしながらボルチモアからヒューストンに移動して、さらに今はサンアントニオにっていう。


中尾:研修医が終わるまでどれくらいかかったの?


寿美:無収入の時期が3年くらい続いたかな。

   その後も多少給料がもらえるようになったけど、家賃と幼稚園代でほぼゼロで、あとは預金を切り崩してっていうずっとマイナスの状態で。

   ちゃんと生活出来るようになったのは8年目?とか。ちょっと正確じゃないけど、(移住してから)結構時間が経ってる。


中尾:その時はまだヒューストン?


寿美:ヒューストン。ヒューストンでようやくって感じだった。


中尾:下積み長かったね。

それは予め、お金の面を含めて、予備知識としては聞かされてたの?


寿美:(日本で)研修医の時とかにずっと貯めてきて、これくらいあればと思ってたけど、最初3年くらいの予定だったから。でも、全然足りない。幼稚園もこんなに高いと思ってないし。予定以上にアメリカ生活高くって。

   でも、私が働いている訳じゃなくて、夫が働いているから、その(金銭的な)ストレスは夫が凄かったと思う。


   こっちは、「あ、またカード止まっちゃった」、「あ、またスーパーで買えない」、「ガソリン入れるお金がもう無い」とか、車社会だから、今週はちょっと出かけるの止めよう、とか。

   私は気楽なもんで「(カード)止まったよー」みたいな感じだったけど、夫は本当に大変だったと思う。


中尾:それでも、もうひと踏ん張りして、まだ居続けようっていう選択を取り続けるわけじゃん?その時に、「いや、そろそろ帰る?」みたいな話にもなったりした?


寿美:なったの。夫が突然貧しさに負けかけて、ちょうど日本から声が掛かってて、みたいな。

   でも、日本のしがらみとかがイヤでアメリカに来たのに日本に戻るって、「これまでアメリカでやってきたものを活かせないけど大丈夫?」って思ったし、子どもが日本に戻れないんじゃないかぐらいアメリカンになってたし、私は貧しくてもアメリカの生活が楽しかったから、「あとひと踏ん張りじゃん!」って。安定の生活までもうココまで来てるっていう時だったから、私が(背中を)押した。

   アメリカは下積みが長いんだけど、それを乗り越えると日本では比べ物にならないから。


   (夫は親も)お医者さんだし、小さい頃から貧しく育ってないからさ、日本のお医者さんって大学卒業してすぐお医者さんになって、裕福で、みたいな。だから、こんな経験するなんて本人も思ってなかっただろうし、私も思ってなかった。


中尾:そのプレッシャーを一緒に背負ってたら「じゃあ帰ろう」ってなったかもしれないし、背負わなかったお陰でケツを叩けたのかも?


寿美:私が支払い側だったら帰る(笑)


中尾:相当ハードだね。

   それでヒューストンで生活も安定して、気持ちもある程度取り戻せて。


寿美:取り戻せた。「お金ありがとう!」って。

   食べ物を何も気にせず買えたり、(それまでは)歯の治療も(高額請求が)怖くて行けなかったし。

   歯の治療して、子どもたち(歯の)矯正させて、とか。


中尾:その頃はまだ(寿美は)仕事していないと思うけど、どの段階から仕事するようになったの?


寿美:その時点で腰がボロボロだったの、育児で。筋トレも何にもしてない、自分の時間が全く無かったから。

   で、病院に行ったら重度のヘルニアですって言われたの。坐骨神経痛で動けないし、車の運転も痛いし、犬も抱っこ出来ないくらいになっちゃって。

   そこでフィジカルセラピーに通って、ある程度行った時にピラティス始めてくださいって、それで始めてみたら「ズキュン💛」、「これ超スキ!」ってなって、それでピラティスの資格を取って、仕事も決まった感じ。

   (ピラティスを習い始めたのは子どもたちが)中学生で、だいぶ手が離れてて、あんまり(子どもたちに)関与しすぎても口うるさくなっちゃうから、自分の世界は持ってた方が良いって思ってて、そこからだね。





中尾:どう仕事は?


寿美:大好き!仕事楽しい。同僚大好き!

   ボスがフランス人で、シルクドソレイユでダンサーやってた人。リーダーシップもあって大好き。

   彼女のレッスンを受けて、そのメソッドが好きで彼女の下で働きたいと思って勉強した。

   彼女はピラティスを普及させるためにサンアントニオに来て、仲間を増やしている。

   同僚も同年代の人も多いし、気も会うし大好きな人たち。チームも大好き。

   彼女がいなかったら自分は良いインストラクターになれなかった。本当に育ててもらった。

   だから、(新卒で)韓国企業で働いていた時に良い上司が一人もいなくて、ちょっと企業に勤めることがコワかったんだけど、今のチームもクライアントも大好き!


中尾:アメリカに来て15年経って、どの段階を振り返ってでもいいんだけど、アメリカに来て明らかに自分のここが変わったというのはどういう点で感じる?


寿美:色んな話と繋がってくるんだけど、日本だと「ワル目立ちしてるかも?」とか、自分を丸出しにしてると弾かれるみたいな恐怖感みたいなのが日本に暮らしている時は常にあったのね。

   でも、アメリカに来ると、例えばオバさんが肩出して歩いてるとか、私がやり過ぎだと思っても、そのやり過ぎの上がいる。日本だとやり過ぎって思うことが、こっちだと埋没しちゃうくらい。アベレージ以下。いくら存在を主張したところで、その上には上がいるというのがすごく好き。安心する。居心地が良い。

   そういう人たちと一緒にいて、見ていると、(自分も)もっと表現して良いんだ、歳とか性別とか枠組みからもっと出た方が良いんだっていう気持ちをくれる。


   例えば、日本だとピラティスのインストラクターというと、モデルさんとかキレイな人が教えていて、オバさん(が教える)なんてっていうイメージが有るかもしれないけど、こっちだと体型も様々だし、おバアさんも教えてるし、イメージの幅が広いところが好き。年齢を言い訳にする人がいない。


   あとは物価が高いこともあるかもしれないけど、とにかく稼ぐ、みたいな。それって自分にはとても新しい考えで、(子育てが中心で)中年まで仕事をしてこなかったから、自分で稼げることも嬉しい。


   ビジネスプランをちゃんと設定して、目標に辿り着くようにゲーム感覚で楽しんでいる感じ。

   それはアメリカだからそう思えたんだろうなと私は思う。


中尾:そういう意味では環境っていうのは本当に大きい?


寿美:環境ってでかいよね?!やっぱり(周りの)100人が「もうオバさんだから」って言ってるところに「私は違います!」ってなかなか行けないよね。だから、そこはとても勇気がもらえる。


中尾:生活含めて、人付き合いを含めて環境としては適している状態?


寿美:大好き。快適。イヤなことも一杯あるけど、トータルで見ると良いかな。


中尾:アメリカの生活の今後のライフプランとか、そういった話もする?


寿美:やっぱりアメリカでずっと暮らす。どこに移るか分からないけど、子供たちもアメリカの大学に進むだろうから、そうすると自動的にアメリカで仕事をすることになるだろうし。


中尾:スミの場合、ピラティスの資格を取って、自分である程度できるようになって手に職を持っている状態だと思うんだけど、ご主人の転勤で他の場所への移動になってもそれは構わない。


寿美:全然(構わない)。どこでも行きたい。

   結婚してから引越しを10回ぐらいしてるんだけど、引越ししすぎて定住するとそわそわしてきちゃうのね。今サンアントニオがもう8年だから本当にそわそわ。職場を離れるのは辛いけど、新しい街に引越して、1から始めるのは楽しみ。


中尾:少し話変わるけど、たまに親子ペア2組で別々のところに行ったりとかしてるみたいだけど、どういうふうに決めてるの?


寿美:子ども2人いると、どちらか1人と2人きりになってじっくり話すこととかって無いでしょ?

   4人で居る時と違うケミストリー(化学反応)が確実にあるの。それスゴイ楽しくて。

   居ない2人のちょっと悪口言って笑ったりとか(笑)

   娘がK-POPとか好きで主人もコンサート大好きだから、コンサートだとその2人で行く。

   息子はボディビルの選手権見るのが大好きで、私もピラティスしていてボディビル見るの大好きだから、ボディビルの選手権は息子と私(笑)

   目的によってペアが自動的に決まる。

   夫と息子でキャンプに行って、私と娘はオシャレ旅行するとか。


中尾:ペアで行くことの良さは子どもたちも感じている?


寿美:と思う。ペアの時は子どもたちがよく喋る。


中尾:これまで引越しだったり、小学校、中学校、高校とだんだん大きくなってくる中で子供とのコミュニケーションの取り方とか、接する距離感だとかどのように変わって来たり、工夫とかしてきた?


寿美:変わらざるを得なかった。例えば、息子に「パパとママ、褒めるの足りない!」ってすごく言われて、自分ではコミュニケーションが多い方だと思ってたから、(ちゃんと)褒めてると思ってたんだけど、白人家庭とかは(こちらから見ると)異常に褒めるの。そんなこと褒めるの?みたいな。

   それをあまり好きでは無かったから、息子が失敗した時とかは元気づけるけども褒めはしない、現実は現実として受け止めようよ、でもmove on(先に進む)しようよ、の(私の)スタンスは悪くないと思ってたんだけど、息子からは褒めるのが足りないと思われていたんだろうね。

もっと単純に褒めてほしいんだってすごい言われて、夫は直ぐに変えたの。とにかく褒める。でも私はなかなか出来なくて。

夫は(息子が)「おはよう」って言ったら、「I proud of you!」って言ったりして。私は「おはようで何をproudするの?」って思っちゃって、でも、それを訓練で「おはよう」、「誇りに思ってるわ」とか、「おはよう」、「今日も格好良いね!」とかを笑っちゃっても言おうと思って、それでも足りない気はしている。

娘はそれをやると、「気持ち悪いから止めて」って言われる。「絶対止めて。私別に白人家庭に憧れてないし、パパとママのスタンスでokです」って。

だから息子のことだけはベタ褒めしていこうって。


中尾:個性だね。

   夫婦関係、親子関係ともに今は快適な状態?


寿美:快適。夫婦も(子育てで)一生分戦ったし。いっぱいケンカしたし、雰囲気悪い時もいっぱいあったし。

   でもそんな醜い部分を見せられる相手は他にいないし、それを乗り越えて今の関係性を作れたから今は本当に良かったと思ってる。


中尾:お互いを尊敬して。


寿美:尊敬してる。今は安定してる。


中尾:アイデンティティやナショナリティに関する話が留学時代などに出て来たけど、アメリカ生活を経て変わったことはある?


寿美:変わった(笑)

   アメリカの人は東アジアの違いが分かってない。中国人だろうが韓国人だろうが日本人だろうがベトナム人だろうが皆同じ扱いをされるから、アジア人でよろしくって感じ。だから、若い頃にこだわっていた「どこに属しているんだろう?」とか「何者なんだろう?」とか一切無くなって、もう何人でも良い(笑)

   どうやったってアメリカ人になれないし、なる気も無いし、移民のプライドみたいのはあるかな。ゼロから始めた誇りみたいのを大事にしてる。


中尾:そう思えるようになったのはいつ頃から?


寿美:(移住して)10年くらい経ってからかな。子供がね思春期の時に、「ママの英語がアメリカ人じゃないから恥ずかしい」って。「恥ずかしいから公で英語使わないで」って。やっぱ恥ずかしいんだとかってなってたけど、そんなの知らんがなって自然となっていった。


   主人も(英語発音の)クセが強いけど、それでも医療行為を行って、給料をもらって、訴えられることも無く感謝してもらってるんだから、それで良いじゃんって。





●クロージング


中尾:そろそろクロージングの質問に移ります。

   まもなく50歳が見えて、50代に突入するという年頃になってきてますけど、仕事の部分とプライベートの部分それぞれで今後新たにチャレンジしたいこと、やりたいこととか、もしあれば。


寿美:めちゃくちゃある。

   プライベートは、来年子どもが大学に進むから、夫婦2人で子どものことを考えずに2人だけがしたいことをしてエンジョイしたい。

   子どもがいなくてゼッタイ寂しいんだけど、2人で楽しむように工夫したいなと。

いっつも子どもを優先させて、旦那はさておき、自分さておきになっていたから、2人で丁寧に生きたい。


中尾:仕事は?


寿美:お金を稼ぎたい。ピラティスだけじゃなくて、ジャイロトニックも含め、私のパッションで、通ってくれた人のメンタル、健康、体が良くなるサポートをしたい。自分のスタジオも持ちたいし。


中尾:ポジティブに仕事に取り組める感じ?


寿美:うん。一生働きたい。


中尾:(自分でスタジオを持つ為の)必要な準備はどんなことがあるの?


寿美:今栄養士の資格の勉強をしていて、体を作るのは運動が20%で食べ物が80%って言われているんだけど、(自分でも)それを思っていて、いくらワークアウトしても食べ物を変えない限り、体は変わらない。


中尾:栄養士の資格はアメリカの?


寿美:アメリカの。

   まずはちゃんと体を作っている人にちゃんとアドバイスできるようにしたいなと。スタジオを持つことになったら自分の責任でやる訳じゃん?だから、結果ちゃんと出せるように食べ物の指導とワークアウトのプランを作れるようになりたい。

   長期的にちゃんと体が結果が出るようにしたい。

   ジャイロトニックは免許を毎年更新しないといけない深いメソッドで、私もそれを一生勉強しながらやっていきたいなと。

   栄養学とピラティスとジャイロトニックの三大柱でやっていこうかなと。


中尾:(コンテンツとして)相当強いんじゃない?


寿美:プラス夫からの医療的な知識や情報も何かしら活用できればなとは思っている。


中尾:ご主人の健康管理も含めてやれればという感じかな。


寿美:(夫が)ピラティスを始めて3年だけど、体が超変わったの。本人も実感しているので、私のビジネスに貢献してもらいます(笑)


中尾:これからますます楽しみだね?!




中尾:今日は一方的な質問続きとなりましたが、色んな質問にお答えいただきありがとうございました。


ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは第16回お楽しみに。


ではまた。


                                      (了)




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