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nakao3126

【私の会いたい100人:第11回】


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、第11回


お楽しみに


<オープニング>


中尾:ということで始まりました「私の会いたい100人」、第11回のゲスト E さんです。


   Eさんは、わたくし中尾が「中国」の大連で最もお世話になったと言っても過言では

   ない張さんとの繋がりで知り合った方です。

   出会いは瀋陽で行われた張さんの結婚式で、確かそれが2009年だったと思うのです

   が、それっきりお会いすることも無く10年ほど経った頃に張さんから、Eさんがブド

   ウの栽培始めたから贈ります、と連絡をくれたことがきっかけでやり取りが始まった

   という面白い繋がりで、5年ほど前ですかね、東京での会社員生活に区切りをつけ、

   今は「中国」地方の岡山県でブドウ農園を営んでいます、


   本日のお客様 E さんです。


ということで今回、岡山県井原市のブドウ農園を訪れ、場所を福山に移してインタビューをさせていただいております。


Eさんは今ご紹介でも触れましたが、職場だったり学校だったり、どこかである時期を一緒に過ごしたという関係性が無いので、ほぼ前情報もなく新鮮に色々と聞けるかなと思っています。




<幼少期>


中尾:出身は?


E:東京です。でも、千葉に行ったり、埼玉に行ったりして、小学校からは埼玉。


中尾:幼稚園の頃の記憶って何かしら残ってます?


E:幼稚園は僕、休まない幼稚園生だったんで、皆勤賞取ったっていうのだけは覚えてい

  る。どっちかと言えば、活発な方だった。


中尾:それは小学生の頃も同じですか?


E:うん、中で遊ぶよりは外で遊ぶ方ですね。バスケもやってたし。

  週に3回だったと思うけど、バスケットしてから帰るみたいな感じで。


中尾:バスケットを選んだのは何かあったんですか?


E:友達に誘われて。自分では野球とかサッカーの方がいいかなって思ってて、その時にバスケットっていうスポーツを初めて知ったぐらい。でも、すごく自分に合ってて。


中尾:何か習い事とか、学校外の時間はどんなふうに使ってました?


E:小さい時は習字やってて、あとピアノやってたか。ただ、ピアノはやってたんだけど、

  嫌いになっちゃって。

  結構厳しい教室だったから。だから、今、うちの子2人ともピアノ行ってるんだけど、嫌

  いにならないように行ってもらうことを心がけてます。あとはプールかな。


中尾:割と教育熱心というか、色々とやってもらいたいという親御さんでした?


E:やってきたことを並べるとそう聞こえるかもしれないけど、時期は重なってないので、

  そんなに詰め込んでっていう感じではなかった。

  だからバスケットが始まったら、自然とバスケットだけ残ったと。


中尾:子供の時って、親ってどういう存在でした?


E:あんまり父は家にいなかったからそれほど印象はなくて、母はなんかもう絶対的な存在

  でしたね。もうそれが正解なんだろうなみたいな、逆らえないと。


中尾:子どもの頃の親子関係と、自分が親になっての親子関係とどんな違いがあります?


E:今はどちらかといえば子供と同じ方向を見てるようなイメージで生活をしていて。

  一緒に悪いこともするし、楽しいこともするし、勉強も一緒に頑張るし、みたいな感じ

  で生きてて、俺が上からこう教えるみたいな感じの雰囲気がないし、なんかやろうとし

  ても、僕はそういうのできないから。

 

  お父ちゃんはすごいんだよっていうスタンス、お父ちゃんスーパーマンなんだみたいな

  ふうに思われないように生活してますね。

  俺も間違えるから良いんだよ、自分が思ったのが正解なんだよっていうスタンスでこれ

  まで来ているけど。

 自分が子どもの頃は父ちゃんがあんまり家にいなかったから、外で仕事をするのが男の

  人っていう。

 

  今は結構仕事の関係もあって家にいるから、子どもと関わりがあるってだけでもすごく

  幸せです。





<学生時代>


中尾:中学時代はどんなタイプでした?


E:活発な方だけど、別に全然不良っていう感じでもないし、バスケに力を注いでという

  か、それ以外に注ぐところはなかったっていうのもあって、別に勉強頑張ってたわけで

  もないし。


中尾:中学から高校に進む時の進路はどのように決めていきましたか?


E:いや、本当今考えるとバカなんですけど、自分の偏差値があるじゃないですか?で、そ

  の偏差値で行ける一番良いところっていう風に選んでましたね。

  本当に今考えると何だそりゃみたいな感じだけど。学校の雰囲気とか、出来ることとか

  じゃなくて、ただ単に自分の偏差値で選んでた感じで。


中尾:学校側もそういう選択肢しか示さなかったような気がするんですよね。


E:あまり何も考えず、トイレに行く感覚で、もうここかなみたいなそんな感じですよね。

  埼玉に住んでいたんだけど、東京方面か栃木方面が選択肢にあって、結局栃木の高校を

  選んで片道1時間半から2時間近くかけて通ってました。

  だから、部活も時間的にもできなくて。

 

  今思うと地方が好きなんですよね。大学も福島行っちゃったし。今もこうして田舎に住

  んでいるし。何だかんだ僕が地方を選び続けてるなって。


中尾:それで大学も福島に。


E:これからはパソコンの時代だっていうので工学部の情報学科を希望して。


中尾:大学はどんな時間を過ごしました?


E:やっぱり遊んでましたね。僕、大学三年生で一度(通うのを)止めちゃってるんです

  よ。資金が尽きちゃって。もう通学できないってことになっちゃって。

  で、それから暫くアルバイトとかして。何年か過ぎてから復学して、1年通って卒業と言

  うことに。


中尾:そうすると、張さんと一緒だったのは、その三年を終えてからのバイトの時に?


E:そうそう。三年を終えて、お金を貯める為に働いていた時に張さんと一緒の職場で。


中尾:ホテルでしたっけ?


E:そう、結婚式の食事を出すっていう。張さんが先輩だったんだけど、他の先輩とか怖く

  て(分からないことを)聞くだけで怒られたりとかしていたけど、張さんは優しく教え

  てくれて、2回聞いても、3回聞いても優しく、同じことを聞いても教えてくれる人。


中尾:優しいですよね。

   仲良くなったのはそういう親切な人だったからですか?他にも何かきっかけってあり

   ました?


E:張さんと自分とそれぞれと仲良くしているバイトの人がいて、それで段々3人で遊ぶよ

  うになって。よく張さんの家に行って遊んでました。


中尾:張さんとはどれくらいの期間、一緒に働いてました?


E:二年ぐらいかな?

 張さんが卒業して就職してバイトを辞めたから会う頻度も減って。


中尾:張さんはどんな印象ですか?


E:でかくて力が強い。強くて優しくてニコニコしていて、俺が何かと、どうしようか?っ

  て言ってて、そうすると張さんが、こうやりゃいいんだよ、とかって解決してくれて。

  なんかドラえもんみたいな感じ。


中尾:張さんと一緒に働いた期間などを経て、また復学をしてっていうことですよね。


E:そうですね、それでまた福島に戻って。





<社会人生活>


中尾:大学を出てからは就職するんですか?


E:そう、この岡山に来る寸前まで勤めてた司法書士の事務所に務めました。


中尾:工学部と司法書士ってそこだけ取ると結びつきが無いじゃないですか?

   どういうきっかけや経緯だったんですか?


E:工学に進んだのは、どうやらこれからパソコンができないとダメらしいっていう風潮が

  あって、じゃあパソコンを勉強しようと思って行ったけど、なんか全然面白さは分かん

  なくて、掴んだ感じはなかったです。


  あとは、三年間行ってから少しブランクがあって、そこで時間があったわけなんです

  が、バイトとかしながら。

  アメリカに三ヶ月ぐらい行ってたことがあるんですが、強くなりたいと思ったんですよ

  ね。で、強くなるって何かなって考えた時に、知っていることかなと思った時に、法律

  かなと思って。


中尾:その司法書士事務所に勤めて、移住を決めるまでずっと同じところですよね?


E:そうそう、ずっと。

 でも資格試験はやっぱり厳しくて、もうほとんどただ働くだけになってきちゃって。

 仕事を一回辞めて勉強頑張ろうかなって思った時期もあったけど、段々と自分の考えも

  変わってきて、

  どっちかっていうと自由に仕事してる方がかっこいいみたいな感じになってきて。


中尾:辞めたのは何歳の時ですか?


E:34、35?


中尾:我々が出会った張さんの結婚式の時はまだ司法書士事務所で働いていたんですね。


E:そうですね、30になるかどうか。嫁さんと2人で行ったんで。





<移住生活>


中尾:仕事を辞めることを考え始めた時に、じゃあ辞めてどうすんだっていうことを考える

   んだと思うんですけど、その時には既に他の場所でもいいとか、そういう感じだった

   んですか?


E:そうですね。もうそれこそ日本じゃなくてもいいし、もうすべての可能性を一回作り出

  してその中で一番と思ったことをしたいなと。

  だから、僕と嫁さんと長男の3人でタイとかベトナムに数か月滞在してみたり。旅行と住

  むのは違うから生活するってどんな感じなのかな?と、とりあえずやってみようと思っ

  て。


中尾:そこまで実行できる方は少ないと思いますよ。


E:だけどやっぱり空気が全然合わなかったんです。空気が汚いんですよ。

  それで日本の良さを改めて実感できる機会にもなって。


中尾:どこでも良いわけじゃないぞと?


E:旅行だと気づかなかったけども、長くいると生活しにくいなって、日本って生活しやす

  いなっていうのも実感しましたね。

  じゃあ日本で、どこで何しようっていうことでまた探し始めて。


中尾:その中でも色んな選択肢があったと思うんですけど、どういうふうに農業に絞り込ま

   れていったのですか?


E:お金に関しては二つに分けてて。不動産の家賃収入を固めつつ、それプラス仕事をしな

  きゃいけないなっていう2階建てで考えてて。

  この1階部分を固めていく作業が七年間あって。


  自分の学生時代の経験からお金が無くなると大変なことになるっていうのは実感して分

  かっていたので、やっぱり好きなことをやるっていうのは聞こえはいいけど、相当な責

  任と恐怖とニコイチであって。

 

 だから1階部分だけでも最低限の生活はできるけれども、この2階部分でさらに良くなれ

  ばという感じが僕の理想としてあって、まあ、どこまで出来ているか別として。


  とはいえ何でも良い訳ではなく、お金の稼ぎ方にもこだわりができて、自分の中できれ

  いなお金の稼ぎ方って一次産業だなと。


中尾:それはどうして?


E:それ以外だと、仕入れがあって何か売るってなると、仕入れを安く叩いて高く売る作業

  になるけど、一次産業は仕入れの概念がないので。

 

  それから移住センターで情報集めて、色んなところに見学ツアーで行って。

  でも雪深いところはちょっと遠慮して、海が近いところがいいなってなっている中で、

  どうやらブドウは僕らの希望に適う作物らしいぞと。

 

  で、色々見に行った時に農家さんに見せてもらったブドウがやっぱりいつもスーパーで

  見てるのと違うんですよね。

  こういうブドウを自分で作れたら、自分も少し自信を持てるんじゃないかって。

  自信ができるんじゃないかと思ってやったけど、今のところあんまりまだ自信はついて

  いない…(笑)


中尾:本当ですか?!あんなに美味しいものを作っているのに?


E:なんか自分に対しての自信はあんまないですね。

  ブドウはオンとオフがあって、忙しい時期と忙しくない時期。

  それもいいなと思って、今はまだ叶わないけどもう五年、十年したら、オフの時期は休

  んで温泉でもいけるような生活したいなって思ってますね。


中尾:最終的に岡山に移住することになりますが、移住の準備ってどんなことが必要だった

   んですか?


E:特に無かったですね。家ももう貸しに出して、嫁さんの実家に仮住まいみたいな感じで

  行かせてもらってましたから。


中尾:数ある農産物の中からブドウを選んだ決め手は?


E:やっぱりリズムが良かったなっていうのはあって、夏休みがしっかり取れることだった

  り、あとは作る時の機械化ができなさそう。

 

  あとは関税があまりかかっていないこと。例えば、みかんとかって高い関税がかけられ

  ていたけど、その関税がなくなった時に民間農家が激減したんですよね。

  だから最初から関税で守られていないこととか、そもそも輸出入しにくいっていう。

 

  機械化しにくいから量産しにくくて参入のハードルが高いから乱立しない。

  この木を植えてから出荷できるようになるまで四年かかりますって言ったら、まあやら

  んでしょう。

  機械化しやすいものは、資本を持っている人に負けちゃうんですね。

  あまりそういう資本主義の原理が働かないようなフィールドで戦いたかった。持たざる

  者としては。


中尾:木を植えて四年間出荷できませんっていうその期間を支える意味でも、1階部分(賃

   貸収入)が大事だったと。


E:そうですね。


中尾:岡山に移住してブドウ農園を始めて六年経ちますが、生活習慣だったり、時間の使い

   方など東京の生活と比べ変わったなと感じるのってどういった点ですか?


E:すごい健康的なリズムになったなとは思います。規則的だし、朝方だし。9時には寝ち

  ゃうし。

  ただ、地元の方との距離感やコミュニケーションはまだまだだなと。


中尾:先ほど自信がまだないっていう話がありましたけど、ブドウ農家になるべく岡山に移

   住してきた当初の期待感だったり、目的が何かしら有ったとして、その点は六年経っ

   てある程度叶えられたという感覚が有りますか?


E:それはあります。ブドウだけ見ても良いものができてると思うし、売り上げも立ってる

  し、お客様にも喜んでもらえるので。

  ただ、今年もできんのかな?とか不安は強い。恥ずかしいんですけど。


<クロージング>


中尾:クロージングの質問の前にややプライベートなことですが、結婚してから15年くらい

   だと思いますが、奥様と2人で過ごしてた期間と、長男を含め3人だった期間、次男が

   生まれ4人での期間とありますが、夫婦間の関係性はどういう変化を経てきています

   か?


E:基本は僕がこっちに行きたいとかあっちに行きたいっていう方向性を決めて、それが嫁

  さんが嫌じゃなければ一緒に行くっていうスタンスで、僕ら今までやってて。

 

  車で言えば、僕が運転してて、助手席に座ってもらってるみたいな感覚かな、目的地に

  たどり着けるようにサポートしてくれるような。ただ、子供に関しては逆かな?

 

 あとは、そもそも僕がもともと至らない点が多すぎて、これはいけないなと思って自己

  補正し続けてる15年かも(笑)


中尾:では、最後の質問ですけど、もうすぐ44になる歳で、これから50代という年代が見え

   てきますが、今後チャレンジしたいことをプライベートとお仕事とそれぞれ教えてく

   ださい。


E:先ず仕事に関しては、始めた当初の目標は達成したっていう考えなので、次の目標を探

  しているところですね。誰もが知るお店で取り扱ってもらうとか。


中尾:プライベートはどうですか?


E:結構ありまして、インドに行きたいとか、結構旅行系ですね。

  サラリーマンの時に結構ハードに働いていて、色んなことをそぎ落として趣味が無くな

  っちゃったから、もう一回自分の人生に彩を持てるような趣味を見つけたいかなと。


  今は子供が中心にはなってるけど、あと数年したら、子供もお父ちゃんなんかいらない

  っていうことになってくるわけだし(笑)


中尾:いろいろと質問尽くしでしたが、ありがとうございました。


ということで、今後も定期的に会いたい人に会いに行き、話を聞いてみたいと思います。


それでは第12回お楽しみに。


ではまた。


                                      (了)




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