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【私の会いたい100人:第1回】

nakao3126

更新日:2023年10月12日


「私の会いたい100人」


ただただ私の会いたい人に会いに行って話をするという企画でございます。


絵になるのか、内容のある話になるのか、そんなことはお構いなし


会いたい人に会って、出会った当時、一緒に過ごした当時の話やその後の話、

はたまた今後の話について色々と話を伺っていきたいと思います。


そして今の自分がどういう方々からの影響を受けて形成されているのか、

ということを知る一つのきっかけになればと思っています。


それでは、記念すべき第1回


お楽しみに


中尾:「私の会いたい100人」 記念すべき第1回のゲストにお越しいただきました坂井竜    (りょう)さんです。よろしくお願いします。

       坂井さんは、ベトナムホーチミン時代にとてもとてもお世話になっていた方で、私が    今回勝手に会社を創って、勝手にこの企画を立ち上げて、第一回のゲストを誰にって    言ったら、まあ坂井さんしかいないと勝手に思い込んでいて。

   オファーをしてご快諾いただき、この席に着いていただいているわけですけれども、    坂井さんとの出会いに触れる前に、先ずは私の記憶ベースで坂井さんのプロフィール    を紹介したいと思います。


〈プロフィール〉 北海道芦別市出身で、当時通っていた高校で初の立命館生となるべく、高校二年で部活を辞めて受験に専念。ただバッキバキに体を鍛えていたんで、ヤンキー同士の抗争には声がかかってきて、受験教材を持って現場に駆けつけたというエピソードが有名です。

前職でベトナムに駐在していらして、その後転職を機に愛知県豊橋市に拠点を構えて、アジア、ヨーロッパと、世界を股にかけてバリバリの営業マンでやってらっしゃると言うのが、今回のお客様坂井竜さんでいらっしゃいます。


坂井:高校の歴史上初ってことはないかもしれないけど、、、

   高校もすごい田舎の高校で、あまりというか、ほとんど道外に出る人がいなくて。


中尾:その北海道から、しかも京都じゃないですか?京都の大学を目指そうと思ったきっか    けって、どんなことがあったんですか?


坂井:その大学はもうひとえに、中学の時に好きだった社会科の先生の出身校が、京都の立    命館大学で。私は好きだったから、私からしたら変わってないんだけど、周りの人か    らしたらすごく変わってると言われる先生で。うん、ただ私はその先生が好きで。そ    れと、まあ京都に憧れてたっていうのもあって、うん。

   で、高校の修学旅行で初めて京都、大阪に行った時に、大学も下見に行ってみたいな    感じで。


   ただ、決してレベルの高い高校ではなかったんで、高校の授業をそのまま受けてたら    絶対に入れない。だから、自分で行くって決めて、自分で勉強のスケジュール立てて    参考書も集めて。

     そうすると、逆算していくと、現役で入ろうと思ったら時間が足りないって分かった    んで、本当に申し訳ないんだけども、数学の時間に英語の勉強したりとか。

       もちろん数学の先生に怒られましたけれども、「俺、数学の授業(は大学受験に)関    係ないんだわ」って言って英単語の勉強してたりとかで、まあなんとかギリギリ滑り    込んで。


中尾:入ってみてどうでした?


坂井:大学の入学式で、(壇上から)挨拶をしてる人の話を聞いてると、けん玉で全国2位

   になり、一芸で入ってきましたとか、中学高校の六年間毎朝町のゴミを拾いましたっ

   ていう人も一芸で入ったとか。いや、それぞれすごいことなんですけどね。ただ、一

   年半ノイローゼになるぐらい勉強してギリギリ入った大学ってのは、けん玉とかでも

   入れるんだと思ったらちょっと複雑な気持ちになって。(苦笑)


中尾:キャラクターが立ってる先輩方に会ったのって、大学ですよね?


坂井:大学のクイズ研究会というのがありまして、まあそこそこ有名なんですけども、そこ    に入って。まあ、結局一年間で辞めてしまうんですけど。

   ただ、そこで出会った人たち(先輩)とは未だにだから、もう25年ぐらいの付き合    い。未だに言われます。なんでお前、クイズ研究会入ってきたの?って。有名だった    し、面白そうだなと思ったけど、入ってみて、ちょっと水が合わなかった。


中尾:話だけで実際に(その先輩方に)会ってないからか、自分にとってその先輩方は坂井    さんが好きで勧めてくれた島田荘司の小説に出てくるキャラクターのような感覚なん    ですよね。

   なんとなく古典的なスタイルというか、話し方だったり、思想というか考え方を持っ    てる人たち。ここ(小説)にいそうな人たちが、坂井さんの後ろに並んでいるような    のが、僕の勝手なイメージなんですよ。


坂井:未だにお世話になってますけども、うん、すごいキャラ立ってる人たちだけど、おか    しな人たち、変な人たちじゃない。すごく優秀で、ものすごい賢いですけど、その中    で私が一番地味なぐらいですから、うん。

   あの瞬間逃したら(先輩方との出会いは)なかったですね。(クイズ研究会という)    あの入り口がなかったら。




〈ベトナム時代〉


中尾:海外で仕事がしたいというのは元々あったんですか?

坂井:(新卒で勤めていたのが)貿易会社だったから、基本的には海外でってゆーのは入っ    た当初から言ってた。北海道から京都に出て、大阪で就職して6年勤めて、2005年4    月にベトナムに行って。今でも覚えてる。4月29日はベトナムの祝日だけども、28日    に着いて、向こうのスタッフに連絡したら、明日から休みだからみたいな事言われ    て。(苦笑)それから3日間ぐらい、もうひたすら街中を地図見ながらぶらぶら歩い

   て。もう途中で暑くてクラクラになりながら。

中尾:そっか、(ホーチミンは)一番暑い時期ですね。4月だと。


坂井:もともと会社の上に住んでて、あそこから、あぁもう名前全然出てこない…

   ニューワールド(ホテル)なんか優に超えて。よく歩いたなあ。


中尾:ベトナム駐在は自分の意思はあったんですか?

坂井:6年勤めたところで、ようやく自分の番が来て。ただ、実は駐在先はベトナムではな    くインドネシアにほぼ決まってて。そこは日本人2人体制で、現地法人の社長の下に    つくという予定でほぼ決まってて。その社長からも、もう部屋も決めたから、あとは    契約するだけというところまで行ってて。

   その頃は、インドネシアからの家具の輸入関連で、多いときは2か月にいっぺんぐら    い出張で行ってたのかな?1週間とか10日とか。なので、言葉も簡単だからインドネ

   シア語もなんとなく分かってきて、インドネシア人同士でしゃべってるのもなんとな

   く分かるようになってきて。

   そしたら、ベトナムの駐在員が急遽退職するって話になって。インドネシアからポコ

   ッとベトナムにスライドさせられたという。

中尾:すごいですね?!じゃあ(インドネシア)赴任後だったら、そう(ベトナム駐在)な

   らなかったってて感じですよね?

坂井:ならない。本当に急に。

   だから最初、社長室に呼ばれてベトナムって言われた時に、あ、インドネシアと言い

   間違えてるって。いつ訂正しようかなと思って話聞いてて。そしたら「ベトナムだっ

   ていう話はまだ聞いてないか?」みたいな感じで。

   

   ベトナムにも出張で行ったことあったけど、別に良い印象がなくて。、街も薄暗く

   て、空港も当時は元空軍基地みたいなバラックみたいな空港で、薄暗くて、エアコン

   も付いてなくて。だからもう常に薄暗いイメージ。

   

   あと、タイとかインドネシアに比べて、なんでこっちの人は不愛想なんだろう?って

   出張の時は思ったけども、まあよくよく普通に喋ってみると普通に笑うし、優しい

   し、治安良いし、食べてみたら料理はメチャメチャ美味いし、物価安いし、なんか

   すげえ良いとこじゃん!って。(笑)

       まあ、もうそれでベトナムが大好きになったね。




〈帰国後〉


中尾:それで2005年の4月28日から2012年の12月までいたと?

坂井:そう、もう辞めるって決めてたから、12月いっぱいで辞めますって言って。

   その時もう既に2人目がお腹にいたな。


中尾:長女はベトナムで産んだんですか?

坂井:いや、日本に帰ってきてカミさんの実家で。すぐに向こう(ベトナム)連れて行けな

   いから、数ヶ月は一人暮らししてて。で、2011年の3月に日本に迎えに来て、じゃあ

   3人で帰ろうっていう前日に(奥さんと)2人で店でラーメン食べてたら、テレビで成

   田空港に津波が来てる映像が流れて、何の映画だこれ?って言いながら見てて。ラー

   メン食べ終わって家に帰ったらお父さんがえらいことになってるぞと…


中尾:すごいタイミングでの一時帰国だったんですね。

   そして2人目は帰国後だったと?


坂井:ええ?


中尾:辞めて帰国するってタイミングでお腹にいたんですよね?

坂井:2012年?いや、13年生まれ?早いな?!

中尾:(帰国から)もう満10歳になったってことですよね。

   日本に帰ってきて今の会社に入ってもう10年ということですね。

坂井:うん、そうね。だから日本に帰ってきてからの年数は下の娘で分かるってことだな。

   いろいろ分かってなかったわ(笑)





〈病気について〉 中尾:聞きにくいし、答えにくいかもしれませんが、約2年ほど前に病気になったじゃない

   ですか?で、(自分たちへの連絡は)しばらく経ってからメールで「実は」みたいな

   感じだったと思うんですよ。


坂井:メールしたのは、手術の前の日だからね。もしかしたら明日死ぬかもしれないって。


中尾:それって(発症から)半年くらい経ってました?

  坂井:時系列で説明すると、2020年5月に母親が亡くなり、10月に父親が亡くなり、その

   年の暮れくらいから何か食べた時に違和感を覚えるようになった。それが2021年春ぐ

   らいになると、痛くなってきた。4月に会社の定期検診があったけど、胃カメラは有

   料なのでバリウム検査にして、でも気になるから良く見てくださいって検査の時に言

   って、問診でもバリウム検査の先生によく見てくださいと言いましたがこれこれこう

   なんです、って言って、はい分かりましたって(先生は)言って、でも、結局異常な

   し。


   それから4か月経って、8月になると何か食べるたびに背中が痛くなってきた。そした

   らカミさんが行っといで病院、やってんだからって。それでネットで調べたら近所の

   病院がやっていたので行ってみたところ、胃カメラ検査しましょうと、数日後すぐに

   やってくれて。そしたら、紹介状書くからすぐにここに行きなさいと大きな病院紹介

   されて。それですぐに行って、数日後に再度胃カメラやって、そしたら・・・    あの有名な”大きな病気”ですと。

   

   その病院に、たまたま良い先生がいて、手術してもらって。その先生が来る前まで

   は、この病院で手術できなかったらしい。9月、10月に投薬治療をして、味覚障害に

   なったりしゃっくりが1日3000回出るとか。100回じゃ死なないから、人間。100回数

   えたから。

 

中尾:オレ、(しゃっくりで)死ぬんだろうなぁって?


坂井:100回なんて余裕余裕。ホント、2-3000回ぐらい出るから。寝てる間もしゃっくりし

   てるんだから。そのうち寝てたわ、しゃっくりしながら。

   

   で、11月に手術ってなって、その前日に、やっべ、やっぱ一言言っとかないとダメだ

   わって、(自分含めた)3人にあのメールを送って。


   俺は死ぬつもりないけど、もしかしたら死ぬかもしれないからって、    そしたらかっちゃん(私)から怒りのメールが(笑)

 

中尾:そっかぁ。(あのメールは)そういうタイミングだったんですね。


坂井:術後、先生に起こされたんよ、「坂井さん、無事に済んだよ。奥さんも横にいるよ」

   って。でもカミさんは「先生、起こさないでください。そのまま寝かしといてあげて

   ください」って言ってるのも聞こえてるの。ぼんやりしながら、「あ、先生いる」と    思って。で、次目覚ました時に、明け方、何時かな?4時かな、5時かな?とにかく、

   息ができない…


   覚醒して一発目思ったこと、「息ができない、苦しい」  

   何も言えないから、紙に「くるしい」って書く。でも酸素濃度を測ると99%ある。 

   看護士さんには「酸素濃度も問題ないし、呼吸器官も機能してるからもう少しがんば

   って」って言われて。「あと30分待って」って。息できない人に30分待ってって言わ

   れたことある?

 

中尾:いや、ないです。


坂井:これを2回されて。

   後で、年に一度の大学時代の先輩との集まりでこの話をしたら、「お前、これスゴイ    話だぞ。酸素濃度が足りてるのに、喉を空気が通っているという実感がないだけで、

   人間は息ができない、苦しいっていう精神状態になるっていう論文書けるぞそれ」

   って言われた。

   理学療法士の先輩には「逆に、酸素濃度が全然足りてなくて、60%台まで落ちている

   人でも、深呼吸3回して、って言って深呼吸3回させたら、「楽になりました」って言

   うって、そういう論文は読んだことある」って。

中尾:感覚ってすごいですね?!

坂井:そう。あまりにも苦しすぎてスイッチがオンになったのかもしれない。完全に覚醒

   したから。モルヒネ入ってる時から。だから、部屋の天井、壁がどう見えてたかと

   か、同室のおばさんが徘徊しそうになる度に看護師さん呼んだ話とかすると、医療関

   係の大学の先輩2人に「そこまで克明に覚えてるのか?!お前スゴイな!」って。




〈今後について〉


中尾:坂井家は長女も、次女もなりたい夢があるという話でしたね。特に長女は具体的に。


坂井:そう。まだ中学1年生だけど、行きたい大学まで考えてるみたい。

   次女もテレビの影響からか、そこ選ぶ?っていう夢を持ってるし。

   お金はかかるだろうけど、進みたい方向に行かせられるようにするのが親の務めだか

   らね。


中尾:20歳前後の一番お金がかかる時期を乗り切れば、後は2人が今の夢の通りに手に職を

   持ったら楽しみですしね。


坂井:そうだね。


中尾:相変わらずというか、ここのところとても忙しそうですが。


坂井:うん、ま、でもコロナ明けで今まで止まっていたのが動き出したタイミングだから

   ね。コロナ禍の中でも新規開拓できた国もあるし。

   

   ただ、もう頑張り過ぎないことに決めたから。カミさんにも言ったけど、もう頑張り

   過ぎるのは止める。出世したい、何々になりたいっていうのはもう止めたからって。

    

   家のローンもあと何年かで終わるし、そういう意味では人生観は明確に変わった。


中尾:今後の楽しみは?


坂井:酒が好き、食べるのが好きだったのが、今はあんまり食べられなくなってるから、酒

   まで飲めなくなったらどうしようってのはあるね。


中尾:自分がその状況にない、全くの外野だから言えますけど、もしお酒飲めなくなったっ

   てなっても、奥さんとしては、それは別に構わないことかもしれないし、奥さんと二

   人で他の楽しみや過ごし方が見つかって、今より良い時間と感じられるようになるっ

   て可能性もありますよね。


坂井:おぉ、そうだな。そういうこともあるかもしれないか…

 

中尾:今回は第1回という記念すべき回に受けていただき、ありがとうございました。


坂井:いえいえ、いつも通り喋りまくってしまったけど、こんなんで良いの?


中尾:はい。とても楽しい時間で、やっぱり会いに来て良かったです。



                                      (了)




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